中根すあまの脳みその239


バイト先の掃き掃除をしていたら、
ちりとりの中に花びらが舞い込んできて
君はゴミではないよと思いつつ、どうすることもできずにそのまま捨ててしまった。
ふと目線をあげると春であった。

桜が咲いている。
花見がしたいなあ、と毎年うわ言のように言っているが、それが実現したことはない。
散りゆくその花に焦りと後悔を覚えつつ、そのままにして過ごす。
花見がしたいという気持ちがあと少しだけ強かったら、きっと、行動に移しているだろう。
私の花見がしたい気持ちなど、それくらいのものなのだ。
人を誘い、日時と場所を決める、それだけの手間が惜しく感じられる時点で、私にとって花見など、それくらいのものなのだ。
これと同じ気持ちが、
夏の花火にもある。
夏にもいつも、花火大会に行きたいだとか、手持ち花火がしたいだとか、そういったことを口に出すが、ここ数年でそれが実現したことはない。
私にとって、花見と花火は同じ意味なのだ。

季節の行事を楽しむことに、ほんのりとした憧れがある。
でも、大人になってからのそれは、私との間に少し距離があって、どうにもそれを縮められずにいる。
まだきっと、余裕のようなものがない。
だけど、季節の行事を楽しむように、
私のつくったものを人々に届けたいという気持ちがある。
春が終わってしまいそうだ。
息をする度その気配に焦りながら、今日も駆け足で生きている。

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