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備忘録【自分が読みたいものは自分で書くしかない~C・S ・ルイスの教え~】

読書感想文はいつも嫌いな本で書いていた。
審査員好みの「小学生らしさ」「中学生らしさ」を求められることが大嫌いだった。そんなことに大好きな本を従事させるのはもっと嫌だった。毎回課題図書から一番読みたくない本を選び、あらすじと最初と最後の数ページのみを読んで適当に原稿用紙を埋めた。先生から添削が入れば素直に訂正し、入選して貰った賞状はそのまま先生の机に置いて帰った。(もちろん怒られた)

そんなことを毎年繰り返し、やがて私は書くことそのものが嫌いになった。

本を読むのは大好きだったし、鞄に必ず一冊本を入れる習慣は今も変わらない。それなのに、読むことと背中合わせの書くことが嫌いになったのは、思ってもいない言葉をさも自分のもののように書かされることへの嫌悪感だった。これは私の言葉じゃない。赤い色で塗りつぶされた原稿用紙を返されるたびにそう思いながら、それでも赤色が示す通りに書き換えた。代わりに、書き換えた文章を読み返すことは一切しなかった。読みたくもなかったし、その必要性を感じなかった。

高校に入学して間もなく、文芸部の勧誘が来た。時間があれば図書室に出入りしている私の姿を文芸部の先輩たちが見ていたらしい。
書くことは嫌いです、と正直に話した。そんなに本を読んでるのに?と先輩は不思議そうな顔をして、とりあえず見るだけでいいから、と半ば強引に私を部室へ招いた。

広くはないが、陽当たりの良い南向きの部室だった。床から天井に届く高さの本棚には、文庫本より一回り大きい冊子のようなものが整然と仕舞われていた。
見ていいよ、と先輩の笑顔に促されるまま、手近な一冊を開いて私は驚いた。
小説、詩、エッセイ、短歌、俳句…並んだ目次にはタイトルと作者名が記されてる。先輩たちの作品が、書店に並ぶ本さながらに製本されていた。どの作品も生き生きとして、読んでいてとても楽しい。こんな作品を自分とほとんど同い年の方たちが書いていることが、さらに驚きだった。
これは受け売りなんだけどさ、と先輩は相変わらず笑顔で続けた。
「自分が読みたいものって、自分で書くしかないんだって」
いつもあれだけ熱心に本を読んでるから。もし読みたいと思うものがあるなら、それを私たちと一緒に書いてみない?
自分の思うように書いていい。初めてそう言ってもらえた気がした。差し出された入部届けを私はその場で書いて提出した。

先輩が受け売りだと言っていた言葉は、『ナルニア国物語』の著者C・S・ルイスのものだった。

「私は、じぶんが読みたがるような本を、じぶんで書いたのです。私がものを書く理由は、いつもそこにあります。ひとが、私の読みたい本を書いてくれないなら、私がみずから書かなければならないのです」(『ライオンと魔女』訳者後書きより)

読書感想文嫌いから書くことそのもが嫌いになってしまった私が後に、敵対する国どうしの楽器職人と奏者の長編物語を書き上げ、文学賞に応募できたのは、ルイスの言葉と文芸部に誘ってくれた先輩のお陰だった。
あの時、先輩に会っていなければ。文芸部に入部していなければ。そして、ルイスの言葉を知らなければ。私はきっと今でも書くことが嫌いなままだっただろう。小説も詩も短歌も、書くことなんてなかっただろう。

自分が読みたいものは、自分で書くしかない。他の誰も書いてはくれないのだから。

何を書けば良いのか分からなくなってしまった時。この作品で本当に良いのか分からなくなってしまった時。私はいつもルイスの言葉と先輩の笑顔を思い出して背中を押してもらっている。
大丈夫。これは私自身が読みたかったものだから、と。

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