うつくしい

うつくしいと思った。
うるんだ奥二重の目、瞳は黒々として澄んでいる。真珠を纏っているかのような白い肌がそれを引き立てて、今にも消えてしまいそうな儚さだ。思わず惚けてしまう、いい加減慣れてもいい頃なのに。
目の前の彼女の、小さくてかわいらしい口が開く。
「あのひとに会わせてください。お願いします。あのひとはわたしの運命のひと。絶対に離れてはいけないのです」
思い切り見開かれた目からはぼろぼろと涙が流れ、それを拭う白いハンカチが湿ってゆく。かわいそうだと思った。
「お願いですから、あのひとに会えるのならわたし、どんなことでも致します」
「何度も言うようですが、彼はもう、」
彼女の宝石のような顔に怒りの色が滲む。
「そんなはずがないと言っているでしょう。わたしはあのひとと約束したのです。この世から消え去るときはいっしょだと。あのひとがわたしよりも先に消えるはずがない。あのひとがわたしを置いていくはずがない」
「はあ、でもあなた、見ましたよね。彼の、最後の姿」
その言葉を聞いた途端、彼女の目の色が変わるのが見て取れた。うるうると寂しいうさぎのようだった彼女の目から弱さが消え、情熱のような憧れのような、意志の強い目に変わったのだ。
彼女はきっぱりと言う。
「ええ、見ました。あのひとは本当に、ほんとうに美しかった」
その有無を言わさぬ調子に、思わずたじろいでしまう。
「あのひとはうつくしいのです、いつだって。産まれたときからずっと、あのひとはうつくしい。切れ長の目、高い鼻、うすいくちびる、それに足だって長くて、引き締まったからだをしていて、そう、あのひとは完璧だったの。わたしがどれだけ進むのがおそくても、いつでもじっと待っていてくれた。優しい言葉をかけてくれた。わたしが悲しいときには、あったかいスープか、ホットミルクを作ってわたしにのませた。それで、何も言わずに頭をなでてくれるの。ねえ、完璧でしょう。見た目だけじゃなくって、中身もとってもうつくしいんだから。ああ、すばらしいひと」
彼女は強い目のまま、つらつらと淀みなく語った。ひとつ息をついてから続ける。
「あまりにもうつくしいから、あのひとと一緒にいられるわたしの日々は、とんでもなくしあわせだったの。だけどね、人間て愚かなものね、欲深くって。あのひとのもっと美しいところを見てみたいって思ったの」
彼女は、笑った。奥二重の目を細めて、いたずらっ子のような顔になる。
うっとりとした調子で、彼女は再び語りだす。
「やっぱりあのひとはうつくしかったわ。叫ぶ声も、怯える目も、驚いた表情も、すべてね。ほとばしる血液だって、この世のものとは思えないほどに綺麗な赤色をしていた。ピンク色の筋肉や臓器はとってもかわいらしくて、思わず頬ずりしたの。その先に見えた骨だって、強く純真な白色をしていたわ。」
彼女はどこも見てはいなかった。あらぬ方向に向かって、夢見るように言葉を落とす。
「ねえ、あのひとはやっぱり完璧なのよ。だって、」
首をかしげて、微笑む。
「あのひとったら、味までうつくしかったの」
たのしそうに笑う彼女から、目を離せないでいた。
だが、次の瞬間、彼女の顔が激しく歪んだ。堰を切ったように涙が瞳いっぱいにたまり、溢れ出す。
苦しみ悶えるように彼女は叫ぶ。
「あのひとに、会わせてください。どうして会えないの。一体、いったいいったい誰が、だれがだれがだれがだれが。一体誰がこんなことを、

あ、

わたしか」

彼女の動きが止まった。その宝石みたいな目は輝きを失い、たまった涙がただひたすらに光を反射させている。
そして、彼女は一瞬にして眠りに落ちた。
7回目。
彼女はここにきてから7回この流れを繰り返した。自分の罪を自覚したとたんに眠ってしまい、起きた時には記憶がないので、こちらもどうしようもできなかったのだ。
彼女と過ごした時間の中で、気づいたことがある。
彼女は悪くない。無罪だ。早く家に帰してやろう。
だいたいこんな灰色で薄暗い部屋に閉じ込めるには、彼女はあまりにもうつくしすぎた。
彼女に向かってそっとつぶやく。
「会えるよ。また、あのひとに」
すると、彼女はゆっくりと目を開いた。寂しいうさぎの目だった。
「刑事さん、」
「また会えるよ、あのひとに。だって、ぼくがあのひとになってみせるさ」
彼女が困惑したようにこちらを見つめる。
うつくしいと思った。
うるんだ奥二重の目、瞳は黒々として澄んでいる。真珠を纏っているかのような白い肌がそれを引き立てて、今にも消えてしまいそうな儚さだ。思わず惚けてしまう、いい加減慣れてもいい頃なのに。


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