中根すあまの脳みその80

ピンチは突然やって来る。
時刻は夜8時、風呂場にてそれはやって来た。

近頃私は、湯船に1時間浸かると決めている。着々とその質量を増している己の下っ腹に、なんとなく効きそうな気がするからだ。500ミリリットルの水を持ち込んで、それを飲みながら、携帯でしょうもない動画をみて暇をつぶす。水を飲むのは、なんとなく肌が綺麗になりそうだからだ。効果は全然実感できていない。
大量の汗をかきながら、やっとの思いで1時間乗り切った。まとわりつくお湯で幾分か重くなった体を気合いで起こし、その面倒くささに顔をしかめながら全身の洗浄作業に取り掛かる。洗っても洗っても、まだ足りないような気がするのが、この作業の嫌なところだ。終わりがない。自分で終わりを決めるのは難しいことだ。
化粧落としで化粧を落とす。そのついでに顔の至る所をぐりぐりとマッサージ(と言えるほど立派なものではない)する。なんとなく顔の余白の部分が狭くなりそうだからだ。もちろん、効果を実感したことはない。今日は、落ちにくいマスカラを使ってまつげを製造したので、そこだけ多めに化粧落としをこすりつけるが、なかなかまつげは消えてくれない。それもそのはず、本来ならこの手のマスカラは専用のリムーバーを使って落とすものだからだ。基本、金遣いが荒いのに、変なところでケチな私は、心の奥底で「こんなの気合いで落とせるだろう」と思っている。その、わけのわからないプライドが、後の自分を滅ぼすことなど、ドラッグストアで財布の紐を固く結び直していた私には知る由もなかった。
どうしてもマスカラの繊維が落ちないので困る。でも、もう一度化粧落としを使うのはどうしようもなく億劫だ。そこで私は、洗顔料で落とすことを試みた。化粧落としも洗顔料も、「顔を綺麗にする」ために使うものという点においては共通している。たぶんいけるだろう。私は、いつもより念入りに瞼のあたりをなでる。マスカラが完全に落ちたような気がする。ほら言った、人間は利便性を追求するあまり、無駄に道具を増やし過ぎているのだ。マスカラ専用のリムーバーなんて、本来この世には必要のないものなのだ。
勝者の気持ちのまま、シャワーで洗顔料を流す。よし、風呂から出たら冷蔵庫に常備してある、あのジュースを飲もう。長いこと湯船に浸かってあたたまったからきっとうまいぞ¬~。そんなことを考えながら、顔についた水を払って瞼を上げる。

その瞬間、ピンチは突然やって来たのだ。
頭の中が真っ白になるほどの、鋭い痛みが私の眼球を貫く。瞼を下ろさざるを得ない。目の前が闇に包まれてもなお、痛みはおさまらない。おさまる気配など一切ない。呼吸することさえ苦痛だ。心臓が不自然に大きく脈打っている。どうしようもなく私は、地団駄を踏む。
洗顔料が大量に目に入ったのだ。どうやら洗顔料と化粧落としは全然違うらしい。私は、数秒前のあまりにも能天気な自分を激しく呪った。
カラーコンタクトレンズの常用と、ブルーライトの浴びすぎで弱った眼球が悲鳴をあげている。
その時私は、冷静にこう思った。
もう一生、光を目にすることはないかもしれない、と。
しかし、私はあきらめなかった。なぜなら私にはまだ、見たい景色がたくさんある、嫌と言うほどたくさんある。こんな間抜けな理由で光を奪われるわけにはいかないのだ。
ぎりぎりと歯を食いしばりながら、瞬きを繰り返す。痛い。とてつもなく痛い。涙が、幾度も、幾度も流れてくる。だが、それでも、それでも…

ピンチは突然やって来る。
それは、信じがたく、恐ろしく、我々人間を絶望の淵へと突き落とす。
しかしそれを乗り越えることによって、我々人間はひとつ大きく成長することができるのだ。
ピンチなくして成長はない。
ドラッグストアのレジに並びながら、私は、そう心に深く刻み込むのだった。


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