中根すあまの脳みその149

友人が、
コンビニ行くけどなにかいるものある?
と言った。
すると、もうひとりの友人が、
鮭のおにぎりを頼む。
と言った。
数分経って、コンビニから戻ってきた友人が手にしていたのは、塩むすびだった。

ざわつく周囲。
たしかに、鮭おにぎりを期待して待っていた結果、手渡されたのが塩むすびだったら、たとえ代わりに買ってきてくれたことに対する感謝の気持ちがあったとしても、多少の落胆は避けられないだろう。

塩?!
いや、塩はないでしょ?!
総ツッコミを受ける、コンビニへ行った友人。しかし彼女はそれを真顔で受け止める。
その表情からはなにも読み取れない。
やがて彼女は口を開いた。

鮭、なかったんだよね。

売り切れていたのか、そもそもなかったのか。彼女は、そこまでは説明しなかった。
しかし、その一言で、わたしは十分に理解した。彼女の葛藤と、最大限の気遣いを。

コンビニおにぎりというのは、予測ができない。昨日あったものが今日はないということが往々にしてある。その逆も然り。また、店舗によってもラインナップは大幅に異なる。
加えて近年は、その涙ぐましい企業努力により、おにぎりの種類が急増した。おかかクリームチーズ、もち麦入り梅しそ、オイスターソースの旨みを効かせた中華おこわ、エリンギバター醤油。もはや、味の想像すらできない。もう、おにぎりの具がひとつの食材で構成されている時代は終わったのだ。
その中で友人が選んだのは、鮭。
鮭だったら、例えおにぎり戦国時代の今でも、必ず売っていると踏んだのだろう。
きっと、妥協もあったはずだ。コンビニに行く労力と、おにぎりの具へのこだわりとを天秤にかけたとき、多少妥協したとしても、クーラーのある部屋から出たくないという気持ちが勝ったのだ。これはあくまでも私の推測であるが、そのような思考を経て、鮭おにぎりを注文するに至ったのではないかと考える。

しかし、鮭おにぎりはそこにはなかった。
だれも予想しなかった展開だ。
おつかいをたのまれた友人も、鮭ならまずあるだろうと考えていたはずだ。
そうそれは、無遅刻無欠席皆勤賞の山田さんが、大切な用がある日に限って欠席していた時のような新鮮な喪失感。心もとなさ。まさか、という驚き。友人はそれらに苛まれたに違いない。
彼女は考える。
梅は好き嫌いが別れる。こんぶやおかかはなんだか手に取る気がしない。どちらかにするとして、では、どちらがいいのか。結局どちらが美味しいのだろうか。鶏五目や赤飯などの混ぜご飯系は、白米のおにぎりを期待して待っていた時に出されたら、コレジャナイ感が否めないのではないか。
ツナマヨは?!ツナマヨがいいのかも。いや、でもなあ、あいつ、カロリー高いんだよなあ。
邪道な新商品、値段が高い贅沢系は独断では選びにくい。
おにぎりという名の落とし穴にまんまとはまってしまった彼女は、そこから出ようともがく。脳みそをフル回転して。

棚の一番端、そこだけ気配を消し去ったように静まり返っている。しかし、そこには救世主が眠っていた。
ひと通り思考をこねくり回した彼女がふと視線を彷徨わせると、今まで視界に入っていなかった存在が浮かび上がる。
白く清らかなその三角形は、まるで自分の答えがそこにあるとでも言うように、眩く輝いている。
そう、それが救世主、塩むすびだ。

好き嫌いがなく、値段も安い。
具こそ入っていないが、鮭おにぎりの味を期待して待っていたとしても、そこまでの違いはそこにはないだろう。
彼女は引き寄せられるように、塩むすびを手に取る。
これが、私の、答えだ。

鮭おにぎりを注文した友人は、最初こそ少し戸惑っていたものの、その後は抵抗することなく幸せそうに塩むすびを口に運んでいた。
私はその様子を見てひとり満足し、人知れず友人の健闘を称えた。
すべて想像上の出来事ではあるのだが。

ちなみに私は、塩むすびと唐揚げ棒とを同時に口に運ぶが大好きである。
なんやかんやこれが一番うまいのだ。
異論は認める。

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