さんたのふくがあかいわけ

ぴろりん。
俺のケータイが震えた。すかさず電源を入れる。
通知欄には『山城もも』の文字。推しがSNSを更新した報せだ。
俺は、光の速さでアプリを立ち上げた。

『もうすぐクリスマスですね🎄 実はもものお家には、ももが大人になった今でも、毎年サンタさんがきてくれます🎅🏻 ことしも来てくれるかなー🎶』

ふがふがふがふが。
画面を見つめる俺の鼻息は荒い。尊い。尊すぎる。俺の推しが尊すぎる。
山城ももちゃんは、人気急上昇中アイドル『フルーツ☆バスケット』のメンバーで、ピンク色担当、歳は23歳。俺は今まで、推しは10代が当たり前、いわゆる『ロリ担当』のオタクだったのだが、そんな俺のオタク人生をももちゃんが変えたのだ。そのかわいらしくも色っぽい容姿、力強く安定感があり、尚且つ儚さも感じる歌声、メンバーを優しくささえる『みんなのお姉ちゃん』的なポジションを確立しながらも、周囲を和ませる天然な一面、彼女は相反するふたつの要素を持ち合わせ、そのギャップで人々を虜にするのだ。そして、例に違わず俺もそのうちのひとりだった。初めてその姿を見たとき(前に推していたグループとの対バン)に、俺の心は文字通り撃ち抜かれた。すなわちももちゃんは俺の人生において最強で最高の推しなのである。
それにしても、23歳にもなってサンタクロースを信じているとは、なんと純粋で無垢で汚れのない心を持っているもんだ。さすがは我が推し。 サンタクロースへの手紙をしたため、枕元に大きな靴下を置いて、サンタクロースの鈴の音と足音を健気に待つ推しの姿が、脳内にイメージされる。愛おしい。愛おしすぎるぞ、俺の推し。
ふがふがふがふがふ·····
荒い鼻息を一旦停止させて、ふと考える。·····ということは、ということはだぞ。
サンタクロースは、毎年ももちゃんの家に出入りしているということだろうか。
あんなことやこんなこと、下手したらそんなこともしているかもしれないももちゃんの家に?けしからん。サンタクロース、けしからん。俺だって、ももちゃんが生活している場所の空気を思い切り吸い込みたい。無防備に眠っている、その愛らしい寝顔を拝みたい。部屋に置かれたすべての物に、俺の指紋をべったり付けたい。
まてよ。
ふがふがふがふがふが。
これは、名案かもしれない。俺は天才か。
俺が、サンタクロースになる·····ふが。


次の日から俺は、サンタクロースになる準備を開始した。まずは、ももちゃんの住居を特定しなければならない。いや違う、違う。俺はサンタクロース、クリスマスイブにプレゼントという名の夢を配ることが仕事なのだ。配る場所が分からなければ仕事ができない。俺はサンタクロースだ、ストーカーではない。
俺はいつものオタクファッション(グッズのTシャツ、どこで買ったかわからないよれよれのジーンズ、ペンライトがはみ出したリュック)を脱ぎ捨て、非オタの弟に借りた洋服に身を包んだ。サングラスやマスクをしても、もとの姿が不審者さながらの俺には意味がないと思ったのだ。見よう見まねで髪の毛を遊ばせ、これまた弟が使っている香水を吹きかけたら、完全に別人だ。自分が普段、いかに身だしなみをサボっているかがよくわかった。
だが仕方がないのだ。洋服や、散髪代に使うお金すべてを推しに捧げたい。これはオタクの性だ。
大変身した俺は、泣く泣くライブに参戦することを諦め、ライブが終わる時間に会場に行った。不自然にならないように、時計を見たり、通話をしているふりをしたりして、あたかも他の人間を待っているような雰囲気を醸し出した。
ライブの終演時間から1時間半後、裏口からメンバーが出てきた。星村りんごちゃん、小野田ぶどうちゃん、森田きういちゃんだ。ももちゃんはいない。
そしてさらに15分後、我が推し、山城ももちゃんが出てきた。他のメンバーよりも明らかに荷物が多く、そのほとんどが客からのプレゼントだとわかる。『フルーツ☆バスケット』のメンバーの中で、最も人気があるのはももちゃんだ。そのため、ライブ後の特典会(オタクが並んでチェキを撮ったり、握手をしたりする)も、ひとりだけ終わるのが遅かったのだろう。随分と疲れた顔の推しを見て、ももちゃんが日々顔を合わせるオタクは星の数ほどいて、俺はその中のひとりでしかないのだと思い知らされた。でもいいんだ。俺はこの革命的な作戦で、他のオタクたちは見られないようなももちゃんのプライベートな部分を、独り占めすることが出来るのだから。俺はひとりほくそ笑みながら、ももちゃんの後に続いて歩いた。
電車で2駅、そこから徒歩で20分歩いたところにももちゃんの家はあった。
古ぼけたアパート、あの可憐なももちゃんが住んでいるとはとても思えない。ももちゃんは、2階に上がり、一番左の部屋のドアを開け、入っていった。
勘違いしていた。アイドルというものは、常にかわいいものと綺麗なものに囲まれ、『寂しい』という言葉とは無縁の暮らしをしていると思っていたから。こんな寂れたアパートにひとりで暮らしているなんて、あんなにキラキラなももちゃんが。
俺は、自分の考えの浅はかさにそこで初めて気づいた。アイドルは俺たちオタクの理想じゃない。ひとりの女の子だ。そして、人間だ。
とかなんとか真面目なことが一瞬脳裏をよぎったが、別にどうでもよかった。ももちゃんの住む家ならどんなに汚くてもお城だ。その証拠に今の俺にはもう、目の前の茶色い建物が、お菓子の城にしか見えなかった。


聞こえてくる音楽という音楽のすべてがクリスマスを祝っている今日、俺は作戦を決行する。
手には、事前にリサーチしたももちゃんへのプレゼントと、ドン・キホーテで手に入れたサンタ服。俺は、これからサンタクロースになる男なのだ。
これから見ることになるであろう我が推しの、見られるはずのない姿に思いを馳せ、意気揚々とお菓子の城へと向かった。
人目につかなさそうな物陰に隠れてサンタ服に着替える。俺は、サンタクロースになった。
城の門の前に立つと、少し気取った仕草で鍵を取り出す。ももちゃんの後をつけてここまで来たときに、彼女が部屋に入るのを確認してから鍵穴の写真を撮り、それを使って合鍵を作っておいた。ももちゃんの城はとても奥ゆかしいつくりであるため、合鍵を作る際に必要な鍵番号までご丁寧に明記してあったのだ。俺は思う、サンタクロースはいったいいくつ合鍵をもっているのだろうか。大変な仕事だ。
お姫様を起こさないよう、そうっとドアを開ける。鼻息は最高潮だ。
ふがふがふがふがふがふがふがふが、ぐっ! ごほっ!ごほっ!
瞬間、両手で口を押える。この行為にはふたつの意味があった。ひとつめは、眠っているはずのももちゃんを起こしてしまったと思ったため、もうひとつは、ドアを開けたとたんに鼻を突いたたばこの匂いに耐えられなかったため。
忍び足で部屋の中を進むと、そこには想像していたものとはかけ離れた景色が広がっていた。そこら中に散乱したビールやチューハイの空き缶、たばこの吸い殻が山盛りになった灰皿、ぐちゃぐちゃのまま放置された『フルーツ☆バスケット』の衣装、なにかの水たまりを吸ってべちゃべちゃになったグッズのTシャツ、それらが淀んだ空気の中でぼんやりと浮かび上がっていた。俺の思考は停止したまま、それでも体は進むことを止めなかった。
リビング、キッチン、トイレのほかに一部屋だけドアが閉められた部屋があるのを見つけた。寝室である可能性が高いと、ぼんやり考える。俺は自分に言い聞かせた。ももちゃんはきっと、疲れていただけなんだ。歌って踊るのはただでさえ体力がいることなのに、毎日夜遅くまで俺みたいな気持ち悪いオタクばかり相手にして、肉体的にも精神的にもまいっていたんだ。だからクリスマスイブの今日くらいは羽目を外そうって、そう思ったに違いない。
大丈夫だ、俺。我が最強にして最高の推しはきっと、このドアの向こうで天使のように優しく美しく眠っているに違いない。ピンク色のふわふわの部屋着を着て、まるで子供のようにまっさらな素肌で、眠っているに違いない。…ふがふが。
俺は、ももちゃんへのプレゼントをしっかりと抱え、ドアを開けた。


「それからのことは、あまり思い出したくありません。寝室にいたのはももちゃんだけじゃなかったんです。ももちゃんと、なにか黒い塊のようなもの。おそらく人だったんでしょうけど、記憶の中では、それは恐ろしい怪物のようで。今でもとっても怖いんです、その時のことを思い出すのが。俺は、ももちゃんに覆いかぶさるその怪物をももちゃんから引き剥がし、とっさに持っていたもの、そう、ももちゃんへのプレゼントの加湿器で怪物の頭部を思い切り殴りました。化け物は動きません。そして俺はももちゃんを助けようとしました。『大丈夫だよももちゃん』と声をかけながら彼女の顔を見ると、恐ろしいことに…違ったんです。ももちゃんじゃなかったんです。だって、くりっくりのはずのおめめはひじきのように細くて、くりんと長いまつ毛は短すぎて存在にすら気づかないほどで、かわいらしいピンク色に染まったほっぺたは幽霊のように冷たい色をしていたのです。あんなの、ももちゃんじゃない。ももちゃんならきっと、すっぴんでも綺麗だしかわいいはずだ。誰だこの女は。だれだこのおんなはああああああああ!!!訳が分からなくなった俺はその女の首に手をかけ·····もう、いいですか。思い出したくないんです。
でもいいんです。ももちゃんがあんな、田舎のヤンキーのごみ屋敷みたいな部屋に住んでいるはずないですから。俺がなにか間違えたんです。そもそもあの部屋にももちゃんは暮らしていなかった。
でもおっかしいなー。いや、これなんですけどね。このくまのぬいぐるみ。前に俺がプレゼントしたやつなんですよ。そう、ライブの時に。これが、寝室に置かれていたんです。
まあ、ただの偶然ですよね。いつかまたサンタの服を着て、我が最強にして最高の推し、山城ももちゃんに夢を配りに行きたいです。あ、そっか今日は12月25日ですね、メリークリスマス!!!』


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