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現代ジンバブエにおける家族のカタチ ~ローカルと暮らす協力隊員が感じること~

結婚は、何歳くらいでするのが"普通"だと思うだろうか?

わたしは今、ジンバブエで海外協力隊としてジンバブエの現地人と暮らし、現地人の中級公務員と同程度の生活をしている。

あえて嫌いな"普通"という言葉を使ったのは、ここの"普通"が日本や西洋諸国の"普通"と違いすぎる、ということを半年のジンバブエ生活でひしひしと感じているから。

今回は、半年暮らして見えてきたジンバブエの家族観を、今見えているままに描写してみようと思う。

よく見る家族の形態

ジンバブエでも、他の国と同じように、農村部と都市部の家族構成は差がある。農村部では子どもが直接の労働力になることもあり今も多産で、一家に3人以上の子どもがいるのが普通に見える。けれど、都市部ではそんなことはなく、中級以上の家庭は1〜3人に留まっているように感じる。少なくとも、私の周辺の、公立校教員の家族は大体そんな感じである。

そして、平日は仕事のため、別れて暮らしている家族が多い。ここは田舎の学校だけれど、家は2時間先の街にあって子どもと妻(夫)はそこで暮らしている、とか、母親と小さい子どもだけここにいて、夫は別の場所で働いている、とか、単身(or単身+子)赴任を割とよく見る。この学校の場合は首都まで2時間くらいで行けるので、週末は首都の家族の元に帰る、という教員も少なくない。

意外と、大家族で3世代みんな一緒に暮らしている、というのは、都会や正規の仕事をしている人には見ないかもしれない。そうなるとやっぱり大きな家が必要で、都会には持ちにくい、という話もある。

また、大前提として、家父長制は色濃く残っている。家の中で一番偉いのは父親で、その次に長男がくる。基本的に亭主関白で、家庭内であろうが職場だろうが、男がする仕事と女がする仕事はぱっきりと別れている。私が働くオフィスも、男どもは絶対にゴミ出しをしない、などの慣習でその文化の片鱗は感じる。

ちなみに: 平均寿命

ジンバブエ人の平均寿命は60歳前後である。ただ、公務員の退職年齢は65歳となっており、幼少年齢で亡くなってしまうことがまだ多い?ため、平均寿命は下がっているのかと考えられる。

ただ、軽く聞いてみたところ、80まで生きると長生きだなぁと感じるようなので、健康な人でもその前までには寿命を迎えることが多そうに感じる。

ちなみに: 休みの日の娯楽

ジンバブエ人の休みの日の娯楽は、「家族と過ごす」ことの一点に尽きる。ばらばらな家族は土日に絶対に集まろうとするし、大きい家がある家族は土日には大体そこに親戚一同来られる人たちで集まって、日曜には一緒に教会に行くようだ。日本でいう盆正月の集まりが毎週行われているようなイメージである。

日本の感覚だと「え、面倒そう。。」と思うかもしれないけれど、愛している家族のところに言って家族と話すのがこの社会で唯一と言っていいほどの娯楽なのである。

一度お邪魔したことがあるジンバブエ人のおうちは、58歳の長女から7人兄弟がジンバブエ国内散り散りになって住んでいるが、長女が首都にわりと大きな家を構えていて、そこが本家のようになっていた。わたしが訪れたタイミングでは末の妹とその娘がおり、「今日はたぶん、次男があとでくると思う」というような話だった。

ほかに大した娯楽もなく、お金もないジンバブエ人は、土日の娯楽として「家族とすごす」ことを選ぶ。それだけ、家族間の愛は深いなあと感心してしまう。日本人も家族はそれなりに愛している場合が多いと思うけれど、ジンバブエ人ほどではないなあと感じる。

特に現代の日本は娯楽の多さも相まって、家族と過ごさなくても楽しい週末が送れる、なんなら面倒な家族付き合いをしなくていい、という考え方まである。このようなことをジンバブエ人に言おうものなら目をひん剥いて「家族は大事じゃないの!?」と反論されそうである。

今後、ジンバブエ人も経済的にもっと豊かになってきたら家族との時間を手放していくのだろうか。他の豊かになってきたアフリカ諸国ではどうなのだろうか。気になるポイントである。

結婚

女性は20~25歳で、男性も20~30歳には一度は結婚するイメージ。全員に聞いているわけではないけれど、30で未婚の独身です、という人には正直出会ったことがない。現代日本の価値観から考えるとどうして結婚しないという選択がないのか不思議にさえ思うが、日本もたぶん戦後〜50年前まで似たようなものだったんじゃないだろうか、とは思う。

そして、25前後で子どもがいない女性は、もうその能力がないと思われる、という風潮が強い。わたしも29だ、というと、家族も来てるの?と聞かれる。それはつまり、旦那と子どももこっちにいるのか、ということだと思う。結婚してないよ、というと、なぜだ、と聞かれる(なぜって言われても、、という話ではある)。

そして、ここでは初対面でほぼ必ず、結婚しているか聞かれる。日本や欧米だったらパーソナルなことなので敬遠される質問だけれど、ここではそういった情報がパーソナルなことだという感覚がまずない。

ジンバブエを含むアフリカの農村はムラ文化が根付いている。思うに、小さなムラの中でそういった情報はシェアされないと生活に関わる。例えば、自分が結婚相手を探している男性だとして、新規に引っ越してきた家族に年頃の若い女性がいたら、絶好の結婚相手になりうる。こういった文化がまだ強く影響していて、どのコミュニティでも新参者の家族構成を聞くのは当たり前なのだ。

一度、「なんでそんなにジンバブエ人は毎回わたしが結婚しているかどうか聞くんだ?」と愚痴のようにこぼしてみたところ、「それによって俺たちの行動が変わるから、大事な情報なんだ」と言っていた。彼らにしてみたら、未婚の女性にしては失礼な行動や、既婚の女性にしては失礼な行動などがあるのかもしれない、とは思う。ただ、未婚だったらアプローチしてもいい!GO!というだけな気もする。

ちなみにわたしは変にアプローチされるのは嫌なので、相手によって返答を微妙に変えている。もう二度と会わないと思えば「結婚してる、子どももいる(からもう話しかけてくるなよ)」、また職場なりで会いそうだがこいつは下心がありそうだな、と思えば「未婚だが日本に婚約者(ボーイフレンド)がいる」、普通に一緒に働くような、信用できる人なら「まだ結婚してないよ」と事実を言う、など。

また、男性だけでなく女性もわたしが結婚しているかどうかは当たり前のように聞いてくる。それで、していないとわかると、特におばちゃんたちはジンバブエ人を旦那にどうだ、としきりに勧めてくる。これはたぶん、アフリカのどの国でも一緒だし、なんなら日本でも同様の話はありそうではある。

ちなみに: 結婚するには

南部アフリカの習慣だと思うけれど、結婚するには、男性が女性の父親のところに出向き、牛を何頭か、またはそれなりのお金か品物を送らないといけない。アフリカでは牛を何頭飼えるかはその家の裕福さを表すもので、昔から婚姻の贈り物には牛と決まっているらしい。ただ、送られる側が飼うスペースや余裕がない場合、牛だけではなくその分のお金や品物でもよいとされている。

新郎候補はまず「娘さんと結婚したいです」と正式に父親の元に出向き、どの程度の贈り物で娘と交換するか交渉する。その交渉にも、その新郎候補だけではなく、友人や同僚を数名連れて行き、新郎の身元を保証するとともに交渉を手伝ってもらう。

そして交渉で決まった贈り物を用意し、再び結婚相手の実家を訪れ、正式に贈り物をして、婚姻が許されるのだという。なかなか、男性に負担の多い結婚方法だなあと思う。

ちなみに: 一夫多妻がアリな世界

一夫多妻はアリだけれど、そこまで大々的には行われていないらしい。キリスト教でありえない概念だからだろうか。わたしも実際にみたことはないけれど、冗談で言っているのはよく見かける。「わたしは彼の3番目の旦那だからね!」とか、「こいつは俺の2番目だから、お前は3番目だ」と言われたりとか。

最初はなにが冗談でなにが本気か分からないので困っていたが、最近はだんだん冗談の場合がわかるようになってきて成長を感じる。

他の隊員で実際にみたことがある人は、家に行って「この人は第二夫人だよ」というふうに紹介されたらしい。そして、夫人たちの仲はだいたいどの家でも良好らしい。そりゃそうだ、良好でないと家の経営が成り立たない

まだわたしは一夫多妻の形を実際に見たことはないので、今後楽しみにしたい。

子育て

女性は特に、25か遅くとも30歳までに子どもがいるのが”普通”である。子どもがほしくない、お金がかかるから子育てしたくない、という考え方は先進国のもので、まだまだ途上国であるジンバブエでは「子どもを産まないなんておかしい!」という考え方が主流な気がする。なんなら、子供を産めない体の女性は人間として無価値だという扱いをうけることもあるという。またキリスト教の考え方も影響していると思うけれど、社会的規範として、「子どもを産み育てることは素晴らしい」という前提があるように感じる。

その結果かなんなのか、子どもに対して日本よりかなり寛容だと感じる。子どもが危ないことをしようとしていたらもちろん怒るし、声をかけているけれど、例えばバスの中で子どもが泣き叫んでいてももちろん誰も怒らないし、親以外のその辺のおばちゃんも協力してみんなでにこにこと赤ちゃんをあやしている。みんな、当たり前に子どもを育てたことがあるので、子どもがどういうものなのか、赤ちゃんがどういうものなのか、社会全体で共通認識がとれているような感じがする。

そして、たぶん日本の私の祖父母の時代と似ているけれど、お兄ちゃんやお姉ちゃんが妹、弟の面倒をみるのが普通である。街でも田舎でも、よく赤ちゃんを背負った10歳くらいのお姉ちゃんを見かける。親は共働きで子どものご飯を買ってくるので、子どもは子ども同士で面倒を見る、という形が一般的に見える。

ちなみに、小学校と中学校の近くに住んでいるので、学校の行き帰りもよく見かける。田舎の場合、小中学校まで20km歩く、などはまだ普通らしい。その行き帰りは集団登校のようで、上級学年が下級生を引率して歩いているように見える。このあたりも、子どもが子どもの面倒をみるのが当たり前、という社会をよく表している。

介護

介護の問題もときどき見聞きする。50歳くらいの同僚がいるけれど、彼の父は彼がまだ学生だった時に勝手に家を出て行って今は隣国のザンビアにいるらしい。そしてときどき、医療費をせびりに電話をかけてくるようだった。めずらしくずいぶんと長電話をしていて、困った顔をしていたのでどうしたんだと聞いたら話してくれた。彼は妹と電話して、またどうするか決めると言っていた。

この国に年金という仕組みはない。経済が崩壊しているので現在は貯金もほぼ不可能だろう。医療も公立病院はほぼ機能していないので、ちゃんとした医療を受けようと思ったらかなりのお金が必要。こんな状況で、老後の自分を支えてくれるのは自分の子どもなのだ。だから、今だに多産だし、親子関係はどんな親子にとっても大事なのだと思う。

私がしんどいと感じること

今、人類学でいうところの「参与観察」を行なっている状態で、相手のフィールドに寄せてものを考えるように心がけている。そうすると、ローカルに馴染めば馴染むほどに、見えるものはローカライズされ、考え方も自然と寄っていく感じがする。

けれど、わたしは29の未婚の女性で、子どももいない。この社会で生きていると罪悪感さえ感じる。毎回、新しく出会う人に「なぜ結婚していないんだ、ジンバブエ人の男はどうだ」と聞かれる。隣ではわたしよりかなり若い女性が慣れた感じで赤ちゃんをあやしていて、幸せそうに微笑んでいる。男性にはカジュアルに(冗談だと思うが)求婚され、「日本の君のお父さんに牛を7頭送らないとね」なんて真顔で言われるのである。

これはしんどい。日本でさえ、親や祖父母と話すとしんどいなあと思うときがあるのに、周りが全てこれでは「わたしがおかしいのではないか」と錯覚する。決しておかしいわけではないし、ジンバブエにそこまで染まっているわけではなく、あくまで外国人としてジンバブエに住んでいるつもりだけれど、彼らのことを理解したいと思うほどに苦しい場面が増える。

社会というものと結婚や家族の考え方はセットであって、決して切り離すことはできない。日本とここまで違う世界に長期間住む、ということの影響はかなり大きくわたしのなかに残りそうだ。

終わりに

ジンバブエで暮らす中で見聞きしたことからジンバブエの家族観を紐解いてみた。日本との違い、また昔の日本との共通点を感じていただけただろうか。

まだまだ奥が深いアフリカ文化。もう少しめげないで研究してみようと思う。

▼参考文献: The Cultural Atlas (Australia)


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