中根すあまの脳みその203

学校に行けなかった時期がある。
中学2年生の頃だ。
思えばそれが、私の人生においてはじめての挫折だったように思う。
学校に行けていないと、なんだか、自分だけ地面を歩けていないような気がした。
人と話すとき、常に嘘をついているような気がした。
好きだった音楽たちが、私の方を向いていないような気がした。
それが嫌で嫌で仕方がないので、今日こそは学校に行こうと誓う。
玄関のドアを触る。
そこで思い出すのだ。
ああ、だから、行けなかったんだ、と。
足を踏み出そうとすると、わけのわからないほど大きな、重い、なにか空気の塊のようなものが私の前に立ちはだかる。行く手を阻む。呼吸がしづらくなる。
これは、抵抗、だと頭のどこかで考える。
悔しくて苦しくて涙があふれてくる。

家族や学校の人たちに迷惑をかけているという自覚が強くあった。
きっと学校になんて簡単に行けてしまうのに、なんだかんだ理由を見つけてそれから逃げている自分が嫌だった。馬鹿馬鹿しかった。
甘えているだけだ。
これは、甘えだ。
明日こそは学校に行こう。
でも、行きたくないのは確かだ。
行きたくない。
でも、それは甘えだ。
家にいると、そんな思考の堂々巡りであった。

その時の自分のことを、かわいそうだとは思わない。
だってあれは、実際、甘えだった。
なにひとつ不自由のない生活、恵まれた環境、自分のことを大切に思ってくれる人たち、その全てが揃っている人間にしかできない、贅沢だった。
あの日々を取り返そうという意識が強くある。

高校生になって、舞台に立つようになった。
何の芸もないのに、やりたいという気持ちだけで、後先考えずに飛び込んでしまったのは幸か不幸か。今でこそ、間違ってなかったと言い切れるが、そのことを呪った期間は長かった。
怖いもの知らずのフリー期間を経て事務所に所属し、今までに出演したことのないライブに出演したり、オーディションを受けたりして、じわりじわりと気づいたのは、私は人前で何かを表現することが苦手だということだ。幼い頃から目立ちたがりで出しゃばりだった私にその自覚はなかった。盲点だった。私は、人前で自分の考えを話すことは得意でも、己の体や顔の動きをもって何かを伝えるということができない。できない、というか、分からない。達者なのは言葉だけで、他の感覚が驚くほどに鈍かった。ちょうどその時期に入部した演劇部の活動でも、その事実が浮き彫りになってゆく。
自覚してしまったらもう、私の脳みそはその事実に何重にも縛り付けられて身動きが取れない。怖いもの知らずが、怖くないもの知らずに変身してしまった。

過度な自覚は怯えだ。
それから私は、舞台に立つことのみならず、人前で何かを表現することそのものに恐怖を覚えるようになり、ひとりで練習をすることさえもできなくなってしまった。
足を踏み出そうとすると、わけのわからないほど大きな、重い、なにか空気の塊のようなものが私の前に立ちはだかる。行く手を阻む。呼吸がしづらくなる。
これは、抵抗、だと頭のどこかで考える。
悔しくて苦しくて涙があふれてくる。

だけど、それは甘えだ。

なぜ、やめないのかと考えていた。
もちろん、強い憧れはある。好きだからだと言ってしまえばそれまでだ。
しかし、それ以上になにか、
許されたい、という気持ちがある気がした。

私は負けず嫌いだから、できないことをそのままにしておきたくないのだと、そう人に話すようになったのはいつからだろうか。
私はいつから負けず嫌いになったのか。
苦しいだか悔しいだか言いながら、すごすごと部屋に戻っていく中学生の自分が、客観的な視点で脳裏に浮かぶ。
私が負けたくないのはきっと、あの日の自分だけだ。
中学生と高校生。
ふたつの挫折は私の中で結びついていて、舞台に立てない自分を変えることが学校に行けない自分を変えることだと、どこかで信じていることに気がついた。
そして、困らせてしまった人々に、許されたい。

と、まあ、若干ネガティブなニュアンスを漂わせてしまったことを反省したい。
人っ子ひとりいないバイト先で暇つぶしに過去を回想していたら、自分でもびっくりの新発見があったので報告したい、という程度の話である。
きっと私はこれからも懲りずに続けてゆく。
裏方に徹したほうが身のためだと、鼻血が出るくらいに痛感したとしても。
私は、負けず嫌いなのだ。
生暖かく見守っていただけるとうれしい。

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