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いじめの記録

 私が受けたいじめの記憶、いや記録と言った方がいくらか軽いだろうか。それらを書いていこうと思う。これは自分自身の中で整理をしたり、こんなに酷いことに耐えたんだなと自分を励ましたりする意味と、今現在いじめに遭って苦しんでいる人、かつていじめに遭って苦しみが続いている人、いじめを目撃しているけれど何もできないでいる人、いま人をいじめている人、全ての人に現実を伝えたいという気持ちからだ。

 私は中学受験をして中高一貫の女子校に通っていたという話を以前した。そこでのいじめの始まりは「内部」「外部」だった。A女学園には幼稚園から校舎がある。幼稚園小学校と所謂エスカレーターで上がってきた人たちと、中学校から入ってきた人たちはそこで区別されるのだ。よく聞く会話で「〇〇ちゃんは外部?」「〇〇さんは内部だから」なんてのがあった。馬鹿らしいでしょ。私は当時からそれが馬鹿らしいと思っていたし、関係ないと思った。その子がエスカレーターだろうが受験組だろうがその子はその子だ。気が合うか合わないかそんなことで決められてたまるか。でも、中学生というのは多感な時期で、長いものに巻かれ、自分の本心を隠さないと平穏に過ごせない。まるでひっくり返ったまま起き上がれないカナブンのようにもがいて生きていた。人と違う行動は悪目立ちし、目立つグループの子たちから目をつけられる原因になる。それなりに偏差値が高く頭のいい子が多かったからその食物連鎖の中で生き残るのは壮絶なものだった。そして私はその戦争に負けた。1人で。一対集団だから戦争にもならないだろう。これがいじめだ。

 始まりはクラス内で、目立つグループの子達から陰口や私の好きなアイドルの悪口を言われるようになった。先生に相談したら「あなたの悪口を言ってる訳じゃないんだからいいでしょ」と言われた。どうだろうか。推しがいる方、好きな人がいる方、家族でもいい。自分以外の自分を支えている大事な人の悪口を言われたら自分の悪口を言われるよりこたえるという人も多いのではないか。しかもそれが私に対する悪意丸出しだとわかっているのに。感じない訳ない。察する、感じる、その能力に長けた日本人なら容易なことだろう。

 クラスでいじめに遭うと、部活でも連動していじめに遭った。これはなぜか。そう、ここで「内部」「外部」の組織図が現れる。内部はクラスの壁を超えて繋がっているのだ。信じられないくらい怖い話だと思う。部活では無視、無視、とことん無視。中1で入っていたバトミントン部を怪我が理由で辞めて、中2から友達に誘われたコーラス部に所属していた。電子オルガンのセットの仕方、先輩と後輩の座る場所の違い、夏休みの練習の頻度、何もわからなかった。聞いても誰も教えてくれなかった。そこに私はいなかった。どこにもいなかった。

 お弁当を食べようと約束した場所に友達は来なかった。一緒に帰ろうという呼びかけはどこにも届かなかった。休み時間の私の机の周りには同級生が固まっていて座ることすらできなかった。座れたと思ったら思いっきりぶつかられた。本の世界に閉じこもった。それでも彼女たちは私を傷つけることをやめなかった。それは中3になってクラスが変わっても同じだった。同じ現状を確認して私は転校した。

 いつだって希望を持っていた。もしかしたら部活では、クラスが変われば、担任が変われば。全て無駄だった。私の可愛い些細な希望はことごとく打ち砕かれた。

 ここまで書いて思い出した。部活で問題が起きた時があったのだ。当時アメーバブログが流行っていた。コーラス部の同輩の部員がそのブログにモザイクをかけた林間学校の写真を載せた。カトリック系の厳しい学校だったので、制服の姿をSNSに載せることは禁じられていた。それを部員の誰かが見つけた。アップしたその子はブログに鍵をかけていて、私はその鍵を承認してもらっていた。同輩のリーダーをしていた子が私に言った。「先生にこれを見せて報告してほしい。私たちのために」と。なぜ私だったのか、鍵を承認してもらっていたのは今思えば私だけではなかったはずだ。でも私はその時、「これに協力すれば仲間に入れてもらえるかもしれない」と思った。だから協力してしまった。
 
 その後どうなったか。一時期だけブログにアップしてしまった当事者は責められた。しかし一定期間を過ぎると今度は"チクったやつ"として私に嫌悪の矛先が向いたのだ。ブログをアップした当事者は内部だった。その後その子は、何事もなかったかのように部活に溶け込んだ。意味がわからなかった。全てに絶望した。
 
 最後、私が学校を辞める時に校長が現れた。校長が現れたのはその一回きりだった。校長はシスターで「マリア様が守ってくださる」みたいな言葉とペンダントを私に渡した。何を言ってるんだか。ふざけるな。

 それから私はキリスト教が嫌いになった。「許しなさい」の教えも「許してたまるか」と思っているし、辛い時どんなに祈っても状況は悪化するばかりだったからなんの意味もないと思っている。神様などいない。
 
 これが私の中学3年生4月までの記録だ。ここからもう私の人生にいじめは出てこないと、普通なら思うのだろうか。ところが何故か転校先の公立中学校でもいじめに遭った。私から放たれる「人を信じられない負のオーラ」のせいだろうか、先述した様に、皆がもがいて生きている多感な時期だったからだろうか。続きは次のnoteで記すことにする。

 まだまだ続くいじめの生活をどう生き抜いたのか。この機会に振り返ってみよう。

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