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人生を変えた妻の一言

こんにちは!

大げさなタイトルですが、誰かの何気ない一言が、自分にとっては大きな変化を生む事ってありますよね。

今日は、かつて妻が私に放ったさりげない一言について。今でも定期的に、自分へ良い問いをくれる、自分にとっては大切な言葉です。



先に結論

「自己嫌悪を盾に、幸せから逃げるな」


それでは、本文いってみましょう!

妻に言われてハッとした言葉

こちらのラジオでも話したのですが、未だに完全に習慣化できないけど、早起き…いわゆる朝活的なものを頑張ろうとし続けています。

私は、3日坊主タイプで自制心も低いくせに、コツコツ継続系をやりたがるマンです。

「何でも卒なくこなしそう」感を出す事においては、自分でも才能を感じているのですが。実はほとんどの事において平均以下です。(得意と苦手の差が激しく、苦手がめっちゃ多い)

なるべく出さないようにしていますが、「普通の事ができない」「人よりできない事が多い」という感覚をずっと持っているため、それなりに日常生活や結婚生活で苦労している気分です。

先日妻と、この「実は私はできない事だらけ」の話をしていて、「何でもできる頼れるタイプだと思ってたけど本当に何もできないよね。結婚詐欺だ」と冗談半分(と思いたい笑)で言われました。


で、今日の本題はこのセリフではありません。

このように「当たり前が割とできない」くせに、自制心も低かったりするので、この状態で果敢に早起きに挑戦するとどうなるか…

「あーまた起きられなかった!」
「くそー昨日お酒飲まず早く寝れば良かった!」
「なんで起きる事すらできないんだ!自分はなんてダメなんだ!」

などなど、自己嫌悪を多発してしまうんですね。
それでも早起きしようと思うのは、それだけ便益を感じているからで、そこについては別途記事にできればと思います。

かつての私の早起きスタンスを例えるなら
言うほど食事制限していないし、リバウンドを繰り返しているくせに、永遠にダイエットに挑戦している感じ。しかもリバウンドの度に悔しがったり自己嫌悪してたり。


それをずっと横で見ていた妻が、いつものように朝起きれずあーだこーだ言う私に対し、放った言葉が今日の本題。

「起きれないならやめたら?頑張ったってどうせ起きれないじゃん」


これは刺さりました。その通りすぎる。

その瞬間はムッとしましたが、喉奥の魚の骨みたいに、その後もずっと引っかかっていました。

本質は、「あー今日も起きれなかった」と、いつも悔しがったり自己嫌悪に陥る位なら、ちゃんと毎日起きられるようにコミットすべき。もしくは、成功確率が低いと分かってやっているなら、嫌な気分になるな、と。


妻はこうも付け加えました。

「私だったら、沢山寝られて、あー幸せだなって思うけどね」

なぜ、毎回嫌な気分になってまで、できもしない(本気で実現しようとしない)事をやるのか?シンプルに疑問だったのでしょう。

そして、沢山寝られたのに「あーくそー」とか言ってるのが、理解できない。

この妻のコメントは、初めてネパールに行った時に感じた事とリンクします。


人生の原体験を思い出す

今から7〜8年前、友人が青年海外協力隊でネパールにおり、旅行がてら農村にホームステイさせてもらいました。

この話はまたどこかで詳しくできたらと思いますが、当時の私にとっては価値観をぶっ壊される経験でした。日本でいかにバイアスがかかった思考・生活をしていたのか気付き、人生で初めて「幸せってなんだ?」と向き合った機会です。

この時の価値観の変容を無理やりまとめると

「今まで自分は、幸せ = 何か条件を満たすと得られるものと認識していたが、幸せとは本来、今この瞬間から何に対しても感じられるもの」

という感じです。「幸せ」に対し、得るものと思っていたが、実は野放しに感じるものだった。大人になって日々仕事をする中で、その感度にどんどん制限をかけている。そんな解釈に変わったのでした。


妻の何気ない一言は、この時を思い出させてくれました。
「私は沢山寝られたら幸せだと思うけど、なぜ、沢山寝て嫌な気持ちになって、そしてそれを繰り返すのか?」

私は、自分で決めた「早起き」にガチコミットするわけでもないが(これ自体は、人それぞれの温度感なので自由でOKだと思います)、できなかった時に、わざわざ「嫌な気分」という感情を自ら選択していたのです。

そもそも朝が苦手で、睡眠時間は長めにほしい私は、妻と同様に沢山寝られたら幸せなはずなのに。わざわざ自分で謎の枷をはめて、自己嫌悪になっていたのです。


試練があっても幸せから逃げない

妻のこの一言は、今でも不意に自分の脳裏に出てきます。そしてこう変換されます。

「勝手に自己嫌悪や無力感に陥ってるけど、それを盾に幸せから逃げてないか?そして、自分だけならまだしも、その嫌な雰囲気で周りを巻き込む気じゃないよな?」


もちろん、自分で決めた事ができなかったり、上手くいかない時って、良い気分はしないですよね。悔しい気持ちや自己嫌悪に陥ってしまうのは、本気で向き合っているからです。

でも、本当の本当に本気だったら、ネガティブな思考をしている暇に少しでも改善したり、自己嫌悪に陥るような結果を引き起こさぬようコミットしているはずです。まずは、この甘さを突いてくれる。妻のあの時のコメントにはそんな耳の痛い効果があります笑

そして、幸せに解釈できるはずなのに、「自分が納得いっていない」事を理由に、「嫌な感じ」をわざわざ選択している。

それで周りを巻き込むのはナンセンスです。
例えば私の妻の場合、朝ゆっくり2人で起きて、夫が「沢山寝たねー幸せだねー」と話しながら1日をスタートするのと、「あーくそー起きれなかったー」と横で言っているのとでは、気分が全く違います。

これと同じような、自分の選択した「嫌な感じ」の周りへの伝播を、職場や友人、家庭で、無意識に引き起こしていないでしょうか?


良い事も悪い事も、幸せも不幸せも、全て自分の解釈です。あるのは事実だけで、どう解釈するか?は自分自身の選択です。

まだまだ完璧にはできませんが、妻の一言があって以降、なるべく「できなかった事はしゃーない、切り替えよう!むしろラッキー!」と解釈するよう心がけています。

自分の中途半端な理想と現実のGAPに対し、コミットしようともせず、安易に自己嫌悪になって幸せから逃げていないか?それを周りへ無自覚に強要していないか?

常に自問自答していきたい。そしてできるなら、健全に自己否定して進化はしつつも、いつでも目の前の幸せは最大限感じていきたい。そんな風に思います。


ではまた。

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