中根すあまの脳みその186

耳に差したイヤホンが反抗期である。
こんなところに入るまいと、いいなりになるもんかと、リーゼントのヤンキーばりに全力で反抗してくるのだ。
なだめきれず、呆気なく床に叩きつけられる、右。右側のイヤホン。
少し前からもう、この流れを何度も繰り返している。さすがに不毛なので、左も外してケースにしまった。
ここまでサイズが合わないなんて、イヤフォンの歴史の中で初めてではなかろうか。
そうだ、そうだった。
だから、このイヤホン、使ってなかったんだ。
なぜ使っていなかったのかを忘れ果てて、なんとなく、このヤンキーイヤホンに手を差し伸べてしまった己を恨んだ。

ライブの帰り道である。
ネタ中、噛んでしまって、悔しい。
ひさしぶりに、噛んだ。
人間が、舌がもつれると噛んでしまう生き物だということを忘れてしまうくらいに、久しく噛んでいなかった。
しかし、気持ちはそこまで沈んでいなかった。

これまでのわたしは、舞台上で"噛む"ことを、もう、それだけで犯罪行為と同等の重みがあると捉えていた。なんていうかもう、悪、だと。
その認識は間違っていないし、持っておくべきである。今日は、油断していた。
しかし、会話中に噛んでしまうことは日常生活の中でもよくある。今日のわたしは、噛んでしまった後に、あたかも、日常生活の会話の中で噛んでしまった時のような対応をしていた。その後の進行に支障をきたさなかった。そのことに、なんだか満足している。

ここでひとつ、訂正したいことがある。

人間が、舌がもつれると噛んでしまう生き物だということを忘れてしまうくらいに、久しく噛んでいなかった。

などとほざいていたが、思い出すと、わりと軽いノリで、噛んでいたような気もする。
その他の反省点が多すぎて、噛んだことを忘れていたのだ。
舞台の上で息をすることへの恐怖が、だんだん薄れてきていることを、心から嬉しく思った。
そして、怖いのに続けていることをあらためて滑稽に思った。

お芝居が上手な人は、舞台上で息をするのがうまい、と思う。
いつもと同じように、息を吸って、吐く。
そうすると、その場の空気がその人のものになる。
大きく口を開けて空気を食べる。
それが、上手い人のお芝居だと思う。
だから、人前に出るときには、自分が空気を食べている姿を想像する。
最近ちょっと、空気がおいしくなったように感じる。

それにしても、"噛む"という表現は少しおかしくなかろうか。
実際にはどこも噛んでいない。
舌を噛む、みたいな要素から来ているのだろうか。事実より少し、痛そうである。
そんなことを考えながら、帰路につく。

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