好きなこと


人を名字に「君/さん」付けで呼ぶこと

私はサークルの同期や後輩、バイト先や職場の同僚を「○○くん」とか「○○さん」とか呼ぶのが好きである。
教授みたいな気分になれるから。もっと言えば世界一受けたい授業の堺正章みたいな気分になれるから。
サークルの先輩に私が同期のことをずっと君/さん付けで呼んでいることを指摘されてこの理由を説明した時、「あ、お前が上なんや」と言われた。先輩には、私が「君/さん」付けで呼ぶことで同期に対して謙っているように見えていたようだ。逆なのだ。
私はずっと「不遜」と「おめでたい」の2つの芸風でやっている。


日傘をさすこと

中2から日傘を使い始めたので、日傘歴は約10年になる。
太陽の方向に日傘を向けて、その日その時間に作れる最大面積の日陰を作れた時に快感を覚える。
これから日傘を始める方々には、100%遮光の日傘を強く勧める。
値段は高いけど涼しさと暗さが段違いなので。
ちょっと前までは日傘って「マダム」「女優」「優雅」みたいなイメージ持たれてたけど、この地球沸騰の時代、日傘差さないと熱中症になって死にますよ。
老若男女日傘差せ。


思い切って失礼な発言をすること

これが好きすぎるため特に年上と仲良くなれないことが多い。100%私が悪い。
無条件に人を尊敬するという精神的な習慣(?)が全くないのだ。こんな人間とは誰も仲良くしたくないだろう。マジで私が悪い。
あと私はどんなに真剣な話をしている時もちょけるので、これがたまに失礼と思われている気がする。
年上に限らず真剣な話をしている時にちょけられてムッとする人は結構いるし、その気持ちはよく分かる。私が悪いので怒ってくれて全然構わない。
ただ、私は話を聞いていないわけでも話を止めたいわけでもなく、その場でそのちょけを思いついてどうしても言いたかっただけなので、無視して真剣に話し続けてくれて全然良い。
そこに敬意も悪意もない。
敬意がないことに怒ってるんだろうけども。

この失礼なことを言ったり、あえて空気を読まない言動をする癖、基本的にはデメリットしかないのだが、たまにこれによって逆にめちゃくちゃ仲良くなれることもあるのでやめられない。魔的。
敬意とか全くなくただお互いを好きなだけの友人関係って素敵じゃないか?


あえて新しいものを真っ直ぐ受け入れること

私が生まれて育って大人になった2000〜2020年の20年間、日本社会では急速にネットが普及しオタクと呼ばれる人が急増した。
Twitterとオードリー若林的価値観が流行った。
暗くてどうしようもない人間たちが「陰キャ」という言葉を用い自虐を装って明るい人間のやることを腐し、市民権を得ようとした。というか、得たように思える。
気持ちの悪いことである。
オタクであること自体は別に結構なことだと思う。寧ろ良いこと。
才能も無ければ努力もできない人間が勝手にコンプレックスや自意識を肥大させて「オタク」や「陰キャ」という何の努力も無しに手に入れた自分を形容する言葉ではしゃいで自己ブランディングしようとしているのが腹立つのだ。
"アニメやネットが好きな何もない人間"で良いじゃないか。生きてるだけで価値があるんだよお前も他の人も。もっと自分のことを無条件に愛せよ。

陰キャムーブの流行の20年間で生まれて成人した私は、もう一段捻くれているため、陰キャムーブの流行への逆張りとしてClubhouse、Threads、BeRealといった新しいSNSに手を出し、旅行ではがっつりアウトドアアクティビティに興じている。ナイトプールだって行くし私服で腹も出す。実際楽しい。

↑これとはまた関係ない逆張りではあるが、SNSやコンカフェ界隈の女性たちが「かわいい女の子大好き」的な発信を絶えずしているので、私はあえて「かっこいい男大好き」「女には興味ない」という発信をしている。
一番大好きなのは自分のこういう(逆張りをする)ところ。

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