中根すあまの脳みその196

私は、問いたい。
ただただ、問いたい。
声を大にして、問いたいのだ。

1日に水を2リットル以上飲め。
世の、美容意識が高い方々は口を揃えてそう言う。1ヶ月で15キロ痩せた人、肌が透けるように綺麗な人、華麗な垢抜けに成功した人、インターネット上にはそういった、美しくなることに命をかけ、その経験の数々を提供してくれる美容意識の高い方々が多数存在するが、彼らは皆、口を揃えて言うのだ。
水を飲め、水以外を飲むな、と。
耳にできたタコの数を数える。
10000000000000億個あった。

私にだって、美容意識というものにとらわれる瞬間はある。咄嗟に、人間離れした綺麗な肌や自力で折れそうな程に細い脚に憧れる瞬間だって、あるのだ。わざわざ”瞬間”と表現するのは、それだけ儚いものだということなのだが。
そういった時に、まずぶち当たるのが、水飲め論(水掛け論みたい)。そうだった、そうだった、水ね、水水。瞬間的な向上心に支配された私は、過去の記憶など忘れ、まんまとコンビニででかめの水を買う。
重い。
いやしかし、この重さこそ、美への第一歩。
そう言い聞かせ、力強く踏み出す一歩、二歩。
そして、飲む。
私はそもそも、意識しないと水分をとらない質なので、気を抜くとひとくちも飲まずに2時間も3時間も過ごしてしまう。
これではまずいと、脳みそに新しい引き出しをつくって、マッキーペンで”水”と書いた。
これで私の脳みそは、四六時中水のことを考える仕様となった。
こまめに水を飲む。なんだか、肌に潤いが漲ってくる(気がする)。中根すあまの美容生活、上々の滑り出し。きゃぴるん。

おっと。
一旦お花を摘みに行こう。
立ち上がったその時、脳裏によぎるは過去の記憶。美容意識に目覚めた、過去の私。その、憂鬱。
人間は、取り入れた分だけ排出する生き物である。水を飲めば、その分、お花を摘む回数が増える。当たり前のことだ。四六時中水のことを考えるということは、四六時中お花を摘みに行くことを考える、ということなのだ。どこへ行くにも、お花畑の場所を意識しなければならない。これでは、必要のない花束を何個もつくることになる。そんなに、いらない。

だから私は、問いたい。
美容意識の高い方々は、1日に何回、お花を摘みに行くのですか。
会話が盛り上がっている時に摘みたくなって困ったり、お花畑が近くにない時に摘みたくなって困ったり、そういった不便な思いはされていないのですか。
美というのは、そういった苦労とともに存在しているということですか。

ごめんなさい。私は。
お花を摘みに行く時間でできることが、たくさんあると思ってしまいます。

そこまで思い至って私は、傾けたペットボトルを真っ直ぐにする。
美は私にはもったいない概念だな。
まだ水が半分以上残っている、いつもよりいくらか大きなペットボトルをしばらく眺めて、苦笑いをした。

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