中根すあまの脳みその187

降り立ったのが、ホームに簡易的なそば屋があるタイプの駅だったとき、私はいつも困ってしまう。
あの出汁の香りの魅力的なこと。
出汁、というと限りなく優しく、人を穏やかな気持ちにさせる作用があると認識しているが、それも、“今はその恩恵にあずかれない“という事実だけで、ここまで悪魔的な存在に成り代わってしまうのかと、握った拳を震わせながら思う。
だいたい、ホームでそばを食べていられるほど余裕のある生き方をしている人間など存在するのだろうか。存在するのだろうが、私の中ではかなりのレアキャラだ。
帰り道にふらっと入るのだろうか。
そう思って、そのつもりで一日過ごしてみても、帰路についてしまった私はもう、一刻も早く家に帰ることしか頭にない。
一生縁がないような気がする。

ホームを歩く私の腰辺りには、いつもあいつがいる。
最も使用頻度の高いショルダーバッグのチャックの部分に下げられた、あいつ。
無防備にしているとぴょんぴょん跳ねて悪目立ちするので、肩紐をくぐらせて鞄と私とのちょうど間に入るような形に調整している。そんな工夫をしてまでこいつと一緒に生活している意味が分からなくて、今これを綴りながら少し恥ずかしくなった。

好きな漫画のキャラクターなのだが、知名度が高いわけではないので、いつも人に、それは誰?といった意味のことを聞かれる。
そのたびに、こういう漫画のキャラなんですけどね、えへへ、と返答するが、いつだって相手は微妙な顔で話題を他に移してしまうのでなんとも言えない気持ちになる。

ある程度の大きさ、存在感があるそいつは、電車にのるとしばしば隣の人の陣地にまで乗り出してしまうことがある。そうならぬよう気を付けているが、その配慮が足らなかったときには軽く会釈をしながら、そいつをなるべく私側にひきよせる。
隣の人の心境を考える。
まず、このキャラクターはどこの誰なのか。これはやっぱり問題になってくるだろう。
そして、この人はなぜ、どういった気持ちで、生活に多少の難を生んでまで、鞄にこれをつけているのだろうか。
そう思っている気がしてならない。思っていない。そう、これは完全に私の自意識過剰なのだが、そう分かっていても、隣の人の存在を通して自分に問うてしまうのだ。
なぜ自分はこいつと日常を共にしているのかと。

まあ、こいつのことは好きだ。
好きなキャラクターを鞄につけることになんら不思議な点はないはずなのだが、おそらくこの鞄と私の生活とこいつの存在があまり噛み合っていないから、そういった疑問が生まれるのだろう。
こいつの存在を排除したら、私の生活の利便性は0.005パーセントくらい上がりそうだ。

だけども。
思い出すのは、派遣のバイトで出向いた先の、完全アウェーな空間の中に置かれた私の鞄。
どぎつい色合いのこいつと目が合ったときのあの、肩の強張りをほぐすような間抜けさ。
そう、いつだってこいつは空間に馴染まない。
異質な存在で在り続ける。それに助けられた自分がいた。
私とこいつとの日々は、まだしばらく続きそうである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?