「おぞましい」


言うなればそれは「おぞましい」であった。
その言葉のもつ意味の全てが、そこには広がっていた。今まで、現実世界においてそういった場面に遭遇したことがなかった。その言葉を表現するためにわざわざ拵えた創作物でしか、その感覚を得たことがなかったのだ。これほどまでに相応しい光景が存在するのかと、脳みその中に僅かに存在していた氷のように冷たいその部分でのみ感嘆の声を漏らしていた。それ以外の部分はもう使い物にならない。何かを考えることがもう、できない。開いたドアの、おそらくストッパーの部分をそのままの勢いで蹴り飛ばし、鞄を持って外に出た。犯罪現場を反射的に写真に捉える人間がいるが、あれはどういうことなんだろう。極度の「おぞましい」と対峙した時、人間はおそらく猿と同じで、まあ、極度の「おぞましい」を湛えている人間がもうすでに猿と同じなのだが、本能に則って動くことしかできない。写真を撮るという行為はあまりにも人間的だ。何か訓練でも受けているのだろうか。何の訓練も受けていなかったので、その一歩、一歩、で憎悪の感情を発散させるような乱暴な足取りで出口に向かうしかなかった。「おぞましい」「おぞましい」「おぞましい」「おぞましい」「おぞましい」「おぞましい」
踏み出すたびにそれは、まるで、某ネコ型ロボットがポケットから取り出す、饅頭を倍にしてしまう薬の威力を得たかのように増幅し、増幅し、宇宙に飛ばしてしまいたくなった。そんな中でも、あなたはどこのだれでなぜ去るのですか、と聞かれると、愛想の良い笑みを浮かべて、嘘の理由を説明していいた。それもまた「おぞましい」。外の空気に触れると、解放感を覚えると共に、追われているような感覚に襲われた。何に。「おぞましい」に。振り払う。走る腕と脚でそれを振り払う。気づくと路上で歌う女の前に立っていた。どうせすることがない。それならば、こんな物騒な時間に物騒な地で、たったひとり歌を歌うその強さを見ていたかった。つまらない曲だった。メロディがまるで頭に入ってこない。何も感じない。それが良かった。体の中で鬱々とひしめく「おぞましい」がその音に熔けていくような気がした。彼女の声は物体として成立していた。形があった。その形を見せるために存在している曲だというのなら、納得ができた。それからどれくらい時間が経っただろう。そろそろ終わりにすると、彼女はこちらを見て言った。目が大きかった。あまりにも大きかったので、意味もなく、目が大きいですねと言い、1000円を置いて、その場を去った。携帯の充電がなくなっていた。漆黒を映し続ける画面に嫌気がさして、コンビニで充電器と缶チューハイを買った。注意深く確認したはずなのに、充電ケーブルが携帯に刺さらない。舌打ち。最近舌打ちが上手くなった気がする。買った充電器を地面に投げつけ、メリメリと踏み潰したい衝動を深呼吸で宥め、何処へ行くでもなく歩き出した。後ろから声をかけられる。ふたりの男。若すぎる。子どもだ。カラオケに行きたいと馬鹿の一つ覚えみたいに繰り返している。あまりにもしつこいので、さっきそこから逃げてきたのだと話す。瞬間、男は虚をつかれたような顔になる。しかしすぐに偽物の感情を顔に張りつけ、俺たちがどうしても行きたいんだよ、と言う。気持ちの悪い笑顔。いや、笑顔が気持ち悪いことはないはずなので、ここは、気持ちの悪い顔、でいいだろう。一息に言う。歌いたいならその辺で歌えば、金、払うどころかもらえるかもよ。脳裏によぎるのはひとりで歌い続ける女の姿。男、再び虚をつかれたような顔をする。数秒前より長いその時間を利用して、走って逃げた。少し空が明るい。駅の中に入った。入ってから、携帯の充電がない事を数十分ぶりに思い出す。仕方がないので、構内のコンビニが開くのを待つことにした。隣に人。漆黒のみを映し出す携帯を持っている。どちらからともなく話し出して、気づけば世間話をしていた。その男は、芸人だと言う。芸人という生き物は不思議だ。己に芸があるのかどうかなんて死ぬまで分からないのに、芸人を名乗る。滑稽な生き物だ。滑稽で愛おしい生き物である。真似ができない。どうでもいい会話を、何を思うでもなくただただ続けているうちに、辺りが活気で満ちてくる。朝だ。太陽を見ずとも分かる。男はおもむろに立ち上がり、コンビニの自動ドアを手動で開けると、中にいる店員に話しかけた。もう開きますか。開店直後のコンビニに入るのは初めてだった。充電器と、おにぎりを買った。店を出てすぐケーブルを携帯に刺そうと試みるがまた駄目だった。感情が何周もして、なんだか清々しかった。必要な無駄遣いだったと言い切る。必要な無駄遣い、そんな言葉はない。おにぎりを口に運んでから、前の日の昼から何も食べていないことに気づく。気づいた瞬間にとてつもない主張を始める空腹。おにぎりは腹に吸い込まれてしまった。結局、追加でおにぎりをふたつ買うがそれもすぐ吸い込まれてしまった。始発に乗る。朝の光に包まれた時、あの「おぞましい」の顔を見た。隣にぴったりとくっついて座っている。結局、連れてきてしまったのだ。黒い服についた汚れは一見目立たないが、太陽の光に晒されるとまた違った存在感を誇る。深い闇の中で感じた、刹那的な「おぞましい」は形を変え、慢性的で日常的な「おぞましい」になった。消えないのだ。例えその存在が薄れゆこうとも、消えることは、ない。朝の絶望はたちが悪い。電車から最寄り駅に降り立つ一歩は鉛のようで、なかなか進めなかった。


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