中根すあまの脳みその150

家までの道を歩く。
いくら最寄り駅が無人の僻地に住んでいれども、自販機くらいはある。むしろ自販機だけがある。自販機だけがやたら、ある。あれは、土地持ちの人間が個人的に設置しているのだろうか。考えてみれば、人が設置しなければ自販機はそこにはない。キノコのように勝手に生えてくるわけではないのだ。当たり前だが、当たり前すぎて、自販機は生えてくるものだと思っていたのかもしれない。

前方に自販機が見えてきた。
幅広いラインナップが魅力的なDyDoの自販機だ。最近話題の、レトロで可愛らしい缶のクリームソーダも取り揃えてある。なにか甘いものが飲みたいとき、私もよく利用する、優秀な自販機だった。ひとつ難点を挙げるなら、絶妙に高い場所に設置されているということだろう。あの、とても、説明が難しいのだが、なんていうんだろう、石垣みたいなやつの上に自販機がそびえ立っているのだ。そもそも設置されたその場所がなんと表現すべきところなのかが分からないし、思い出そうとすればするほどモヤがかかっていくその場所を、もはやわたしは場所として認識していないのかもしれない。そこ一帯をもう、自販機として見てしまっている。まあとにかく、その自販機は、1番上の段のボタンに届かないくらい高い場所にあるのだ。石垣(仮)に登れば届くのだが、やんちゃ坊主のようで、それはどうにもはばかられた。従って上の飲み物は選ばない。ないものとしている。

ブルルンと音が響き、1台のバイクがそこにとまる。赤い。郵便配達のバイクだった。乗っていた郵便配達員は慌ててバイクから降りると、迷うことなく、石垣(仮)に登り、1番上の段のボタンを押した。私はつい、目で追う。彼が選んだのは「さらっとしぼったオレンジ」だった。

ご存知だろうか。「さらっとしぼったオレンジ」を。幼い頃、私は、その商品名の語呂の悪さに納得がいかず見る度に若干の苛立ちのようなものを感じていた。見下してもいた。こんな収まりの悪い商品名の飲み物なんて誰が飲むのか。しかし、たまたま家の近所で遊んでいた、黒と金のジャージのセットアップを着た、いかにもヤンキー予備軍といったような風貌のクラスの男子がそれを飲んでいるのを見て、「さらっとしぼったオレンジ」が、プライドの高そうな男子が堂々と飲むことができるくらいには世間に認められているのだ、と認識を改める。ヤンキーは「さらっとしぼったオレンジ」なんて恥ずかしくて飲めないと思っていたのだ。今改めて思い返してみると、私は「さらっとしぼったオレンジ」に対して、不当に舐めた態度をとっていたと思う。

"その"、「さらっとしぼったオレンジ」である。郵便配達員は石垣(仮)に登ったまま、缶のプルタブをあけ、勢いよくそれを飲み始めた。私はその様に圧倒され、見蕩れた。
気温は30度越え、カンカン照りの昼下がり。
きっと彼は、「さらっとしぼったオレンジ」を飲み干すことを励みに、午前の仕事を終わらせたのだろう。一刻も早く、冷たくて甘い、至福のひとときをすごしたい。その狂おしい程の思いが、「さらっとしぼったオレンジ」を飲み干す姿から漂う気迫のようなものから、見て取れた。
そしてその瞬間に強く恥じた。
自分が、やんちゃ坊主のようだと形容したはずのその姿は、地球滅亡の危機を乗り越えひとり生き残った勇者のようであり、商品名の語呂の悪さに戸惑いを隠せなかったその飲み物は、その勇者に最後の潤いをもたらす、オアシスのようであったのだ。
私はひとり思う。
働く人はうつくしい。

私もいつか勇者になれるだろうか。
そんなことを考えながら、汗をぬぐい、歩みを進めた。

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