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番外編〜成人式

 突然ですが、私のプロフィール写真は成人の前撮り写真です。生きた証っぽくて気に入っています。

 いじめに遭った人間にとって成人式は行く場所ではありません。なぜなら誰ともなんの約束もできないので。成人式ってあれ、わざわざおめかしして偉い大人の話を聞きに行ってるいるわけじゃないでしょ?
同級生に会いに行ってるんでしょ?

 小学生の時はいじめに遭っていません。友達もいました。しかし、中学受験で地元から出ているので、その時まで連絡をとり続けるほど仲の良い子は2人ほどいたかな、くらいです。

そのうちの1人は自分が卒業した中高一貫校の同窓会には行くけれど成人式には出ないと言いました。その時点で私が成人式に行く意味はなくなります。

 式には出ないけれど、前撮りだけはちゃんとしようと決めていました。自宅に届く案内はほとんど全てが式に出る人用のレンタルプランなので全て無視し、着物を貸してくれて写真を撮ってくれるスタジオを自分で探しました。

 母だけが撮影を見に来ました。私には6歳離れた妹がいるのですが、先日妹が成人式の前撮りをしました。父、母、私に見守られながら撮影していました。ついでに家族写真まで撮りました。

 6歳も離れているせいか妹と私に対する親の扱いはかなり違うように感じることが多々あります。
6年という月日は親を老化させ、老いは子供に対して許容できないことを減らしていきます。

帰宅する時間、行動範囲、交友関係、親も物理的に精神的に追えなくなっていくのです。

 少し話がずれました。私の成人式の話に戻します。私の父は活発で外に興味を向けることが好きです。当時20歳になった私に興味などなかったと思います。無かったは言い過ぎですが、薄かったと思います。

 写真だけはきちんと生きた証として残しておこうと、撮った写真を全てデータ化してもらいアルバムもつくり、撮影を終えました。

満足でした。同級生や友達、誰ともツーショットを撮ることはできなかったし、家族写真も撮らなかったけれど、その時の私は満足していました。

 本来であれば、中高一貫校に通い続けていれば、卒業していれば、私にも成人記念同窓会に出席する未来がありました。いじめに遭った私には叶えられなかった夢です。

 叶えられなかったこと、数え出したら止まりません。数えきれません。そのひとつひとつを思い出すたびに涙が出ます。今でも信じられません。なぜ、ごく普通の人に与えられる権利まで奪われなければいけないのか。

 災害が起きた後、毎年その時期が近づくと「災害を風化させない、忘れてはいけない」とテレビショーが流れます。
なのにどうしていじめは「いつまで過去のことを言っているんだ」「前を向け、未来のことを考えろ」と言われるのでしょうか。

納得がいきません。
いつまでも過去に受けたいじめを振り払えない生き方は、いけないことなのでしょうか。

 いじめられても、いじめの傷を抱えながら生きていても、誰も助けてはくれません。誰も心の傷に寄り添ってはくれません。自分が大事に大事に傷口が開かないように手当てするしかないのです。寄り添ってくれないのは、そのような教育がされていないからではないでしょうか。「いじめを風化させない」テレビショーを見たことがありますか?

 毎年夏休みが明ける前、教育テレビで「学校に行きたくないなら行かなくていいここに電話しろ」という番組がやっているのは知っています。でも、あの電話、大丈夫ですか?死にたい人を救えるようにできてますか?私は実体験でとんでもない思いをしたのでもう二度とかけません。

 誰が救ってくれるんでしょうか。誰も救ってくれないのです。逃げるしかない。逃げた後も、記憶が追いかけてきます。体が覚えています。それでも生きています。えらいでしょ。

生きてるだけで偉い。これを忘れずに。
明日からも生きた証を残せるように。
成人の写真は私が生きた証です。


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