中根すあまの脳みその59

変なかばんをつかっている。

ある日ふと、
「幼稚園の子がつかってるかばん、普通に使えそうだしかわいくない?!」
と思い立ったので、某大型通販サイトで『通園かばん』と調べて、気に入ったものを購入した。絶対にかわいいし、通園用だからといって何ら不自由はないと思ったから、
「え、みんな使わなくていいの?」と少しばかり優越感に浸っていた。
実際、届いたものは、多少サイズの小ささが気になるものの、デザイン性、機能性共に大満足の代物だった。
そのときにもまた、「こんなにかわいいんだから、みんなも使えばいいのに!」と思ったが、
冷静に考えてみれば、この立派な図体で幼稚園に通うためにつくられたかばんを使う方がおかしい。
かわいいとは思う。だけど、それを日常使いするという発想はない。おそらくそれが普通だ。
その一線を超えるかどうかなのだ、きっと。
そんなことを考えつつも、私は通園かばんを平然と日常の中で使っている。私にとってもはやそれは「ただのかばん」でしかなく、あまりにも生活に馴染みすぎている。他の人にとっては、それが日常ではないことに、忘れてしまう程だ。

通園かばんはよく褒められる。
友人や芸人の先輩、洋服屋や雑貨屋の店員さん、あるいはめがねを新調しに行った時に、視力検査を担当してくれためがね屋の店員さん、彼女は検査より何より、真っ先にかばんを褒めてくれた。
いろいろな人(主にかわいいお姉さん)に、声をかけてもらえるので、こちらとしては万々歳だ。
おそらく、「かわいいな」という気持ちに加えて、「こんなものを日常使いする人がいるんだ」という驚きも相まって、声をかけるのだろう。
声をかけられる度に私は、自分が特異な物を持っていることにやっと気付かされる。
この感覚は、「あなたって左利きなんだね」と言われて、やっと自分が左利きであること、すなわち、少数派の人間であることを思い出す感覚と似ている。

たしかに、私は「かわいい」や「かっこいい」を目にしたとき、それが日常に馴染むのかどうかを考慮しないで取り入れる傾向がある。
ついこの間も、古着屋で「アメリカの軍隊の人が訓練の時に来ていた上着」を買ってしまった(意外と安かった)。なぜ買ったのかと聞かれたらそれは、その上着の持つドラマも含めて「かっこよかった」からだ。
基本的に人の目を気にして生きている人間ではあるが、この話に至っては、そこのところをあまり気にしない。
私は、自分の「かわいい」や「かっこいい」に忠実に生きているのかもしれない。

とかなんとか言って、後で読み返した時に恥ずかしくなりそうなことを書いてしまったが、私はこの生活が楽しいので、嫌になるまで続けようと思っている。
今度は、色違いのスニーカーを2足買って、左右別々の色を履く、ということをしてみようと思っている。

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