鰯に学ぶことなんて、ない

まるで水族館の巨大水槽に放り込まれてしまったようだ。酸素ボンベはない。呼吸ができる回数が残りわずかであることが、本能的にわかる。それでも呼吸をしなければならない。脳みそまでもが水で侵され、上手く思考がまとまらない。だが、焦りだけはあった。このまま死んでいくだなんてあまりにも惨めだと、まだ辛うじて動いている心臓が、そう叫んでいた。体中に漲る焦りを発散させるために、もがく。もがけばもがくほど、苦しくなることなど分かりきっている。それでもなお、もがくしかないのだ。
この様子を、人々が見ていれば、まだよかった。すてきな休日を過ごすために水族館を訪れた人々が、今、こうして、もがき、苦しみ、生と死を彷徨っている姿を水槽の外から眺めて、滑稽だと笑ってくれればよかった。だが、水族館は閉園時間を過ぎ、静まり返っている。

キーボードを打つ手を止める。
筋など見えていなかった。それどころか、使えそうな閃きのひとつも、今の自分にはない。だから、今の心情を幾分か詩的に変換して綴ってみたのだ。読み返してみると、なんだか、どうにもならない現状、それ自体に酔っているようで反吐が出た。どうせこれも使えない。
作家になりたかった。別になにか特別なきっかけがあったわけではない。幼い頃から何となく、物語をでっちあげることは得意な気がした。それだけである。始めてみて分かった。「得意な気がした」だけであって、「得意」なわけではない。
発狂しそうになりながら書き上げた長編。ファイルがいくら溜まっても、それらが日の目をみることはなかった。そりゃそうだ、と妙に納得する。だって、「得意」なわけじゃ、ないんだし。納得はしていても認めることはできない。だから、しがみつく。もがく。その行為はなにも偉くない。素晴らしくもない。分かりきっていて、面白くも、ない。
どれだけ生み出しても、出来が悪ければ、存在しないのと同じことで、
どれだけ悩み、苦しんだとしても、その時間もろとも、なかったことと同じなのだ。
では自分は、なにをしているのか。
そこまで考えるといつも、途方もない、空虚な事実に、押しつぶされそうになる。

目を開けるとそこは、水の中であった。
視界いっぱいに広がる、神経質なガラス。揺蕩う、大小さまざまな魚たち。ついさっきまで頭の中で創造していた景色が、そこにはあった。そう、水族館の巨大水槽だ。無論、酸素ボンベはない。しかし、不思議と苦しくはなかった。どことなく甘い香りのするやわらかな水が、全身をやさしく撫ぜる。心地良い。この景色や感覚では、己の荒んだ心情を比喩することはできないと、ぼんやり、そんなことを考えた。水族館で水槽を眺めているときに、魚を示して「おいしそう~」なんて言う人間がいるが、あれはどうにも理解できない。魚は調理して初めて人間の食糧となるのであって、生きているうちは別の生命体だ。そういう人は、豚や牛や鶏を見ても「おいしそう」などと言うのだろうか。奇をてらったことを言いたいのか、無邪気な自分を演出したいのか。とにかく泳いでいる魚は美味しそうではない。そんなことも考えた。
なんとなく視線を彷徨わせると、泥のような色をした大きな魚と目が合う。思わず吹き出してしまうほどに面白い顔をしたその魚は、のっそりとこちらを一瞥すると、興味なさげにあくびのような仕草をする。水槽の中に人間が紛れ込んでいると言うのに、魚たちはなにも驚かない。騒がない。つまらなそうな顔を貫いている。魚ってこんなにつまらなそうな顔をしていたのか。その黒々とした目玉に捉えられると、不思議と、己のことを思い出した。魚の目玉には、何もなかった。綺麗でもないし、汚れてもいない。虚無である。虚無に見つめられると、己の目玉が濁っていることが、身を持って分かった。何故だか分からないが、目の前に悠然と存在している魚が、物凄く偉い生き物のように思えた。
ガラスの外に目を向ける。思い描いていた景色と同じように、そこに人影はなかった。せめて見ていてほしいと願う心はどこかへ消え、無感情で無神経な視線だけが彷徨うこの場所が、不思議としっくりきていた。しばらく、なにも考えずそこに存在する。いつぶりだろうか、そんなことは。存在するためには何かしらの思想が必要だと、いつの間にか、そう思っていた。ぽこぽこぽこ、と泡をふくと、小さなエビのような生き物が、それを大事そうに口に含んだ。

突然、その場を満たしている水の種類が変わったような気がした。無論、はじめての経験で、それをどう形容していいのか分からない。やわやわだった水が、引き締まったような印象。水温が下がったような気がしたし、塩分濃度が上がったような気もした。そうは言っても、それを裏付ける証拠は何もない。変化に戸惑い、好奇心に胸を高鳴らせながら、静かに待った。なんとなく、周りの魚たちも“待って”いるような気がしたから。
案の定、それは訪れた。
まず感じたのは、気配。巨大な、壮大な、気配。
次に感じたのは、渦。体も心も奪われ、もう二度と戻らないのではないか。
次は、音。きらきら、というべきか、さらさらというべきか。
最後に、姿が現れた。何かが、激しく煌めいている。眩しくて、よく分からない。
目を凝らすと、それは、巨大な鰯の群れであった。
気がつくと、中心にいた。
幾重にも折り重なる銀色の鱗が、己の存在そのものを包み込んでいる。銀色。よく見ると、その中に様々な色があることが分かった。緑、黄、紫。光の反射によって生まれた色彩が、揺蕩う水に合わせて見え隠れしている。鰯たちは、まるでそれを知っているかのように、輝く術を心得ているかのように、一瞬一瞬確実に泳ぐ。泳いで、群れの形を変えてゆく。数え切れないほどの個体が集まって形成された群れのはずなのに、ひとつのようだ。ひとつの、巨大な生き物のようだ。
全てを忘れて何かに見とれることなど、出来ないと思っていた。正気を手放すと死んでしまうと、思い込んでいた。それなのに自分は今、全身全霊を持って、その光景に見とれている。
ああ、こういうことだったのか。
今、どのような表情でいるべきなのか。どの感情を選び、それをどう表現するべきなのか。
常に模範解答を探していた。小説や映画、おいしい食べ物。己の感性が試されるものに出会うたびに、正解を探した。間違っていないか、これが正しい受け取り方なのか、慎重に吟味した。なにも考えていなくても、無意識のうちに、そうしていた。
全てを手放すほどの衝撃とは、こういうことだったのか。
そう思った瞬間、込み上げてきたのは、とんでもない可笑しさだった。
ごぼごぼごぼ。笑うのと同時に大きな泡が吐き出される。それがまた、可笑しくて仕方がない。
そりゃあ、面白くないはずだ。本物の感情に出会ったことのない人間が書いた話なんて、面白いわけがないじゃないか。伝えられないのだ、人間は。己で経験した感情以外は。
知らんけど。
そう、何も知らない。知らないけど、そう思った。はじめて、感覚だけでものを捉えたような気がした。
爆発するような笑いが過ぎ去ったとき、鰯の群れもまた、過ぎ去っていた。
面白い顔の魚がまた、黒い目でこちらを見つめている。あれ。何故だろう。空虚なはずのそこが、少しだけ暖かい。親しみに似たような何かが、滲んでいる気がした。

目を開けるとそこは、白い部屋であった。
全身を鈍い痛みが覆っている。それまでのことを思い出せない。しかし、全て忘れてしまっているわけではなかった。何か物凄いものを見た、という充実感だけが残っている。悪い気分ではなかった。なんとなく、本能的に、目覚めたことを知らせなくてはならないような気がして、
ア、アノ――――。
と、間抜けな声を出す。すると、白い部屋の入口から、人間が勢いよくなだれ込んできた。
カシャカシャカシャというけたたましい音と、人間が発する、スカ?デスカ?という語尾が部屋中に響き渡る。脳の処理が追い付かない。それでも懸命に状況を整理すると、つまりはこういうことらしい。

現状のやるせなさを、水族館の巨大水槽の中にいるようだと例えたあの日、やけくそになって摂取したアルコールのせいで酩酊状態にあった自分は、ふらふらとした足取りの中、閉園後の水族館に忍び込み、そのまま水槽にダイブした。

いやいやいやいやいやいやいやいやいやいや、無理無理無理無理無理無理無理無理無理。
そんなわけないでしょ、と真面目な顔で訴えても、周りの人間たちはみな眉を下げて、いやでもそうとしか考えられないんです、と言う。同じやり取りを繰り返してもう、半日が経った。
埒が明かないので、家に帰ることにした。精密検査を進められたが、二日酔いで鉛のように重い頭以外、異常はなさそうなので断って帰ることにした。
白い部屋、もとい、病院から帰る道すがら、思い出すのは鰯のこと。
今でも脳内では、大量の鰯が眩く輝いている。その鮮明さは、もはや、その記憶にさわれるのではないかと錯覚するほどである。鰯を見たことで、自分は何か変わるだろうか。
そこまで考えたとき、心臓が力強く脈打つのが分かった。
変わらない。変わってたまるか、この野郎。
本能でしか動けないお前らにな、この気持ち分かってたまるかこの野郎。
鰯に学ぶことなんてな、なあああんにもねーんだよ。

死んだように眠った、次の日。
大量の不在着信に気づく。しかもほぼすべてが、非通知設定からである。
無視を決め込もうとしたが、どうしても気になるので、そのうちのひとつに連絡をしてみた。
出版社の人間からであった。今回の体験を綴った本を出版しないか、と言う。

鰯。お前、なんか、ちょっとさ、ありがとな。


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