うらうらうら

桜って、別にピンクじゃないじゃないですか。あれ、本来、白なんですよ。まあ、ピンクの桜もありますけど。でも一般的な、所謂、桜です。あれは、白い花です。

テレビの中で、最近売り出し中の女性タレントが力強く、それはもう力強く、そう話していた。周りの人たちは呆気にとられたあと、一斉に笑い出した。関西弁の芸人が、なにをいってんねん、そんなんどうでもええねん、とツッコミを入れているが、その人のしゃがれた声、周りの笑い声、煌びやかなセットや衣装、人間という生き物の不揃いな造形、その全てが煩くて、どこか知らない星の、知らない、言葉に似た何かを聞いているような気持ちになった。
桜に妙なこだわりをみせたそのタレントは、口を一文字に結んで、じっとその場に存在していたが、明らかに浮いていた。足ではない、足はしっかり地面にくっついていたが、存在が浮いていたのだ。まるで、宇宙人に遭遇してしまった地球人の、いちばん最初の顔のようだった。彼女の方が宇宙人ではない。なぜなら、僕も同じように浮いていたからだ。口も一文字に結んでいる。彼女と僕は、その場において同種であった。地球人であった。
僕も、桜を示す時にピンク色を使うことに、違和感を覚える。ひとつひとつは白だけど、集まることで薄いピンク色になるんだよ。幼い頃、首を傾げる僕に母はそう言ったが、結果、僕の首はピサの斜塔のように、さらに傾くことになった。

庭で育てている星屑をバターで軽く炒めただけの、手料理というにはあまりにも粗末な夕飯を、砂糖水で流し込む。テレビは惰性だ。別に観たいわけじゃない。でも、観たい。この気持ちに名前はない。画面の中の桜の彼女は、関西弁の芸人に、不思議ちゃん、尖っている、と次々とレッテルを貼られていく。彼女は笑っていたが、僕にはわかる。彼女はもう、諦めている。会話をすることに。きっと、もう駄目だった。彼女に味方はいない。大衆は、理解できないと笑い、個人は、あざといと軽蔑する。その中間は存在しない。どっちかだ。
うっかり、庭で星屑を育てていると話すと、人は笑った。その次に軽蔑した。キャラクターを作り込んでいると決めつけて、馬鹿にした。ほんとうなのになあ~。100円均一で買ったやすっちい、ままごとのようなお椀を眺めながら呟く。

僕には表だった。
星屑の栽培方法を、教えてあげても構わない。むしろそうしたいくらいだ。そうさせてくれ。
だけど人にとってそれは裏だ。
裏は理解できないし、信じられない。間違っている。ダサい。どうやらそういうことらしい。
では、僕にとっての表が裏なのか。しかしそれでは、裏が表になるし、表が裏だ。

己の本当の、逆の逆の逆の逆の逆の逆の逆の逆の逆の逆の逆の逆の逆の逆の逆の逆の逆の逆の逆の逆の逆の逆の逆の逆の逆の逆の逆の逆の逆の逆の逆の逆の逆の逆の逆のぎゃくのぎゃくのぎゃくのぎゃくの、はあ、疲れた。

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