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シェアハウスで悩み、自己啓発の旅に出た話~信念ってそれ思い込み~




そう、、大阪から鳥取に移住してはじめに住んだのは、森のようちえん関係者が家族で入居できるシェアハウスだった。そこに3年半も暮らした、、!


智頭町に来てからたくさんの出会いがあった。子育てと人生の環境を自ら選択し生きる友人たちに触発され、この5年でいわゆる「自分を見つめる」作業をたくさんしたのかな、と思う。

「不登校ムスメにインタビュー!後編」記事の最後に触れた「自分の信念の書き換わり」について振り返ってみたいな、とキーボードを叩きます。




シェハウスでの暮らし


シングル家庭もあり、大人5人・子供5人の3家族の生活!
個別に居住の部屋があり(広くて6畳2間・狭いところは4畳半)、広いお庭に共同の広間・トイレが4つ・お風呂が2つ。

キッチンは広いが、コンロは3口。
ようちえんの弁当づくりに、夕食の準備!みんなぎゅうぎゅうになりながらも、「弁当の彩り悪い〜」「ブロッコリー多めに茹でたからイッコあげるよ」とか楽しくやってた。(食事の当番制など決められたルールはない)


そう、初めの半年間は手放しでとにかく楽しかったのだ!家庭環境や年齢などは多少違えど、同じように智頭に移住し子どもを森のようちえんに通わせる母たち。
キッチンに立っては「今日起きたことは今日のうちに!」のスピードで喋りまくり、子供がどーだ・夫がどーだとか寝かしつけの後に夜な夜なリビングで語り合ったり、庭で火おこししておいしいもの焼いたり、メンバー総出で誕生日パーチーしたり!子どもたちはみんな兄弟のようにごちゃまぜになって遊んでいた。

大阪では孤独を感じながら子育てをしていたワタクシ。こんな夢のようなコミュニティがあるだなんて!!と楽しみまくりの毎日。

まんがみたいに祝われて満面の笑みの夫

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その間にもメンバーが入れ替わり、気づけば建物的MAX の5家族・大人8人子供8人のすげー大所帯に、、!!
どーしても物理的な圧迫感とストレスが増え、今思えばコロナ騒動始まりの時期、だったということも関係したかもしれん。

いつの日か、「ライフスタイル」「夫婦・親子・家族」「共同生活に対する姿勢」の多様性あふれるこの場所で、
密接な距離で肌に感じる「違い」を受け入れられず苦しくなるようになっていた。

細かいことなら
・子どもは○時には寝かせたい、とか
・食や住環境に対するこだわりの違い、とか。
大きく出れば
・「夫婦とは、親子とは、家族とは」こうあるべきじゃないの?
みたいなこと。

今ならわかるヨ!自分の中の「~であるべき」が苦しくさせていた、的な!!すぐには気づけない時もあるけどさ。

少しづつでも苦しさの原因に気づくことができ、解消できるようになったのは、※環境を変えることが難しい状況、なら、自分の意識を新しくしていくしかないんじゃん、、と自己啓発の旅路に出たからなのだった。。

※J家は「誰も住めないんじゃね」と言われた古いおうちを激安で買い上げ、夫が自力リフォームの真っ最中。壁や床からトンカンしており、完成まではまだ時間がかかる。他の空き家に移るのにも、家を探し引っ越しし、新たに「集落に入る」(田舎では重要な視点)という労力と資金を考えるとゲンナリ。。もうちょっとシェアハウスいたい、、

という状況のこと




自己啓発の旅てどんな?


旅路なんて大げさに言ったのだけど、主に本を読み「少しでもいいと思ったことを臆面もなく実践していく」。それを続けるだけのシンプルイズベストな方法だ。はじめは図書館で借りる本で十分だから費用もゼロ。

・「声に出して自分を許し、誉めてあげよう」と書かれていれば、抵抗する気持ちがあってもその通りにする。すぐさまやる。

・「自分の幸福のため、子どもと家族の幸福のため夫婦関係をよくしたいと思うなら夫を許し、誉めよ」と見ればどんなに腹立たしくてもとにかくやってみる。(継続はできてない 爆)

・自分のupsetをネーミングし、子どものdoingとbeingに落ち着いて関わる(なんだそれは)みたいなことも意識した。

・体の不調と「精神的停滞・焦燥」のつながりを探るワークシートにも取り組んだ!

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こんなことで変われたら苦労せんわい、と半信半疑でもやってみると。
涙が流れたり癒しを感じたり、時には自分の未熟さを突き付けられたように苦しくなることもあった。すぐにわかったつもりになって、全然わかってないやん!って何回も練習する。

心なしか目が澄んできたような。


そしてこの旅路、もう一つ特筆すべきは、森のようちえん大先輩ビッグマザーによるシータヒーリングのセッション。
シータヒーリング - Wikipedia

それまでスピリチュアルな世界や占い(一緒くたにするものでもないかもしれんけど)に関心はあったものの、実際に自分が受けることには少し抵抗があった。未知のものに対する不安?

しかし信頼できるビッグマザーが親身になって悩めるワタシに声をかけてくれた!その嬉しさに払拭され、スピリチュアルセッションやタロット、九星気学や四柱推命、見えない世界が見えるお方(言葉だけだと怪しいが、とても気さく)に会ってみる。
など、色々な方法でめっちゃ気軽に!ほ~ん、そんな見方もあるんかい!と新しい視点でもって自分を眺めることができたのだ。(なぜか智頭と鳥取はその環境に恵まれている。今度は手相を見てもらおうと思う)

そう続けているうちに、、うん、最近になってやっとだ。
ワタシの中にいつの間にか出来上がっていた「自分の可能性を狭める信念(思い込み)」が、これまたいつの間にか「良く書き換わっている、、?!」という実感が湧いてきたのは、、



「信念」って良くも悪くも「思い込み」


シータヒーリング中にビッグマザーにかけられた「つらく苦しい経験からでなくても、私は同じものを学ぶことができる」というような言葉。

これをはじめて聞いたとき、非常に驚き、戸惑いにも似た感情があったことを思い出す。それほどワタシの信念に「苦労から学ぶ」「苦労からでなければ学べないものがある」という思い込みがあったようだ。
(これについては民族性とか歴史的背景とかいろいろあって、先祖伝来レベルの信念といえるんだろうと、最近ハリウッド時代劇【SHOGUN】を見て思た。)


未熟なワタシはその時「そんな育てられ方をしたからだ!」と恨みそうにもなったのだが、その後も粛々と旅路をきたおかげで今は「自分で選択していくノヨ」という意識がついてるように思える。

不登校インタビュー記事で書いたように、今では完全に
「つらいこと・苦しいこと・がまんしたり自分を曲げたりすること」ではなく「楽チンで、安心安全で、楽しくてうれしくてハッピーなこと」から!すべてを学んだらいいんだぜ!と心の底から思っている。

そして、「苦労から学ぶことを選んでいる人」のことも尊重したらいいんだで。とこないだ友人が言っていて、またも心が軽くなった。
自分の親のことなど、どうにか楽にしてやりたいと思う気持ちがあったけど、「本物の共感を持って自分との違いを尊重」するって、自分で記事にも書いてたやん↓↓↓

アドラーは、こんなふうに提案しています。まずは「もしもわたしがこの人と同じ種類の心と人生を持っていたら?」と考える。そうすれば「きっと自分も、この人と同じような課題に直面するだろう」と理解できるはずだ。さらにそこから「きっと自分も、この人と同じようなやり方で対応するだろう」と想像することができるはずだ、と。

偉い人の本「幸せになる勇気」より

ここまでの想像力でもって相手の心に寄り添い、共感したうえで「ワタシはこう生きることを選びます」と自分の気持ちを自ら尊重してあげたい。そして「あなたの選択も尊重します」。これはあたりまえのようでとても難しいケド。



子どものころから、どころか先祖伝来の「思い込みという信念」を書き換えるのは一筋縄じゃあいかない。みんなそう感じて生きてると思う。

でも、、そもそもそれも思い込みだったりして。
「人は今この瞬間からでも幸せになれる」そう思い込むことができたら。



なんだかまとまらない人になってきたので、、ここらで失礼!

シェアハウスで悩んで、自己啓発の旅に出て、いろんな生きづらさが少しづつ、いつの間にか解消してきてる。。
これからも、旅は続くのでありましょう。また、いつか書きたいと思います。


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