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「自分らしくいられる心地よさって?」奄美の自然が思い出させてくれた、なつみさんの生き方

鹿児島と沖縄のほぼ真ん中あたりに位置する「奄美大島」。島のほとんどに森を有し、透き通る豊かな海には美しいサンゴ礁が広がる自然と生き物が共生した島です。

奄美の豊かな自然

そんな奄美大島に生まれ育った、なつみさんに聞く「幸せでいられるための働き方」とは。これまでの歩みを通して発見した自分らしい働き方をお聞きしてきました。

個人で戦うのが好きだった陸上部での6年間

ーーまずは、自己紹介をお願いします。

奄美の透き通る海でサーフィン

奄美で生まれ育って、高校卒業まで過ごしました。大学入学を期に東京に出て、在学中にオーストラリア留学をしましたね。

それで5年かけて卒業して、東京のIT系の会社に就職して、マーケティングの部署で働いてたんです。インターンを含めて2年くらいですね。

それから、奄美に戻って、2021年1月から家業のグループ会社で働き始めて、でも今年の4月から夫の都合で京都など移動が多くなったので、奄美にいるときはフルタイム勤務、それ以外は在宅でできるライターの仕事などをしていました。

ーーありがとうございます。では、まずは働き方・生き方に繋がっていく学生時代のなつみさんについて伺いたいです。どんな性格だったのでしょうか。

明るそうに見られることが多かったですね。みんなといるときは気を張っているんですが、家に帰るとどっと疲れてしまうような。1人でいるのは楽でしたね。

ーーどっと疲れてしまう……とてもわかります。部活動は何かされていたんですか。

小学校の時は、バレーボールをしていて、中学高校は陸上でした。最初入った時は、800mなどの中距離や走り幅跳び、季節によって駅伝をしていましたね。陸上部に入ったのも、団体競技があんまり向いてなかったからかもしれません。

ーーなるほど。個人でやる陸上のほうが向いていたのでしょうか。

そうですね。陸上は団体競技よりも自由な感じで、やってもやらなくても自分の結果で返ってきてくるのがよかったと思います。

「とりあえずやってみる」を学んだオーストラリアでの生活

ーーそれで、奄美から上京されて大学に入学、そして留学としてオーストラリアで1年間過ごしたとのことですが、オーストラリアではどんなことをしていたんですか。

オーストラリアのビーチ

語学留学として行ったので、朝の9時から14時まで学校がありました。終わってからは、友だちとビーチでおしゃべりしたり。

それで、しばらく経ってお金がなくなってきたので、日本食レストランでホールスタッフとして、バイトをしていました。

ーーいいですね。何かオーストラリアで過ごしてみていいなと思ったことや生き方の面で参考にしたいといった気づきはありましたか。

「言ってみる・やってみる」っていうのは、そこで身に着いた考えだなと思います。

昔は相手からどう思われるか気にしていたんですけど、そこでは「えーそんなこと気にしてたの?全然いいよ」って言われることが多くて。

それで、自分が落ち込んでいたり、機嫌が悪かったりしても誰も気にしないし、話に入れなくても空気みたいな扱いを受けたり(笑) だから、自分から発言するって大事だなって。

自分が気分が乗らなかったら、誘いをパスしたり、でもそれでみんな「ノリ悪いな」とはならなくて。だから、とりあえず言ってみるって考え方に変わりましたね。

東京での仕事に感じた違和感と転機

ーーそんな学生時代を経て、東京の会社に就職したということでしたよね。

はい。そもそもこの会社に入ったのは、ゆくゆくは海外で生活したいなという思いがあったからなんです。日本にいると何か息がつまるような気がして……IT系だったらどこでも働けそうだと思ったんです。

会社の人にも「3年後には海外に出ます!」って言うくらいでしたね。

ーーそれから、2年くらい勤めて方向転換した理由はなんだったんでしょうか。

入社して半年くらいは、「なんでもやってみなよ!」と海外志向で子供がいながらも、バリバリ働く女性の上司のもとで、本当に仕事が楽しくて「この会社入って正解だったわ!」って感じでした。

でもその女性の上司が産休に入ってしまい、上司が変わった時、リーダーを任されて、やったことがないことだらけで。1年目でリーダーを任されて、やったことないことだらけで、「この仕事向いてないのかも」って自信をなくしたのが一番大きいのかな。

それで自信をなくしたのと同時に、体調を崩しがちになって1か月休職しました。その時、違う働き方を考えるようになりましたね。

2020年3月に復職したんですが、コロナ禍で在宅勤務になってずーっと家に引きこもるようになって。今までは、海外に行くことをモチベーションにしていたので、「毎日家に引きこもって何してんだろう」って働く意味を見失ってしまいました。

インスタとかで見る友達の奄美の投稿を見たりしたときに、「あー自然のあるところに帰りたいな」って思いましたね。

コロナになって、家にいる時間が増えたことで、改めて自分の幸せを考えたときに「自然体・好奇心旺盛でいられる場所」にいたいって思いました。それが今の東京の環境には一個もない……そこからの行動は早かったですね。

奄美に帰ろうと決意。POOLOで語り合ったこれからのこと

ーー会社を辞めてから、POOLOというコミュニティに入ったということでしたが、どんな活動をされていたんでしょうか。

POOLO…旅で自分と世界の豊かさを作る「次世代の旅人=ニュートラベラー」が育つ学校。ライフデザインを通して人生のコアとなる課題やプログラムを発見していく。

2020年8月から1年くらい、POOLOで活動していましたが、私が在籍していた時は、基本的に月に2回くらいオンラインでの講義がありました。メンバーとチームを組んで毎週ミーティングをしたり、仕事について語り合ったりしてましたね。

コロナ禍だったので、留学に行きたかったけど行けなくなった人や、世界一周のために会社を辞めたのに行けなくなった人などが多かったです。

会社を辞めて奄美に帰ってきたところだったので、仕事をがっつり始めるというよりも「やりたいことは?自分にとっての幸せとは?これからの観光業や旅の在り方とは?」などをみんなで考える時間は貴重なものでした。

そして、奄美に帰ってきて3か月くらいの2021年4月に複業実現コミュニティ「スラッシュワーカーズ」に入りました。

スラッシュワーカーズ…スラッシュで区切るように個人が複数の仕事のスキルを持って働く「スラッシュワーカー」を目指すコミュニティ。

ーースラッシュワーカーになろうと思ったきっかけはありますか。

奄美に帰ってきて家業を手伝うことになったんです。フルタイムで家業の奄美の黒糖焼酎の販促をしていました。

それで、その時の気持ちっていうのは、フルタイムで働いてはいるけど、なんか物足りないって感じでしたね。東京にいた時と、地方では働くペースも違うし、このまま働いていても自分のスキルって伸びるのかとかこの先のキャリアはどうなるんだろうとか不安が出てきたので、(スラッシュワーカーズに)参加しました。

ーー今はどんな仕事をしているんですか。

そうですね。ライターの仕事もするようになりました。奄美にいるときは、奄美のお店や島人(しまんちゅ)を取材する記事を書いたりしていましたね。

今年の4月からは、実は夫の都合で京都にいたのですが、その間は主に、料理サイトのレシピのまとめ記事を作る仕事をしていました。7月からまた奄美に帰ってフルタイムに戻るつもりです。

ーーなるほど。フルタイムをしつつ、これからライターといった副業も伸ばしていきたいですか。

うーん。まだ子供がいないんですが、今後妊娠したりするとがっつり働けなくなると思うので、ライターは今のペースでゆっくり続けられたらいいなと思います。副業をどんどん伸ばすというよりは、会社に行けなくなってもできることの下準備をしておけたらと。

ライターとしては、奄美の見どころ発信に、より力を注いでいきたいなと思っています。

自分らしく働き、心地よく生きていくために

ーーこれからどのように過ごしていきたいですか。

まずは、自分に自信を持てる状態を保ちたいなと思います。仕事を辞めたりして自信がなくなった時期もあったので……そして女性は特に子供ができて辞めることもありますよね。

アーユルヴェーダを個人的に習っていた時期があったんですが、そこで「働くのも生きるのも大事にする」ことを学びました。働くのを100にして心身を崩すのもだめだし、まったく働かないのも健康によくないなと思います。

これから、働き方や生き方で私と同じように悩んでいる人のサポートができたらいいなっていう想いがあるので、そのためにまずは自分の心身の健康を整えることから始めたいですね。

ーー今日は色々お話していただきありがとうございました!

奄美の産業に関わりつつ、ライターとしてもスキルアップを目指すなつみさん。今後の活躍も楽しみです!

Twitter:@NatsumiArimura
note:https://note.com/natsumiarimura




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