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「仕事だから仕方ない」を封印してみよう

こんにちは!

「仕事だから仕方ないじゃん」って悪魔の言葉だと思っていて、圧倒的な他責を生むんですよね。

仕事への向き合い方だけでなく、家庭に対し謎の免罪符的な使い方ができてしまいます。

結論はタイトル通りでシンプルです。なぜこれが悪魔の言葉なのかを言語化してみて、「封印しろよ!」と自分に言い聞かせる回です。



先に結論

「仕事だから仕方ない を封印せよ」


それでは、本文いってみましょう!

お前が選んだのだろう

もう今日の言いたい事は、ほぼこれに尽きます。

「仕事だから仕方ないよ…」と言い訳し、何かを免れようとしたり、あたかも自分の意思でなく「この仕事はやらされてます」感を出してしまった経験、一度はありませんか?


いやいや、待て待て
今、その仕事を選んでいるのはお前自身だろう。

この真理は頭で分かっていながらも、見て見ぬふりをしてしまうんですよね。

私は特に結婚してから、なるべくこの言葉を使わないよう意識してきましたが…それでも恐らく無意識のうちに言ってしまっているし、口に出さずとも頭に浮かべてしまう事は、まだあります。

家庭において絶対に使ってはいけない言葉だと私は思うんですね。(あくまで、私はですよ)

はじめから、オレは仕事をして稼ぐ役割、妻は専業主婦で家事や育児をメインでやる役割。という分担と合意があったとしても、「仕方がない」「しょうがない」みたいな言葉は違いますよね。

役割分担できているなら、胸を張って「オレは仕事に専念するからよろしく!」と言えばいい。それでも、家族のイベントとか、ちょっと家事を手伝ったりとか、自分でも出来る歩み寄りに対し「仕事のせいで(本当はできるんだけど)しょうがない、できない。」という意識があるから、出てくる言葉です。


書いていて、「仕方ない」とか「しょうがない」みたいな、他責を抽象化してフワっと不可抗力っぽくする言葉、めっちゃ嫌いだなーと思ってきました笑

嫌いな言葉ですが、自分でもまぁ使ったり思ったりしてしまいます。このnoteを機に、使わないように本当に気を付けようと思います。


人生は、いろいろとコントロールできない外的要因だらけですが、その中でも自分自身が選択・行動した結果の連続が、人生だと考えています。

仕事なんて最たるものです。特に日本であれば、条件を絞らなければいくらでも選択肢があるし、最悪しばらく仕事がなくても生きていけます。実際に、ずっとニートで仕事せずとも生活している人もいるわけで。良い悪いではなく、事実としてそういう生き方が可能な環境に私たちは生きています。

その中で、「今、この瞬間、この状況」を選んでいるのは、自分自身です。


今、あなたが

仕事のせいで、家族と約束した「夜ご飯を一緒に食べる」ができていなかったとしたら…

不本意だけど、やりたくない作業をこなしており、「仕事だからやむを得ない」と受け身で思考停止で取り組んでいるとしたら…

それは「仕事だから仕方ない」のではなく、あなた自身が選んだ行動です。あなたが家族とのご飯でなく、仕事する事を選んだのです。やりたくないと思いながら、腑に落ちないまま作業する事を選んだのです。

自分で選択・行動しているにも関わらず、仕事のせいにして思考停止しているだけです。

「仕事だから仕方ない」という悪魔の言葉が浮かんだら、「お前が選んだのだろう」というパワーワードで打ち消しましょう。


抽象的な概念が逃げ場を作る

補足で、「仕事」という切り方も、めちゃくちゃ良くないなーと思います。

会社・仕事のような言葉って、抽象的ですよね。

会社も他責の対象にされがちなのですが、会社という生き物は存在しません。会社は人です。仕事も同様に、あなたが今何かを悩んだり、仕事と他の事でバランスをとろうとしていたら、そこには具体的な作業やコミュニケーションが必ず存在しています。

「会社は全然分かってくれない」は紐解くと、「社長と副社長が全然分かってくれない」かもしれない。とすると、「何を分かって欲しいのか?」「分かってもらうために何をしているのか?」という問いが生まれますよね。

どんどん具体化していくと「じゃあ結局自分はそのために何してるの?」という話になります。もちろん、具体化したうえで「私にはどうしようもない!外的要因すぎてコントロールできない!」というケースは沢山あり、「即逃避すべき」みたいな状況もあると思います。

ただ、あくまで何かの言い訳に会社・仕事などの抽象的な言葉を使っているとしたら、それは具体的な自分の選択・行動と向き合うことから逃げているだけだと思います。

極論、神とかもそうだと思いますが(あくまで信仰・思想などは置いておいて、概念として)、抽象的な概念や言葉って「逃げ」に使いやすいんですよね。

「仕事だから仕方なく家族とご飯が食べられない」のではなく、「家族とご飯を食べる時間に、明日までに仕上げる約束をしたxxxというタスクを、今やる事を、自分が選んでいる」が正解です。

xxxの締切をどう考えても自分は交渉できないし、絶対に今やらないと間に合わなかったとしても、「今この瞬間に家族とのご飯でなくそのタスク」を選んでいるのは自分の意思であり、そういう職場・役割で働いているのも自分の選択です。


というわけで

ちょっと極端な考え方かもしれません。

とはいえ、どうにもできない事はあるし、お客様とか上司との兼ね合いもあるんだからさ。というのはごもっとも。

ただ、それは家族も同僚もお客様も、みーんな同じです。誰もが、不可抗力や外的要因にてんやわんやしながら、それでも自分で選んで行動しているのです。

であれば、少なくとも私は、「自分自身の選択・行動」という事実から逃げず、言い訳をしない、逃げない人でありたいな。と思います。


思うだけで、なかなか100%実現までの道のりは長いですが…共感して下さる方は一緒に頑張りましょう🥺


ではまた。

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