中根すあまの脳みその78

遠くで銃声が聞こえる。

ある程度距離はあるようだが、油断はできない。
重苦しい灰色の空、見覚えのない街並み。体にぴっちりと馴染んだ黒い戦闘服。
出ているはずの下っ腹が出ていないことから、私は大体の状況を察知する。
またか。
気怠くそう呟いた瞬間、パアンッともう一発、銃声が聞こえた。
音が近づいている。いずれにしてもここから逃げたほうがいい。そう考えて、私は足音を立てぬように意識しながら駆けだした。
いつもより明らかに軽い身体、いくら走っても息すらあがらない。予感が確信に変わる。
俊敏な身のこなしに我ながら感心していると、前から人影が現れた。
一旦路地に入ってその姿を確認する。中学校の頃の、吹奏楽部の顧問だった。撃たれたのか、左肩が血に染まっている。かつて吹奏楽部で部長を務めていた頃、価値観が合わないこの顧問に対して、何度憎しみを感じた事か。それでも、その傷の痛々しさに、強い同情を覚える。
肩を庇いながら、苦々しい表情で走り去っていく彼女のうしろからは、数人の気味の悪い足音が連なっている。私は慌てて、路地を深く進んでいく。
相手の気配に細心の注意を払いながら辺りの様子を窺っていると、ひとつのことが分かった。
それは、この場所では私が今までに出会ったすべての人々が、何か凶悪な集団に命を狙われているということだ。
吹奏楽部の顧問の他に、小学生の頃に給食のおかわりをめぐって白熱のバトルを繰り広げていた同級生や、高校生の頃に一番初めに私に声をかけてくれた軽音楽部のドラム担当の先輩など、ありとあらゆる場所で出会った人々が、無差別に傷を負わされ、ひどい場合には命を奪われていた。強い怒りと悲しみが胸を締め付ける。敵の正体は見当もつかないが、絶対に許してはいけない存在であると、確信する。
今にも雨が降り出しそうな不穏な空に、鋭い銃声が響き渡る。その音は徐々に頻度を増しているようだ。私は考える。このまま逃げるか戦うか、それともこの世界ごと放棄するか。このような状況に立たされた時、私の下す判断は毎回決まっていた。私は息を一つ吐くと、いつもより幾分か細い自分の身体と、どれだけ走っても疲れない豊かな体力に別れを告げ、目を閉じ…
ようとしたその時、敵のものとは違う銃声が、連続して、長く、叫びをあげた。
私は顔を上げる。そこにあったのは、信頼してやまない友の顔だった。
といっても、どこの誰なのかは分からない。薄暗い空の色と顔全体に広がる傷跡のせいで、人相が確認できない。それでも、その人物が自分の強い味方であることは、絶対的な確信をもって判断できた。
その人物が銃口を向ける先には、いつ現れたのかわからない、黒い集団(例えるならば『名探偵コナン』に登場する犯人のような)が、同じく銃を構えてそこに存在していた。友人は私に目配せをする。それはおそらく「共に立ち向かおう」という意思であり、私は頷くと、立ち上がって敵の前に姿をあらわした。もちろん、腰に備えていた銃を素早く構えながら。
私はなぜだか、この目の前にいる正体の分からない敵を、何があっても許してはならないという恐ろしく強い使命感に駆られていた。それはもちろん、私の大切な思い出が詰まった人々を
容赦なく傷つけたことへの怒りでもあるが、それだけではない、何か壮大な思いが私を突き動かしているのだ。
左手に力を込め、引き金を引こうとしたその時、私の隣で何かが崩れる音がした。
ドサッと、まるで命など初めから存在していなかったかのように無機質に崩れ落ちた、私の心強い友人は、私に向かってそっと微笑み、そのまま動かなくなった。
物凄く熱い何かが、私の目やら喉やらを張り裂けんばかりの勢いで駆け巡る。どうしようもない絶望。だが、そんなことなど気に留める様子もなく、容赦なく飛んでくる弾丸。
どうせこの世界もいつものあれなんだったら、今すぐに放棄しよう。多少疲れるが、目を閉じて力を込めれば、こんな理不尽な世界などすぐにやめてしまえるのだから。そう自分に言い聞かせる。
しかし、瞼は閉じようとはしない。私と時間を共にした多くの人々の無残な姿と、私に立ち向かう勇気をくれたあの友人の最後の微笑みが脳裏をよぎる。
湧き上がるのは敵意か、殺意か。身体が燃え上がってしまう程の熱い意志が、私の左手に力を与える。
引き金を引く。鼓膜を劈くような銃声。圧を受けた肩が悲鳴をあげるが、私は構わず撃ち続ける。
それを合図に、降り注ぐ弾丸の雨。敵も攻撃を始めたのだ。避けきれなかった弾が、脛や腕を貫通していく。あまりの痛みに気が遠くなる。なんとか引き金を引き続けているが、もう弾も多くないだろう。勝つことはできない。それでも、この意志を貫くために。

恐れていた瞬間は、当たり前のように訪れた。
敵が放った弾のひとつが、私の心臓の数ミリ違わぬど真ん中を撃ち抜いたのだ。
薄れゆく意識の中で、私は達成感と充実感に包まれていた。いつもは放棄していたこの世界と、まっすぐに向き合えたことに対する喜び。幸福な気持ちのまま、私は目を閉じた。

私は目を開ける。
身体を動かそうとした途端に走る痛み。ベッドの端っこで、なにかを避けているような態勢で眠っていたせいだ。腹を触ってみると、当然のように突き出ている。やはり、いつもの、“サバイバル悪夢”だ。
いつもは、それが“サバイバル悪夢”だと判断した途端に、夢の世界から脱出しようと試みるのだが、今回の私は何故か立ち向かっていた。それが現実世界における何かの暗示なのか。
分からないけど、謎の充実感に包まれた私は、幸福な気持ちのまま目を閉じる。
次は平和な夢をお願いしますと、そう呟きながら。


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