中根すあまの脳みその197

ベッドで眠っていた。
それはもう、深い眠りに落ちていたのだ。
真っ暗闇の中にひとり放り込まれ、そのまま呼吸だけをしている感覚。唯一無二の感覚。
突如それが途切れる。
部屋のドアが開く音だ。
…ちゃーん、これ、なんかさあ、
判別不明の声、言葉。
お姉ちゃーん、これ、なんかタイムカプセルのやつ、届いてたよー、
キャッキャウフフしている。体の半分を暗闇の中に残してた私は、その声をキャッキャウフフという音でしか判別できていない。
バタン。ドアが閉まった。

目を覚ます。
足の踏み場もない床はまるで茨の道である。ここが自分の部屋だなんて、信じたくない。
目に付いたのは、黄色い、見慣れない封筒。
ああ、さっきのキャッキャウフフはこれだったのか。
送り主は、我が母校。
そう、私が卒業した小学校はあのとき、ちょうど30周年だったのだ。その際に記念として、タイムカプセルを埋めた。その中身は、10年後の自分への手紙。
徐々に蘇っていく記憶。

開けるのを躊躇った。
何故なら、なぜ、なら。なんていうかこう、痛そうだったからだ。痛い、イタい。複雑な感情だ。恥ずかしい、と、格好悪い、と、その他諸々が苦々しく混ざりあってできる、私の苦手な感情。
中二病という言葉が広く世の中に浸透しているが、小六病というのもあると、私は思う。
小学校という社会のトップに君臨し、それを自覚した瞬間に覚える、過剰な自信のようなもの。なんでも出来る気がしていた、あの頃の私は。
中二病も小六病もそれぞれにイタいが、別の種類のイタさである。
中二病は、己が孤独な存在であると錯覚することで発症するが、小六病は、己が多数の人間に認められる存在だと錯覚することで発症する病気であると私は考えるのだ。
その頃に書いた文章を、今、中二病を引きずったままの私が読むのはなんだか抵抗があったのだ。

しかしまあ、今開けなきゃ一生開けない気がするし?今であることになにか意味があるのかもしれないし?
私は私の了承を取らぬまま、勢いでそれを開封した。
並んでいるのは、懐かしい、黒くて大きな文字。あの頃の私の字は巨大すぎた。それを久しぶりに思い出す。
やがて私は、恐る恐る文章に目を通していく。

結論から言うと、すごくつまらなかった。
小六病を案じた気持ちはどこかへ消え…というか、そんな考えをもった私を、小6の私が嘲笑っているような気さえした。
10年前の私は、ちゃんとその時の己を信じ、そして、未来の己も信じていた。

今私は競技かるたを頑張っています。
児童会の会長は大変だけど、楽しいです。
10年後の私もきっと、やりたいことを見つけ、頑張っていると思います。

浮ついたところのない、非の打ち所のない文章に呆気に取られる私。
そして呟く。
いや、今の私よりしっかりしてんじゃん。
そしてさらに、呟く。
いや、つまんない小6だな。

そっかあ、私つまんない小6だったんだな。
なんとも言えない気持ちである。
腹立たしいような、愛おしいような。
ただ、10年前のタイムカプセルを掘り起こした時の気持ちとしては、なんだか少し、違うような気がした。

最後の一行にさしかかった。
ゆっくりとそれを読む。
(食べすぎに注意!)
そこで初めて、これを書いたのが私だと認識したのだった。

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