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僕たちの「センス・オブ・ワンダー」

―どこかで朝が来たときには、どこかで夜が来る。どこかで春が芽吹き始めたときには、別のどこかで秋が訪れている。自分が悲しみに沈んでいるとき、どこかであたたかな喜びが育ち始めている。どんなに無駄に思えることであっても、意外な場所でだれかがそれを探し求めている。
 それほどこの星は広い場所なのだ。宇宙の片隅を横切る、小さな天体でしかないが、クラゲもキノコも、ヒトもウイルスも、イチョウもコケもワカメもミミズも……そのすべてを受け入れるこの地球は、どんな偉大な人間よりも、ずっとずっと懐が深い。

 「センス・オブ・ワンダー」の新訳。……というだけでなく、それに続く著者のエッセイ「僕たちの『センス・オブ・ワンダー』」が本当に素晴しい。京都の山間部で暮らしながら、二人のお子さんの感性を通じて綴られる虫やカエル、野山の草木との出会い、そして身近な自然への歓喜と畏れ……。静謐で、同時にあまりに瑞々しくて、何度も胸がいっぱいになってしまった。

―本書に込めた願いはひとつだ。この星に生まれたすべての生命が、ここに「きてよかった」と思える世界をつくりたい。
 そのために一冊の本にできることはわずかかもしれない。だが一匹のハチ、一本の木、一輪の花にできることもわずかなのだ。そのわずかな力が合わさったとき、どれほど偉大なことをなしえるか―それこそ、自然の驚異(ワンダー)というほかない。(あとがきより)

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地元では今日、米軍基地が開放され、朝から戦闘機が飛び交っている。青空に爆音が轟くたびに、逃げ惑う野鳥たち。うちの猫たちも、尻尾を丸めて家のなかに逃げ帰ってくる。この環境に対する粗暴さ、他の生命への共感力のなさ。センス・オブ・ワンダーの欠如、そのものである。

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