中根すあまの脳みその42

夏が近づいている。
窓辺に寝そべりいい匂いのする風に吹かれて昼寝をしたり、青空の下を少し古くさい感じのする音楽を聞きながら歩いたりすることがとても
うれしい。

ものすごく久しぶりに自転車に乗ったら、家を出てからわずか3分程で太ももが痛くなった。
ベッドと机を行き来するだけの生活で、全身の筋肉という筋肉が衰えきっていることを実感した。
痩せても痩せてもぷよぷよで、私の体には筋肉などないのだと思っていたが、人間普通に生活しているだけで、ある程度の運動はしているもんなのだなと、妙に感心してしまった。

買い物なんてしていなかったものだから、コンビニに行ったとき、レジでの会計に緊張してしまう。小銭をばらばらあ!と落としてしまわないか、はらはらする。レシートを受け取る手が、なんとなく不自然になる。
結局小銭は出さずに大きいお金で支払いを済ませてしまって、財布はいつもぱんぱんである。
レシートは言うまでもなく手汗だらけ。
そんな私が惨めになり、少しだけしょんぼりする。
当たり前に慣れていたことも、さぼっていると直ぐにぎこちなくなる。
早くなめらかに動けるようになりたい。

マスク、というものがとても厄介だ。
みなさんご存知の通り、私の髪の毛は、ちょっとどうなの?というくらいボリュームがない。そのため、梅雨の時期など湿度が高くなると、ぺっっしゃんこーーーになってしまうのだ。
毎年苦労させられているのだが、今年はそこにマスクという敵が追加された。
マスクってほぼ加湿器。毎秒呼吸をする度に製造される湿気が、前髪に直撃。丁寧に巻いて固めた前髪も1分で元通り。自分の髪の毛の意思の弱さに、怒りを通り越してもはや可笑しくなってくる。
さてどう乗り切ろうか。いい加減真剣に策を練らなければならない。

マスク、もうひとつ困ったことがある。
よく「マスクをするとかわいく見える」というようなことを耳にするが、私には全く当てはまらない。なぜなら私は、「目の存在感が皆無」で、「鼻と口だけでかろうじてなんとかなっている人間」だからだ。目、というものがもつ可能性に全く期待できない分、鼻と口が持つ愛嬌のある雰囲気に頼って生きてきたのだ。そんな私がマスクで鼻と口を隠してしまったら、それはもう私ではなく、「マスク」だ。マスクが本体になってしまう。
だが今日、打開策を見つけた。眼鏡だ。眼鏡をかけるとある程度マシになる。そのフレームが、「この人の目はここですよ」と示してくれるからだ。ありがとう、眼鏡。私の目を「無」から「有」にしてくれて。

特殊な状況の中でも、季節は春から夏に変わりつつある。人間がどうしていようと、季節のみなさんには関係ないのだなと思うと、なんだか面白い。
変な日々だけれども、その中に新鮮さがあったりする。ちゃんと生き延びて、忘れないようにしたいな、と思うのである。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?