中根すあまの脳みその240


24時間100円の駐輪場に自転車を停めて旅に出る。
定期契約をした方が安いのはわかっているのだが、定期の駐輪場は駅の入口を少々過ぎ去らなければたどり着けず、一分一秒を争う私の朝には寄り添ってくれないのだ。
故に、24時間100円の苦しみを受け入れ、駅の手前にあるその場所に自転車を停める。

そしてその事を、呆気なく私は忘れる。
月末までのお財布空っぽ生活を約束されている私には無論、経済的にも精神的にも余裕がない。
バイト先までの交通費を、携帯に備え付けられた計算機で1桁まできっちり計算し、私が京王線を愛する理由のひとつである、”10円単位でチャージ”機能を使ってそのギリギリを薄っぺらいカードに蓄える。財布にとりあえずの金はない。
おろせばいいのだが、これが厄介で、新しいバイト先は特定の銀行口座の開設を義務付けていて、そこの口座を遠い遠い昔に開設していたらしい私は、当然のごとくキャッシュカードをなくしていて、通帳がないとお金がおろせない。そして夜、通帳が使えるATMは軒並みシャッターをおろしている。
明日おろせばいいと、帰路を急ぎ、駐輪場の精算機の前に立った時に思い出すのだ。
100円玉がないことを。
そのまま徒歩ですごすごと歩くときの情けなさといったら、他に類を見ない。

急ぐ理由もないので、文字通りすごすごすごすごとやる気のない足取りで歩く。
携帯の充電もなかったりする。音楽を聴くことも出来ず、頭の中は、早く帰りたい、の文字のリフレイン。
すると、前から通り過ぎる自転車。
なんて便利な乗り物なんだ。なんて早いんだ。なんてかっこいいんだ。
まるで、現代にタイムスリップしてきた昔の人のようなことを考えていると、瞬間、響き渡るけたたましい音。
思わず振り返ると、先程の自転車が倒れていた。その少し先に呆然と倒れ込む、その自転車の持ち主である女性。
私は慌てる。
思い出すのは高校生の頃、段差につまづき、盛大に自転車から弾き飛ばされたあの夜。痛みよりも何よりも、巨大な羞恥心が私を支配した。誰も見ていないことを確認し、大急ぎでその場から逃げ出したのだった。
この人ももしかしたから。
この場に居合わせた私が、何も見なかったことにして平然と歩き出した方が、精神的ショックが少ないかもしれない。
そう思い至り、3歩進む。
しかし、なかなか起き上がらない気配を背中の目で感じ、すぐさま2歩下がる。
車が通っていないのが不思議な大通り。
今の平穏は長くは続かないだろう。
最悪の場合の映像を、脳が作り出して再生する。急ごしらえのその映像でも十分に伝わる恐ろしさ。
私は駆け出す。
女性は変わらず、唖然とした表情を浮かべていた。まるで、自分が転んだことが信じられぬように。
大丈夫ですか、と声をかけるが返事はない。
ひとまず自転車を起こし、女性に手を貸す。
目立った外傷はない。
ひとまず安心していると、彼女は礼と共に、ひとりで帰れます、と言った。
彼女が見えなくなるまでその場で見送ってから、私も反対向きに歩き出す。
もし私が、100円玉を持っていたら。
背筋に冷たいものが通る。
この世は奇妙な巡り合わせでできている。

それにしても、キャッシュカードの再発行に1000円かかるのマジ意味わからんのだが。

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