カニカマ元祖:スギヨ

カニカマの生みの親。石川県の能登地方(七尾市)で、380年以上続く水産加工食品メーカー…

カニカマ元祖:スギヨ

カニカマの生みの親。石川県の能登地方(七尾市)で、380年以上続く水産加工食品メーカーです。 https://www.sugiyo.co.jp/

マガジン

  • カニカマ物語

    カニカマにまつわる物語のあれこれ。 誕生から現在までを紡ぎます。

  • カニカマハナコの台所

    「カニカマで人生が変わった」。毎日欠かさずカニカマ料理を作り続ける主婦、カニカマハナコさんの台所におじゃまします。

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はじめまして。カニカマの生みの親です

いつもカニカマがお世話になっています。 1972年、世界で初めてカニカマを世に生み出した、株式会社スギヨと申します。石川県の能登地方(七尾市)で、主に練り物など水産加工食品を製造しています。江戸時代、鮮魚問屋として創業して以来380年が経ちました。名前の由来は創業時の杉野与作さんから来ています。 カニカマの生みの親として、世界中に広がるカニカマは皆わが子のようにかわいい存在です。ですが、悲しいことに「しょせんカニカマでしょ」「偽物だし」とか、「(しょうがない)カニカマでいい

    • 能登半島地震② 私にもできること

      1月23日、カニカマを製造する商業団地工場に務める川元信治は、石川県七尾市内の避難所の一つ、田鶴浜体育館から出勤していた。カニカマ工場はまだ止まったままだった。普段は工場内で製造管理に携わる川元も事務所や屋外で作業をしていた。 「本当なら工場の中でカニカマを作っているはずなんだけどね」 川元は、普段はあまりやらないパソコン作業をしながらがつぶやいた。 川元の家の玄関扉には、応急危険度判定で「要注意」を示す貼り紙が貼られている。瓦が落ち、壁には亀裂が走り、傾きを感じる場所も

      • 能登半島地震① カニカマ、ちくわ工場操業停止

        2024(令和6)年1月1日の能登半島地震。スギヨ本社や3つの工場がある七尾市は震度6強の揺れに襲われました。工場は天井が落ち、壁が剥がれ、機械が倒れ、断水も続きました。奥能登はさらに甚大な被害を受けています。そんな中、スギヨが何を発信するべきか、またはしないべきか、言葉が見つからないまま、地震発生から4か月が経ちました。ご心配くださっている皆様には、なかなかnoteでお伝えすることができず申し訳なく思っています。 4か月経ったとはいえ、断水が続いていたり、家や道路が壊れた

        • 元祖が選ぶ カニカマ5大ニュース2023

          今年も残すところあとわずか。2023年の締めくくりに、今年のカニカマ界隈に起こった出来事をスギヨ視点で選んでみました。 カニカマが世界的なニュース誌「TIME」に登場 世界各国で読まれるアメリカのニュース雑誌「TIME」(9月25日発行/アジア版)で、カニカマが日本の伝統と革新の中で誕生したことが紹介されました。約50年前、偽物・インチキ・騙されたと酷評されたカニカマが、今では代替食品の先駆けとして、世界でも注目を集めています。 【TIME】アメリカのほか、アジア、ヨー

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        はじめまして。カニカマの生みの親です

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          カニカマハナコと申します。

          はじめまして。カニカマハナコと申します。私の台所にようこそいらっしゃいました。うちの台所には、カニカマ専用の冷蔵庫があります。そんなにたくさん入れるの?と思われるかもしれませんが、毎日欠かさずカニカマ料理を作っているので、専用の冷蔵庫が必要なのです。同じものを作らないように注意しながら約5年間作り続けて、今では1650レシピを超える数になりました。 きょう初めてお目にかかったお客様に、私がどのようにカニカマに魅了され、人生が変わったかをお話しさせていただければと思います。レ

          カニカマハナコと申します。

          カニカマ物語④ 誕生編「売れたはいいけれど」

          世界初のカニカマ「かにあし」のパッケージには、「珍味かまぼこ」と書いてあります。ですが、今のようにカニカマという食品のジャンルがない時代、パッと見てカニのほぐし身のように見える「かにあし」を本物のカニだと思って買った人が多く、「インチキ」「騙された」という抗議の声が殺到しました。「油断するとすぐこんな例にひっかけられる」など新聞に書かれたこともありました。 この由々しき事態に、まずはラベルを見直しました。文字の大きさやデザインを変え、カニの絵を外したり「かには入っておりませ

          カニカマ物語④ 誕生編「売れたはいいけれど」

          カニカマ物語③ 誕生編「売れない」

          「これは10年に一度の発明だ」 世界初のカニカマ「かにあし」が誕生した当時、スギヨ社員は皆こうに思っていました。ですが、自信に反して商品は一向に売れませんでした。 「刻んだかまぼこなんて売れない」 築地市場へ持ち込むも、つれない態度で一蹴されてしまう始末。カニカマというジャンルがない時代、「かにあし」は単なる「刻んだかまぼこ」に過ぎませんでした。それでも、営業の宮崎忠巳さん(当時43歳)は全国を走り回り、自慢の商品について説明するのを止めませんでした。すると、築地場外市

          カニカマ物語③ 誕生編「売れない」

          カニカマ物語② 誕生編「かにあし」

          杉野芳人さんの「カニセンサー」が働き、開発は人工クラゲから人工カニへと一気に舵を切りました。じゃあ、人工クラゲはどうなったの?と気になるところですが、日中国交正常化に伴い中国からの輸入が再開されたので、需要は次第になくなっていきました。もし人工クラゲが完成していたら、すぐに売れなくなっていたかもしれません。そして、現在カニカマは世の中になかったかもしれません。 カニカマ開発の主なメンバーは、専務の杉野芳人さん(当時42歳)を中心に、天才肌のかまぼこ職人と開拓魂を持った研究者

          カニカマ物語② 誕生編「かにあし」

          カニカマ物語① 誕生編「クラゲ」

          カニカマを語る前に、クラゲの話から始めましょう。 もともと、カニを作ろうとしてカニカマが生まれたわけではありません。もとはと言えば、「人工クラゲ」の開発を目指していました。 中国で文化革命が起きていた1960年代後半、中国国内の政情不安と日本との国交悪化により、それまで中華料理や珍味として使われた食用クラゲが輸入できなくなりました。そこで、困った珍味問屋さんから「人工のクラゲを作れないか」という依頼がスギヨに舞い込みました。1959(昭和34)年から「人工のカラスミ」を製

          カニカマ物語① 誕生編「クラゲ」