ばっきゃろー

太陽の光は人間の体に深刻な健康被害を与える。

人気バラエティー番組の放送が打ち切られ、突然始まったよくわからない記者会見で、知らない外国人がそう言った。科学者らしいその人が、けたたましいシャッター音の中で語った研究成果は、小学校5年生の理科の授業から徐々についていけなくなった僕にはさっぱり意味が分からなかった。だからといって、この前の科学のテストでクラス1位をとった坂本にはそれが理解できたのかというと、きっとそうではないだろう。
みんなわかったふりをしているだけで、本当は誰ひとりとしてわかっていないのだ。

科学者の記者会見が終わると、今度はこの国でいちばん偉い人がテレビの画面に現れた。こんな顔だっけ?などと呑気なことを思いながらぼーっとその顔を眺める。彼の口調は飄々としていて、そのせいか発せられる言葉に現実味がない。どうやら僕たち地球人はこれから、太陽の光を避けて暮らさなければならないらしい。わけがわからなすぎて何も思わなかった。

翌朝、着信音で目が覚める。めったに耳にしない、メールの着信を知らせるほんのり不気味な音。
覚醒しきっていない、ぼんやりとした頭のままそのメールを読む。これから数日間学校が休みになる、ということだけがかろうじて分かった。それならもう一度眠りにつくかと布団にもぐると、今度は部屋のドアを叩く音。うーい、と返事をすると、身支度を整えた状態の母親がそこにいた。

「どしたの、こんな早い時間に」
「ニュース見てない?はやくあそこいかなきゃ、えっと、ほら、ペンギンのキャラクターの、やたら安いとこ」
「…ドンキ?」
「そうそう、そこ!駅前にあるよね?」
「あるけど」
「じゃ、お母さん行ってくるから。太陽が出る前に」
「あー、太陽」
「あなたもちゃんとニュース、見ときなさいよ?これからどうなるかわかんないんだから」
「ういー」

ばたばたと家を出ていく母親。
なんだか目が覚めてしまったので、リビングに移動し、言われた通りニュースを見ることにした。
とくに拘りがあるわけではないが、なんとなくいつも見ているニュース番組にチャンネルを合わせると、わざとらしいほどに深刻な顔をしたアナウンサーが一瞬映り、中継先へ映像が切り替わった。そこには、見慣れた風景に、見慣れない人だかりが映っている。たった今母親が出かけていった、駅前のドン・キホーテだった。レポーターは、そこにいるひとり、母親と同年代くらいの女の人にマイクを向ける。
暫く見ていると、人々がなぜドンキに殺到しているのかが分かった。目的は“全身タイツ”だ。
地球環境の破壊により強い毒性を有した太陽の光から身を守るためには、まず皮膚を守らなければならない。全身の皮膚を隙間なく保護するために、最も手軽で効率が良いのが、バラエティー番組や宴会などで活躍する、あの間抜けな“全身タイツ”であるとSNS上で影響力のある誰かがつぶやいたらしい。僕は、嘘だろ?と思った。スタジオで話す有識者いわく、全身タイツで太陽光による害を完全に防げるわけではないが、何もないよりはその方が良い、やむを得ず外に出る場合は全身タイツを身に着けて、その上に服を着ることをおすすめする、と、まるでコントのようなことを真剣な面持ちで話していた。

というのが、1年と少し前の話。
それからの僕たちの生活は、まるで寝つきの悪い日の夢のような奇妙さを伴い続けた。記者会見から数日経ったある日、誰もが知っているひな壇芸人が、太陽光を浴びすぎたことで皮膚や臓器に重大なダメージを負い、死亡した。彼は、番組のロケで日差しの強い日に長時間外で活動することが多かったという。このニュースは、太陽光の害についてどこか他人事だった国民たちを一瞬にして絶望の淵に追い込んだ。政府は、混乱する国民に全身タイツを配った。1世帯に2着。綺麗なレモン色をしたそれは、着てみると小さい頃にテレビで見た、ストレッチで子どもたちを救うあのヒーローを彷彿とさせた。それから、不要不急の外出が禁止され、長い長い巣ごもり生活がはじまった。
今もそれは続いている。はじめは、外出時のみの着用でよいとされていた全身タイツは、今では四六時中着るべきとされている。太陽が出ていない時間帯にもその害はあるという、またもや頭の悪い僕には到底理解できない研究結果が出てしまったからだ。学校の授業はすべて画面越しで行われ、家族以外の人と直接会う機会は極端に減ってしまった。同級生たちは友達や恋人、はたまた応援しているアイドルに会えないと悲しみに暮れていたが、僕はあまり困らなかった。人に会うのはいつだって楽しく、好きだったが、それ以上に嫌いでもあったからだ。

ただひとつ、重大な問題があった。
それは、納言先輩が文章を投稿するのをやめてしまったことだ。納言先輩は、僕の所属している文芸部の先輩で、僕は先輩の書く文章を読むのがとても好きだった。多くの部員が胸キュンラブストーリーの執筆に没頭している中で、先輩だけは“季節”を綴っていた。春は夜が明け始める頃が、夏は夜が、秋は夕暮れが、冬は朝が、いちばん美しく輝く。仮入部期間のあの日、納言先輩は新入生たちにそう話した。その日から僕は、心の中で先輩のことを“納言先輩”と呼んでいる。
納言先輩は、日常の中に季節のかけらを見つけると、それをすぐに文章にしたため、投稿した。
例えばそれは、春の朝いつもより早く家を出たときに感じる甘い風の香りであったり、通学路に咲く紫陽花の上にのっている玉のような露であったり、実に繊細で儚くて優しいものばかりであった。頭の悪い僕にはそれがなぜなのか分からないけれど、納言先輩の描く情景、綴る文章には、“温度”が確かに存在していた。人々を見守り続ける太陽の気配が感じられた。だから僕はそれが好きだったのだ。納言先輩の文章が投稿されると、僕はベランダに出て太陽を感じながらそれを読んだ。読む、というよりは摂取する、という感覚。水を与えられた植物のように体中が潤うのが分かる。その時間が、とても好きだった。その時間だけが、好きだった。

しかし、地球に太陽はなくなってしまった。
退屈しのぎに聞いていたラジオでは、各国の偉い人が集まって、最近開発された“太陽光が地球に届かないようにするシステム”に関する話し合いが行われた、という内容のニュースが読み上げられている。今や、人間にとって太陽は悪だ。地球が始まったときから太陽はそこにあって、生き物たちに恵みを与え続けたことなど忘れ果て、みな口々に太陽を罵る。

「太陽の光が届かないのがいちばんだよね。そのシステムが今の状況をよくしてくれることを願っています」

時刻は午前12時。
新しく始まった番組のパーソナリティが、先ほどのニュースについて言及する。ラジオリスナーを中心に人気急上昇中の中堅芸人だ。きっと多くの人々がこの発言に頷いていることだろう。僕はラジオを止めて、閉め切ったカーテンを開け、さらに窓も開けた。こんなところを誰かに見られたら、僕は頭がおかしくなったと思われるだろう。しかし、こうせずにはいられなかったのだ。
月が不自然なほど輝いている。腹が立った。なんでお前はのうのうとそこに居るんだよ。

てか、太陽裏切ったの人間のほうじゃねえか!
だいたい、本当に有害なのかよ。馬鹿でもわかるように証明してみろよ!
この阿保みたいな全身タイツのせいで肌荒れが酷いんだよ!
なんでもいいから、あの人から季節を奪わないでくれよ!

「ばっきゃろーーーーーーーーーー!!!!!」

月に向かって叫ぶと、隣の部屋から物音が聞こえた。両親のどちらかが起きてしまったようだ。
普通、馬鹿野郎と叫ぶのは海か、そんなどうでもいいことを、僕は考えた。


              🌞

家族が寝静まってから、閉め切ったカーテンと窓をこっそりと開け、風に当たるのがここ1年くらいの日課になっていた。人々に見て見ぬふりをされ、自信をなくしたように吹く風は、それでも確かに夏の気配を帯びていた。きちんと訪れているのに、いないものとされている季節たちのことを思うと、心の底から悲しくなる。
今夜は月がよく見える。不自然なくらいに輝き、その存在を主張している。
太陽があったころは、月のこともとても好きだったけれど、今となってはその輝きに腹立たしさすら感じてしまう。そう考えた瞬間、月の方からなにか声が聞こえた気がした。そして、ふっと頭に、ある人の顔が浮かんだ。

「先輩の文章超好きなんすよ~~」

私がサイトに文章を投稿するたびにそう伝えてきた彼は、私の文章を評価する人間にしては些か派手過ぎた。どこかの部活に必ず所属しなければならない私の学校において、文芸部は、部活を頑張る気がない人たちのたまり場でもあった。きっと彼もそのような意図で入部してきたのだろうと、私は認識している。だからきっとこの一言だって冷やかしに違いないのだ。私は頭に浮かんだその顔をごしごしと消しゴムで消した。

季節のことをもっとみんなに認識してほしかった。忙しない日々に埋もれてなかなか探し出すことのできないそれを拾い上げて、できるだけ美しさを損なわないように人々に伝える。それが、季節に魅了された人間の、私の、使命だと思っていた。だって、こんなにも綺麗なのに、それに気づかないなんて悲しすぎる。
あの日、突然始まった記者会見を見ながら私は、太陽が敵になってしまったことを悲しく思いながらも、それでも私の使命は変わらないと、強く思った。だけどそれは無理だった。会見の翌日、いつものように文章を投稿すると、数時間後にそれが削除されてしまったのだ。夏の訪れをかすかに感じる夜の切なさ、について綴った文だった。はじめはそれが信じられなくて、何度も何度も投稿し直したが、結果は同じだった。サイトに問い合わせてみても応答はなく、ただただ心の中が真っ暗になった。いろいろ調べてみると、どうやら“太陽の存在を感じさせる”作品が、今、片っ端から削除されているらしい。今まで、探し出しては大切にしまっていた美しい季節たちが、徐々に色を失っていくのを感じた。いつの間にか私は、母親に渡された黄色い、ストレッチマンのような全身タイツに身を包み、ベッドに潜り込んでいた。

人間とは、こんなに長い間眠れる生き物なのか。
私はもう、眠ることしかしなかった。眠って、起きて、水を飲んで、眠って。その繰り返しでしかない日々の中で、私は私の居場所を見つけた。
夢の中には太陽があったのだ。夢の中では太陽が変わらず世界を照らし続け、季節の訪れを人々が喜んでいた。そう、これまでと同じように。春の曙も、夏の夜も、秋の夕暮れも、冬の朝も、かつて清少納言が愛したままの姿で、存在していた。私は、ここにいるべきだと思った。ここだったら、自分の使命を全うできる。今までと同じように、季節を見つけ出し、それを文章にして、人々に伝えることができる。だから私は、夢の中で過ごすことにした。

とはいえ、生きている人間たるもの、ずっと眠り続けることはできない。どうしても目が覚めてしまう深夜の時間帯にはこうして、こっそり外の空気に触れる。窓の外の静まり返った街並みを眺めていると、いつも決まって変な感覚を覚えた。今自分が存在している、現実世界のほうが夢であるような気がしてしまうのだ。それだけ今の世界は奇妙で、信じられなくて、滑稽だった。
でも、こうして本物の風に吹かれていると強く思う。私だって、この世界を生きたい、と。

突然、堰を切ったように溢れ出した感情は、春の朝いつもより早く家を出たときに感じる甘い風の香りや、通学路に咲く紫陽花の上にのっている玉のような露を表現するより、ずっと難しくて、
私はどうしようもなくなって叫ぶ。

「ばっきゃろーーーーーーーーーー!!!!!」

口をついて出た言葉のあまりのしょぼさに可笑しくなっていると、その叫びを聞いていたかのように携帯の着信音が鳴った。久方ぶりに聞く音である。おそるおそるメッセージアプリを開くと、そこには、消しゴムで消したはずのあの人からのメッセージが表示されていた。
私は、なんとなく全身タイツから腕を出してみた。すると、長い間塞がれていた毛穴たちが呼吸をはじめ、さっきまでぼんやりとしか感じられなかった夏の気配が、驚くほど色濃く感じられた。
太陽はもうないけれど、太陽の光で照らされているように、心が熱を帯びるのが分かった。


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