中根すあまの脳みその117

わるい奇跡は、わるい奇跡を呼ぶ。
物事がよからぬ方向に進んだ瞬間、保たれていた秩序が崩れ、立て続きに災難が訪れる。
これは人の力では防ぐことの出来ない、どうしようもないことなのだ。
我々はそれに、運命に、従うしかない、愚かな生き物である。

これはもう、1年近く前のことである。
つい最近のことのように感じることから、時の流れの爆速ぶりに戸惑いを隠せないが、それはまあ、置いといて。
その頃は例のお騒がせウイルスのせいで、学校の授業がオンラインで行われていた。止むを得ぬ事情があった私は、電車で授業を聞きながら、3限目の体育のために(体育の授業だけは学校で行われていた)学校へ向かっていた。イヤホンからは教授の喋る声が絶え間なく聞こえ続ける。だれもいない場所で、よくもまあ、こんなに、長い間しゃべれるなあと、そんなことを考えながら聞き流していると、突然教授の声が途切れ、平坦で間延びした、どこか懐かしみのある声に変わった。
能だ。資料として、実際の能の映像を観ろということらしい。私はよく意味もわからず、なんとなく、能だなあ、確かに能だ、と思う。
聞こえてくる声を日本語に、いや、日本語ではあるのだけれど、私たちが普段使っている現代の言葉に変換することが些か面倒で、よくないと分かってはいても、ぽけーっとしてしまう。
案の定、私は容易く、睡魔の餌食になった。
気づいた時にはもう、目的の駅。ああ、人間、最も間抜けな瞬間というのはこのときだろう。私は、焦るときには本当にわかりやすく焦る。そのときもまた、わかりやすく焦っていた。あわあわと立ち上がって、リュックを背負い、電車を降りようとするが、なにかがおかしい。携帯だ。イヤホンに繋がれた携帯の存在をすっかり忘れていた。だが、時すでに遅し。携帯はあっけなく落下した。落下する過程で繋がれていたイヤホンが外れ、むなしく、落ちていく。少しだけ空いた、電車とホームの隙間へと。

あんららららら。

他人事のようだ。
とりあえず、駅員に声をかけねばと周囲を見回すと、なにか聞こえてくる。下の方から。
平坦で、間延びした、どこか懐かしみのある声だった。
能だ。イヤホンが外れた携帯から、能が代音量で流れている。電車の下から、能が(クライマックスらしく、妙に熱を帯びた調子である)が流れている。
私はその場に立ち尽くし、しばらく能を楽しむことにした。

異変に気づいた駅員に声をかけられ、無事携帯は救出されたのだが、冷静そうな駅員が終始、笑いを堪えていたのは明白であった。
私は、駅員にお礼をすると、乗り換えをすべくエスカレーターにのる。込み上げてくる、という感覚を、私はこのとき初めて理解した。さっきまでの数分の出来事が凝縮された一瞬となって脳裏をよぎり、それが自分事として認識され、その滑稽さに笑いが込み上げてくる。笑いが、止まらなかった。笑いが止まらなかったので、うまくエスカレーターを降りることが出来ず、思い切り、転んだ。カエルの死体のようだった(と、思う)。

体育の授業に間に合わなかったことは、言うまでもないだろう。
わるい奇跡は、わるい奇跡を呼ぶ。
それを知っていても人間は、どうすることもできないのである。

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