ただわたしは「LOVE!」を叫びたくて

【副題】
藤木直人のCDデビュー20周年ツアーを終えて思うこと

※このテキストは、2019年9月9日に「音楽文(powered by rockinon.com)」掲載された記事の転載です。

2019年8月31日。
河口湖ステラシアターで、藤木直人がCDデビュー20周年を記念したライブツアーのファイナルを迎えた。
19年前、彼に出会った頃のわたしは小学生。
あの頃のいまごろはきっと、夏休み最終日を名残惜しむように過ごしていたなと懐かしさを感じながら、晴れて残暑厳しい河口湖の日差しを浴びていた。

友人たちに「藤木直人のライブに行くんだ」と言うと、「歌ってるんだ!?」とよく言われる。
歌っていることを知っている人でも、俳優が片手間に歌ってるんでしょ、とファンであるわたしにはあえて言うことはしないけど、そう思ってるんだろうな、と思う瞬間がたまにある。

そんな人に「見てくれ」と押し付ける気はさらさらないのだけど、知ってほしいなと思うことはある。
きっと、あなたたちが想像している以上に藤木直人はステージでギターをかき鳴らしているし、歌だって自分で作詞作曲したりもするし、ライブステージではピアノを弾いたり、ダンスを踊ったり、サプライズを仕掛けてファンを驚かせたり、たまに心配になってしまうぐらい自分をさらけ出すようなMCをしたりしているんだよ。
ドラマでよく演じているクールでかっこいい役柄じゃない、お茶目でたまに抜けているところがあって、負けず嫌いな一面もあって、そして人を楽しませることに貪欲な「藤木直人」そのものがそこにはいるんだよ、ってことを。

わたしは、そんな藤木直人に会える唯一の場所であるライブのステージが大好きだ。
『ナースのお仕事3』というドラマで藤木直人を知り、2000年7月に歌う彼に出会ったわたし。正直、丸19年も彼の姿を追いかけ続けるなんて思っていなかった。
小学生が30代という完全なる大人になってしまうほどの長い年月だ。こんなに「何か」を長く続けたこと、恥ずかしながら他にはない。

こんなにずっと藤木直人を好きで居続けられたのは、彼が歌を歌い、ギターを弾き、ステージに立ち続けてくれていたからだ。
正直なところ、藤木直人がミュージシャンとして活動する一面を持っていなかったら、きっとここまでずっと応援し続けていなかったと思う。
きっと、というよりむしろ絶対、に近いかもしれない。

わたしが初めて藤木直人のライブに足を運んだ日は、2000年12月25日。クリスマスの夜だった。
親にクリスマスプレゼントとしてライブのチケットをねだって、付き添いまでしてもらって、人生で初めてのライブハウスに足を踏み入れた。
いまはなき、伊勢佐木町の横浜CLUB24だ。

そこでわたしが見たのは、何の役も演じていない、「藤木直人」そのものの姿。
ギターを楽しそうに弾き、無邪気な笑みを浮かべながら歌い、「クリスマスだから特別に!」って、お客さんを喜ばせようとトナカイの着ぐるみを着てクリスマスソングを演奏する。
こうやって笑う人なんだ、こんな風に自分の話をする人なんだ、こんな風にファンの人とコミュニケーションを取ってくれる人なんだ。
当時、テレビで見ることができなかった新たな彼の一面に、わたしはすっかり魅了されてしまった。

そこから19年経っても、ステージに立つ彼のサービス精神に変わりはない。
むしろ、負けず嫌いで貪欲な一面のせいか、お客さんを楽しませようと新しい楽器に挑んだり、ダンスを踊ってみたり、サプライズな演出を仕掛けたりと、年々良い意味でエスカレートしているのではないかと思うほどだ。
そして、彼がそんな風に全力でステージに挑んでくれるから、わたしたちファンもそれに全力で応えたいと、盛り上げる。
ステージと客席のライブ感溢れる熱量の交換。それによって、ステージも客席もより一層盛り上がる。端的に言えば、「幸せ」しかないのだ。
この空間に身を置いていると、彼のファンになった頃の童心につい帰ってしまうし、どうやらわたしはめちゃくちゃ笑顔らしい。(イケメン前にしてにやけているだけかもしれないけれど。笑)

ドラマに舞台にレギュラー番組に、メディアに引っ張りだこな俳優・藤木直人は、以前はほぼ毎年やっていたライブツアーも、ここ10年ほどはもっぱら2〜3年に1度ぐらいの頻度でしかやらなくなってしまった。
レギュラー番組のおかげで姿を見ない時期はないけれど、それでもやっぱりわたしは数年に1度訪れる、音楽を通して彼とコミュニケーションが取れるライブツアーの期間を、首を長くしながら楽しみに待っている。
今回のツアーだって、春先に発表されてから自分が行く公演の日まで、いまかいまかと待ちわびていた。

今回のツアータイトルは、「Naohito Fujiki Live Tour ver12.0〜20th-Grown Boy- みんなで叫ぼう!LOVE!!tour〜」。
ver0.0から始まったライブツアー。途中でver.が0.1しか増えない野外ライブやライブハウスツアーがあったので、それも入れると通算15回目のツアーとなる。

ツアーが始まる前に、10年ぶりとなるフルアルバムをリリースし、そのアルバムタイトルを引っさげ、真っ向勝負に挑んだツアー。
タイトルの後ろに「みんなで叫ぼう!LOVE!!」とつけていたのは、昨年末のファンクラブイベントでファンから募った言葉をもとに作った『LOVE!』という楽曲をきちんと届け、一緒の時間を分かち合いたい気持ちの表れのようにも見えた。

全部で11公演のツアー。期間は1ヶ月と3週間ほど。
学生時代の夏休みとほぼ同じだな。そんな風に思いながら、19年間の間に出会った友人たちとアニバーサリーを祝いたいがあまりにスケジュールの調整をしていたら、気がつけば8公演に足を運んでいた。

各公演、振り返ってみるとさまざまなハイライトがある。
そのひとつひとつを振り返ったらきっと1日あっても足りないぐらいなので割愛するけれど、このツアーで改めてわかったことと感じたことがある。
それは、「藤木直人自身も、ミュージシャンとしてステージに立つこの瞬間を楽しんでいる」ということと、「先の約束ができることのありがたさ」だ。

俳優をやっていて、歌を歌いはじめる人は割といる。
あえて名前を挙げたりはしないけれど、人それぞれ頭に浮かぶ人がいると思う。
恐らくその全員に共通して言えるのは、「歌い続けることの難しさがある」ということ。
役者はきっと、自分が出たいと言って手を挙げたら作品に出られるような仕事ではない。1本ドラマに出るとなったら拘束時間だって長いはず。
コンスタントに楽曲をリリースし、ライブを行い、音楽活動をすることは、役者としての地位が上がれば上がるほど恐らく無理なのだ。
マイクの前に立って歌うことに徹する人ならまだしも、楽器を持って演奏したり、自身で曲を書く人は特にそうなのだと思う。

あまりにも毎クールドラマに出続け、毎週のレギュラー番組で姿を見かけ、舞台にも出ていたりすると、一瞬藤木直人に対して「ミュージシャンとしての姿はもう見れないのかもしれないな…」と思ってしまう瞬間がたまにある。
毎回のツアーの終わりに「またここで会おうぜ」って言われても、年単位で間が空いてしまうと一瞬不安になってしまうことだってある。

それでも、藤木直人はいまのところ、絶対に約束を守って帰ってきてくれる。
20周年という節目の年に、47歳になっても変わらず歌を歌い、ギターをかき鳴らし、ピアノを弾き、ブルースハープも吹き、ダンスも踊り、いま出演している朝ドラの主題歌をカバーし、お得意のルービックキューブを使ったパフォーマンスもする、そんな大盤振る舞いな彼の姿を見て、「これって実はとてもすごいことなんじゃ」とはっとしてしまった。
それは体力的な面でもだし、精神的な面でも。

でも、そんな盛りだくさんにいろいろなことをする原動力は、ファンの期待に応えたいから、みたいなことより何より、藤木直人自身がこの時間を楽しみ、この空間を愛おしいと思ってくれているからなのではないかと、このツアーの発言の節々から感じ取ることができたような気がした。

わたしが行った公演では必ず行っていた、「こうやってライブに足を運んでくれる人がいるから、僕はこうしてここに立っていられる」という発言。
「できることならずっとライブをしていたい」と言った新潟公演。
本編最後に演奏した『Never end』という楽曲で、こみあげるものがあったのか歌詞に詰まりながらも、「こんなに多くの 愛すべきものを手に入れたんだ」と手を広げぐっと拳を握って歌ったうえで、「また必ずここに帰ってこれるように、それまでまたいろんなことを頑張ります」と決意表明をし、「また必ずここで会おうぜ、じゃあね、ばいばい!」と笑顔でステージから去っていったファイナル河口湖公演。

ツアー後半戦に差し掛かり、ファイナルまでのカウントダウンが近づけば近づくほど、公演時間も長くなっていった。
曲に関するエピソードと曲紹介をする程度のMCしか挟んでいなかったはずのところでも、今回のアルバムに対する想いや、ツアーに対する想いを話すようになっていった。
わたしの目には、この時間が終わってしまうこと、この空間から去らなければいけないことに対する名残惜しさが映って見えたけれど、実際のところはどうなのだろう。
こればっかりは、本人に聞いてみないとわからないのだけれど。
でも、ファイナル河口湖公演がまさかのWアンコールを含めて、3時間20分近くの前代未聞な長丁場だったことも、ひとつの答えなんじゃないかなと、これまた勝手だけどわたしは思っていたりする。

ちなみに、そんな河口湖公演のアンコールで曲中に金テープが飛び出てくる演出があった。
実はその前、本編の曲中にもすでに自筆のツアータイトルがプリントされた銀テープが出てきたあとで、「2回もテープ出てくるなんて大盤振る舞いだな、さすが20周年!」なんて思ったりしていたのだけれど、日帰りのため終電との戦いでバタバタと会場を後にしたわたしは、あろうことか拾った金テープを開くことなく家に帰ってきてしまった。
そして帰宅して荷物の整理をし始めたわたしは、金テープに書かれた文字を見て、思わず驚きの声をあげ、そして涙が止まらなくなってしまったのだ。

「go to 30!!!これからもヨロシク」
金色のテープには、自筆のこんな文字がプリントされていた。

ついさっき20周年を記念するツアーが終わったばかりだよ?たしかに「また必ずここで会おう」って約束はしたけれど。
帰りの道中で、一緒にライブを観た友人と「次のツアーは直人さんの50歳をお祝いする感じかな?」なんて話していたんだけど。
次の約束だけじゃなくて、10年後、これからも歌い続ける決意をしてくれるだなんて思ってもいなかった。
わたしが毎回毎回、「次のツアーはいつかな、やってくれるのかな」ってそわそわしてしまう期間もあったこと、杞憂だったのかもしれない。そんな風に感じた。

そして、藤木直人のファンとして過ごした19年間のいろんな気持ちを思い出しつつ、こんな決意をすでに込めた上でファイナルのステージに立っていたのだとわかったうえで、まだ瞼の裏に焼きついている数時間前まで目の前に広がっていた光景を思い出したら、疲れて帰ってきたはずだったのに目が冴えてしまって、この日はあんまり眠れなかった。

ライブから数日経ったいまも、ふとした瞬間にあの日の光景を思い出してしまう。
MCで話した内容、一瞬一瞬のパフォーマンスや話しているときの表情を思い返しては、「あのときのあの発言も、この約束につながるんだ」と勝手に気づいて、勝手に納得して、そしてあの日に戻ってしまう。
もういい歳した大人なのにこんなんでいいんだろうか、なんて我に返って思ったりもしてしまうけど、藤木直人がステージに立つ空間に身を置くと、やっぱり幼い頃の自分に戻ってしまう感覚がある。
人はいつまでも、好きな人に対しては好きになった瞬間のままで向き合いたくなってしまうものなのかもしれない。
好きになった瞬間の熱量は、やっぱり忘れられないものだから。

「なつ」が終わった藤木直人は、もうすぐ秋を迎えるのに「ハル」というドラマに出るそうだ。そのあとには、舞台が待っている。
舞台も「生」だけれど、ライブのステージで見る彼とはまったく違う表情をした彼がそこにはいる。
そんなことを知れたのは、彼が舞台に出るようになってからなので、ファンになってからの年月のなかではまだ短い期間だけれど、彼が選んだ「演技をして生きる」という道を歩いている姿をこの目で観れる時間は、これはこれでかけがえのない時間。
だからやっぱり楽しみなのである。

彼は、今回のアルバムの表題曲、そしてライブでもデビュー曲を歌ったあとの2曲目に歌われた『20th-Grown Boy-』でこんな詩を書いている。

「たまに迷い悩み道を見失っても
いつか同じ場所に辿り着ける」

「No matter what 変わらないさ 大切なもの抱えながら
僕はまだ進む I give it all」

決意表明はすでにアルバムをリリースした時点から始まっていたのだ。
次に藤木直人が「藤木直人」としてステージに立つライブをやる日までは、現実的にやっぱり少し日が空いてしまうのかもしれない。
でも、この曲の歌詞と「go to 30!!!」という約束があるから。
30周年もきっと「同じ場所」で、お互い笑顔で会うことができる。

その約束をきちんと果たせるように、きっと彼は彼でいろんなことに取り組む続けるのだろうし、わたしはわたしで日々の生活を頑張ろう。
笑顔で会える「その日」を信じて、わたしもまだ進む。
そう決めた夏の終わりだった。

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