中根すあまの脳みその208

置き去りになったナスの馬が、灼熱の太陽に焼かれて美味しそうになっていた。
見た目はもう、焼きナスである。大根おろしを添えたくなる。
空を仰ぐと濃い青をしていて、秋の気配を感じた。そういえば秋もまた、良い季節だった気がする。昨日は過ぎ去る8月が悲しくて、名残惜しくてしかたがなかったのに。
去年も同じようなことを考えた記憶が微かにある。

どうでもいいが、ここまでで”去”という漢字を3回も使っている。

最近よく考えるのは、
頭の中を巡る思考など本来、すべてなくてもよいものなのかもしれないという事である。
私はそもそも頭の中が雑然としている人間で、それらひとつひとつと向き合うことに苦労し、また、楽しみながら過ごしてきたのだが、時にそれが仇となり、視野を狭めてしまうことがあった。
しかし、考えてみれば、
世の中に”こうでなきゃいけない”なんてことはひとつもない。それらは所詮、自分の意地や拘りがつくりあげた幻にすぎない。
そこまで考えたとき、ふたつの異なる感覚を覚える。
ひとつは、体がふわっと軽くなるような感覚。
もうひとつは、それまで包まれていた柔らかな毛布が剥ぎ取られるような感覚。
極端なふたつの感覚が私を混乱させる。

ぐちゃぐちゃとした思考は、私の敵であり、親友でもあった。
私が本当にそれを手放した時、それはもはや私ではないような気がする。変化があるだけで、ちゃんと私のままでいられるような気もする。
私を私たらしめているものとは。

にゃー。
険しい顔で歩く私を訝しむように、近所の野良猫が現れる。
可愛い。
考えなくて良い、ということを、考えすぎて
いては本末転倒だ。
私はしばらく猫について歩くことにした。

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