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359日越しのツアーファイナル、熊本で咲いた未来花

【副題】
音楽の力を信じ、動き続けたスキマスイッチが導き出した答えとは

※このテキストは、2021年3月2日に「音楽文(powered by rockinon.com)」掲載された記事の転載です。

2020年2月26日。
音楽を愛し、ライブという空間を愛する人であれば、忘れられない日ではないだろうか。
この日から、わたしたちの生活における「ライブ」というものの存在価値やありかたが大きく変わってしまった、と言っても過言ではないだろう。
そして、この日を境に失ってしまったかけがえのない場所は、1年経ってもいまだ元通りの形になることはなく、かろうじてその面影を残すことができている、そんな状況だ。

2020年2月28日。
本来、スキマスイッチはこの日に2019年10月30日から始めた全国ツアー“POPMAN’S CARNIVAL vol.2”のファイナルを迎える予定であった。
ところが2月26日、約1週間にわたる長旅の最中であった宮崎にて、彼らはツアーの一時休止を決めた。正確に言うと、そう決断せざるを得なくなった。

ひとつ前のツアー“ALGOrhythm“の沖縄公演で、天候不良により一部の機材が到着しなくとも、「ミュージシャンが集まれば音楽は鳴らせる」とステージを決行したスキマスイッチ。
ミュージシャンは揃っている、機材もある、しかし不可抗力で観客を集めたライブはできない。
もどかしさの末に彼らが下した決断は、「もともとライブをする予定だった熊本にて、無観客ライブをすること」であった。

配信ライブという概念が、今ほど世の中に根づいていなかった当時。
専用の機材を持たぬ彼らは、スタッフのスマートフォン数台を駆使し、あらゆるプラットフォームを活用して、「ライブ」を届けた。
YouTubeには、今もそのときの動画が「スキマスイッチ LIVE生配信」というタイトルで残されている。
セットもなく、衣装を身にまとうこともなく、ツアーとは別個の空間の中で彼らが届けたのは、彼らが信じる「音楽が持つ力」そのものであった。

「絶対にまた会おうね」
そう言い残してステージから去った彼らが、“POPMAN’S CARNIVAL vol.2”のファイナルを迎えるべく、再び熊本に帰って来ることができたのは、2021年2月21日。
359日もの月日を重ねても、この世は満席の客席で満開の笑顔と大きな歓声を届けることを許してはくれなかった。
彼らが待ち望んでいたであろう光景を見せることが叶わなかったこと。この1年とは何だったのだろう、とわたしは少し悲しさを覚えてしまった。

それでも彼らは、より多くの人と同じ時間を共有しようと、有観客ライブと配信のハイブリッドで今回のライブを開催してくれた。
音楽は、音を楽しむこと。日常に、彩りを与えてくれるもの。喜怒哀楽の感情を、蘇らせてくれるもの。
この1年で、人々の生活からほんの少し離れてしまっていた心のゆとりを、取り戻すための時間を彼らがくれたように感じられた。

2019年10月30日の初日から、驚くことに1公演たりともセットリストが被らなかった“POPMAN’S CARNIVAL vol.2”。
何が起きるかいつ行ってもわからない様子は、まさに「お祭り」そのもの。
いまのような世の中になってしまう前から、そのことは実感していたつもりだったが、このツアーに一期一会の楽しみと尊さがたっぷりと詰められていることを、2021年2月21日の約3時間半のステージで改めて感じることができた。
それでいて、本来の公演日、2020年2月28日に演奏する予定だったセットリストをなぞり演奏する彼らの姿に、いまのような世の中になるよりも前から信念を曲げず、まっすぐに音楽を届けるスキマスイッチの生き様が鮮明に映し出されているようにも思えてしまった。

この日のセットリストは、「ふれて未来を」から始まり、「未来花(ミライカ) for Anniversary」で締めくくるという、「未来」に始まり「未来」に終わる展開。
もとからほとんどの公演ではこの展開であったにもかかわらず、こんなところにも常に前を向いて歩き続ける彼らの姿勢を読み取ってしまうのは、いまがこんな世の中だからだろうか。
「時間の止め方」で歌うは、音楽で想いを共有することの楽しさ。
「星のうつわ」で伝えるのは、生命の儚さと人とのつながりの美しさ、そして遺すことの大切さ。
「パーリー!パーリー!」では、幸せに溢れたライブの場で時間と気持ちを共有する意味そのものを歌い、全身でライブが開催できていることの喜びを伝えるふたり。
そして何より、本編のクライマックスで演奏される「Ah Yeah!!」が、こんな状況下だからこそ、ここまで歌ってきたことを踏まえた上で彼らの生き様を裏づける曲として作用してしまうことの偶然に、わたしはただただ身震いするしかなかった。

この曲を演奏する前、ボーカルの大橋卓弥さんは「いま、コンサートをすることが正解なのかはわからない」と語っていた。
それは決して無責任に言っているわけではなく、医療に携わる人、人の生命を救おうと努力する人がいる裏で、直接的に人を助けることができるわけではないけれど、音楽にだって何かできることはあるはず……そう信じながらも、この1年の世の中では「不要不急」という言葉の波に呑まれ、自分たちの存在意義が揺らぎ、求められているのかわからなくなってしまう。そんなたくさんの葛藤が滲み出た結果の言葉であった。

彼は、同じ空間で音楽を共有することで「この一瞬だけ、明日1日だけ、1週間だけでも、みんなが元気になれるものを届けることができたら」といったことも、述べていた。
音楽家として矢面に立ち、たくさんの人たちの生活を背負い、この時期にライブをやるとなれば、ともするとたくさんの人たちの生命を預かる責任を負わねばならない立場の人たち。
本来であれば、喜びや幸せを届ける人の口から「僕たちも必死です」と、現実を突きつけられなければならぬ状況に、異常さを感じずにはいられなかった。

誰のせいでもないからこそ、みんなが苦しい。
声が出せぬ静寂の中で、いつもより響く空気が巡る音。その中で、溢れ出てしまった想いを耐えきれずにひっそりとすすり上げる人の様子。
目と耳から得られる情報だけでも、この空間にいる誰もが悔しさとやるせない気持ちを抱えているのだろうとうかがえた。

唯一の救いは、「今日延期公演をやったことは、正しかったかはわからないけれど、間違いではなかったような気がしている」と、大橋卓弥さんの口から直接聞けたことだと、わたしは思っている。
それはきっと、彼の背中を見つめながら支えるように鍵盤を弾く常田真太郎さんも同じ想いのはずだ。
「みんなに会えて嬉しかったです」と発した後に見せた優しい微笑み。
そして、その後に力強く歌い出したこの言葉が、彼らがこの1年、これまで通りの活動はできずとも、無観客ライブをやってみたり、緊急事態宣言中にもファンクラブ会員向けに「いまのスキマスイッチ」の様子を届けてみたり、有料配信ライブをやってみたり、新たなスタイルのライブツアーを確立してみたりと、耐えず動き続けた答えそのものであった。

Ah Yeah!! 世界が開いていく くぐり抜けたドアの向こう
一直線に前だけ向いて 逃げる選択肢を捨てろ
Ah Yeah!! この掌で 掴み取りたいもの
想像しているよりもずっと 光っていればいいや

後ろから照らされたまばゆい光を全身で受けながら、渾身の想いで天のほうへ手を伸ばし、祈りのように言葉を届ける大橋卓弥さん。
その声を受け止め、彼の身体をしっかりと支えるように力強い鍵盤を奏でる常田真太郎さん。
2番の歌詞は、まるで過去の彼らが紡いだ言葉が、いまの彼らを導いているようにすら感じられた。
険しい道のなかでも、彼らをツアーファイナルという終着点まで連れてきてくれたこの曲。
確固たる道標を手にしたふたりは、確信を持って客席へ、そして画面越しに見守る人々のもとへ、この言葉を届ける。

Ah Yeah!! 何度も何度も 息絶えそうになっても
落ちてはまた這い上がって 頂に手を伸ばす
Ah Yeah!! この掌を ぐっと胸に押し当てる
確かに感じ取れるんだ “僕が居る”って証拠
誰の胸にもひとつ 打ち鳴らせ、心臓の音

音楽の力を信じて、これからも音楽を届け続ける。
どんな困難のなかでも、その信念は曲げない。
音楽の神様に導かれ、音楽に存在価値を与えられた人々は、音楽の存在価値をこれからも自身の身をもって証明し続けるのだろう。
心臓の音が鳴り続けるかぎりは。
「“僕が居る”って証拠」というフレーズを歌いながら、シャツの胸元をぐっと強く握る大橋卓弥さんの様子に、そんなことを感じ取った。
そして、言葉にせずとも音楽で示した彼らの答えに、わたしは声を出せないなりにたくさん手を叩いてエールを送った。
鳴り止まぬ拍手は、きっと同じ気持ちの人がたくさんいたことの表れのはず。
「声を出せなくても、何かを伝えたいと思ってくれている気持ちはちゃんと伝わっている」とスキマスイッチのふたりもこの日に話していたから、この想いが伝わっていたらいいな、と願った。

なかなか、物理的に人とのつながりを感じづらくなってしまったここ最近。
信じ合える存在がいることの心強さを教えてくれたスキマスイッチが、アンコールの最後に選んだ曲は、前述の通り「未来花(ミライカ) for Anniversary」であった。
大橋卓弥さんの熱量こもった声とともに、常田真太郎さんの鍵盤とバンドメンバーの演奏がよりいっそう盛り上がり、新たな展開を見せたこのフレーズが忘れられない。

声が届き 声を返す
そんな 何気ない日常
ひとつひとつに愛情の種を撒こう

愛することの尊さ、声を交わすことの大切さ、何気ない日常にこそ存在する幸せ。
歌い切った後の大橋卓弥さんの目から溢れる光の粒に、ライブこそできるようになっていても、いまだ彼らにとって現状は「非日常」である。そんなことを痛感させられた。

彼らがこの歌に込めた祈りが、どうか近い将来叶って、「未来」という真っ白な花として咲き誇りますように。
そして、今回スキマスイッチの音楽に直接触れることができた人も、チケットを手にしていても現地に行くことができなかった人も、生配信で同じ時間を共有できた人も、アーカイブで噛み締めた人も、さらにはいまは少しスキマスイッチから離れてしまっている人も、みんなが再び同じ場所に集まって、かけがえのない時間を共有できる日が訪れますように。
ひと足先に春を存分に感じることができた熊本の空の下で、わたしはそんな「未来」を祈った。

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