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砂漠の花

 西から吹く穏やかな風が砂煙すなけむりまといながら旅人のほほでる。その顔をおおっていたはずのスカーフはすでにボロ雑巾ぞうきんのようで、その旅路が苦しいことを物語っていた。強く照りつけるその日差しから目を保護するためのゴーグルも傷痕きずあとに覆われていた。砂地を歩くその足取りは重い。一歩、また一歩とブーツが砂上に男の足跡を残していく。が、それは直近のものに限られる。風がゆっくりと、戻り道はないことを教えるかのように足跡を隠していくからだ。

 旅人が歩く砂漠は白く、美しい。世界中どこのビーチをさがしてもここより美しい場所はない、とも言われている。ビーチと違う点は海がないこと、そして大半がガラス質の結晶で構成されているということだった。

 その旅人は、ミュージアムからある依頼を受けて旅をしている。元々受けるつもりはなかったが、丁度街で耳にした噂も気になっていたから好奇心に従うことにしたのである。

噂は、
「砂漠に咲く花があるらしい。何でもその花を探しにいった旅人は誰も戻ってこないらしい。さらに言えば付近に水場は見当たらないらしい。」
というもので、

依頼は、
「学術的に興味深いからその花を回収してきてほしい。」

というものだった。

 依頼の方はもう少し複雑な、学術的な意義のようなものも説明された気がしたが、旅人にとっては馬の耳に念仏だった。旅人は学者ではない。そのようなものに小難しいことを言われても理解できないし、しようとも思わない。

 そのとき、旅人は風向きが変わるのを肌で感じた。不意に腕に装着していたナビゲーターがけたたましいアラーム音を生じさせる。この不快な、いやでも人を焦らせるような音は緊急時のものだった。乾燥した砂地で干からびていく肉体につられて干からびた心に冷や水をぶっかけられたかのように思えた。素早く波うつ心臓は旅人の呼吸も荒くした。

ジッというノイズ音がしたのち、ハキハキとした鋭い女の声が、

「ストームが来ている。直ちに回避せよ。」

と告げた。まるでこちらを心配しているようなものではなく、機械的な、淡々としたようなものに感じた。

 風は少しづつ強くなってきている。

 旅人は、
「っつ、避けろったってどうすればいいんだよ、、」
と吐き捨てるように呟いた。

 内心、どうしようもないのではないかと思いながらも、遮蔽物が近くにないか見渡してみた。

 遮蔽物は見当たらない、が遠くの方に虹が見えていた。最初、本当に虹か?と自身を疑ってしまった。学のない旅人でも虹がどんな時に見えるかは知っている。それは大抵は雨が降っている日のはずだ。薄暗い雲が開け、太陽の光が地面に優しく差し込む時に見えるものだ。砂漠で見えるはずはない。

 そうこうしているうちにさらに風は強くなっていった。吹き荒れる砂嵐も、さっきとは比べ物にならないほど大きく見えた。旅人のボロボロのスカーフにはもう砂から口と鼻を守る防御力はなかった。

 細切れになった繊維せんいの隙間から砂が旅人の呼吸に合わせて体内に取り込まれる。鼻の奥の方が擦り切れたかのような痛みが旅人を襲った。それはまるで鼻の奥にカミソリを突っ込まれたかのようなものだった。

 旅人を声にならない痛みがおそう。さらに、砂を取り込んだ気管支きかんしが思わぬ侵入者を吐き出そうと反射的に激しく咳き込んだ。砂は口からほとんど出ることはなく、焼けるような痛みだけを旅人に伝えていた。

「こうなったら、この場で耐えるしかないか、、」

 旅人は咳き込みながら呟いた。焦って真っ白な脳ミソはすでに思考を放棄している。考えるよりも先に、口が動いた。一言発するたびに喉が焼き切れるかのように思えた。

 風を背にするように、うずくまるように、しゃがみ込んだ。風はさらに強くなり、さっきよりも激しく砂が背中に打ち付ける。その雹に似たような轟音ごうおんが不快感をより強くしていく。

 旅人には学はないが、こういう時どうすればいいか経験的に知っている。

 デザートコートで全身を包むようにし、特に耳や目、鼻や口といった部分は砂が入り込まないように強く抑えるのだった。最も、旅人の場合すでに砂に喉が襲われていたわけだが。

 丁度旅人がデザートコートに包まった時、より強く、鼓膜が破れそうになる轟音が旅人の耳を貫いた。

「俺の人生もここまでか」

 一人旅人は呟いた。コートの中にまで伝わる轟音はその最後かもしれない呟きもかき消してしまう。実際、旅人は今自分が声を出せているのかもわからなかった。

 孤独に、恐怖に耐えるように、旅人は強く目を瞑った。

 本当にバカな依頼を受けてしまった。本当なら今頃酒屋で仲間と一日の疲れを癒す一杯を交わしていたかもしれないのに。

 後悔に近い感情だけが旅人の精神を満たしていく。

 旅人は強張り震えるその体を、顎を何とか動かして、ナビゲーターの無線スイッチを入れた。

「なあ、もし俺がここで死んだらどうなるんだ?」

 声にもならない声でそう問いかけた。喉の痛みはいつの間にか気にならくなっていた。恐怖心のせいか、脳がバカになっているのか、いずれにしても今この状況ではどっちでも良かった。

 ただ、少しストームはおさまってきたとはいえ、旅人の声をかき消すには十分な勢いだった。

 しかし、ナビゲーターからの応答は何もない。

 先ほどストームの到来を教えてくれた女の声も、機械的な声だったとしても、孤独に潰されそうな旅人には必要だった。

 とにかく、誰かの声が聞きたかった。

「誰もいないのか、、?」

 苦し紛れに呟く。

 大の男が孤独に一人震えているなんて知られたくないものだが、そのちっぽけなプライドも今この場に限ってはどうでも良かった。

 吹き付けるストームは適度に強くなり、少し収まりといったように轟音は最低の音楽を奏でていた。その緩急差かんきゅうさが不安をより煽り、旅人に心臓を吐き出させたいと願わせるようだった。

 不意に旅人の脳内に小さい頃、母がよく唄ってくれて子守唄こもりうたが流れた。

 心の中で旅人は、轟音からその唄に注意を向けようと必死だった。それは今この絶望的な状況にとっては天から垂れる雲の糸のようなもので、それに縋るいいのものはなかった。

〜♩
〜〜♩

 脳内だけで流れていたその唄を、いつの間にか口ずさんでいた。

 ナビゲーターの通信スイッチは未だつけたまま、その通信の向こうの誰かに聞かれていてもお構いなしといったふうに一人呟くように唄っていた。

 その唄を唄っている間だけは、幼い頃のような久しく思い出せなかった暖かな気持ちに包まれていった。今、自分がうずくまっているのはふかふかのベッドではない。旅人の命をくらいにかかる悪魔の口の上だ。だが、唄っている間だけは、そんなことも忘れることができる、そう信じていた。

 徐々に全身の力が抜けるのがわかる。旅人の歌も、徐々に、徐々にか細いものへと変化していく。やがてその喉からは、声よりも息の方が多くなり、旅人の意識も闇に引きずられていった…..

….

 次に旅人が目を覚ましたとき、少し湿度をもった、優しい風が流れているのを感じた。昨日までのストームがすでに過ぎ去っており、静寂せいじゃくの中で旅人は一人うずくまっていた。眠っている間に、手を離してしまったのか、旅人はコートが風で飛ばされていることにようやく気づいた。

 地平線の向こうからゆっくりと日が登ってくるのが見える。輪郭りんかくあらわにするごとに、太陽は光の手を旅人に向けて、さし述べているようだった。ふと、昔、旅行で訪れた砂漠の国の博物館に展示されていた太陽の神を思い出した。その神は人の姿をしておらず、まさしく、今眼前に見える地平線より顔を出す太陽そのものだった。神は、地平線より姿を表すごとに、その手の数も増え、思わず目を瞑ってしまいそうなほど強い光の世界に旅人は閉じ込められていく。

⬛︎

「君、植物の種が発芽するには何が必要かね。」

 光の世界の中で旅人はとある講義室にいることに気がついた。これは多分夢である。そのことにはすぐに気づいた。

 今目の前で喋っている背の低い、生徒の顔など見えているのだろうかと思わせるほど上瞼うわまぶたの皮の厚くなったお爺さんは確かアカデミアからきたとかいう偉い学者であることはすぐにわかった。そして、自分が、ボロボロの砂漠越えの装備ではなく、懐かしい、学生服に身を包んでいることも。

 なるほど、これは学生時代の夢に違いない、が、なぜ今なのか。それが旅人にはわからなかった。わからないは人にとって恐怖を増幅するエッセンスに等しい。

 旅人のすぐ目の前にいた生徒が答える。

「水分、適切な温度、酸素、そして適切な光条件です。」

 その声はあの時聞いたナビゲータ越しの女の声のように機械のように、冷たく、淡々としていた。賢くなると皆このように冷たい話方になるのだろうか。旅人は、その生徒の陰に隠れるように、できるだけ学者と目を合わせないようにしながらそう思っていた。何を答えたのか、その答えが正解かというのは旅人にとっては大事なことではない。

「そうじゃな。じゃが、水分といってもいろいろある。時にそこの君、人間の血液には水分が何%含まれていると思う?」

 老学者はそういって、別の生徒に対してもっていたステッキの先端を差し向けた。ああ、気の毒に。俺じゃなくて良かった。

「そうですね、この教科書によると、約55%が血しょうで、また、その90%が水分と書かれています。」

 その生徒は特に慌てる様子もなく、教科書を持ち上げて、やはり淡々とした口調で答えた。

「よろしい。」

 教授はそう、一言だけいった。生徒はその声に合わせて機械的に座る。この時一つ気がついたことがある。椅子を引く音も、教科書を捲る音も、窓を開けているはずなのに、なんの音もしないどころか、風も感じない。

 ふと、旅人は自分が今ノートを開いていたことに気がついた。

 それが気になって気になってしょうがなくなってしまった。学生時代の俺のことならもちろん覚えている。講義はだいたい寝ていたし、一度もノートを取ったことがなかった。

 そんな俺が一体何を書き込んだんだろう。冷や汗をかいていることにも気がついた。風は吹いていない。環境音のような、物語の外側にある音は聞こえない。

 見ないという選択肢はすでになかった。

 ゆっくりとノートを見下ろすと、

「走馬灯」

の三文字が、明らかに俺が書いた拙い文字で書き殴られていた。

 冷や汗がさらに、脇を濡らす不快感を強めていく。

 恐怖につつまれる俺の元に、いつの間にか老学者が目の前に立っていた。
顔は、髪に隠れているのか、部屋の照明が強すぎるせいか、よく見えなかった。口元だけが、嫌にはっきりと見える。

「世界には珍妙ちんみょうな植物というのがごまんといる。その中でも特に珍妙なのが、人の血液で発芽し、人の肉体を肥料にして咲く植物のことじゃ。わしはその花のことを100年前の論文で読んだ事しかなくての、ぜひ一度、この手でその花を研究してみたかったのじゃ。」

 ニヤリ、と白い歯を見せつけながら、その老学者は目の前で机につっぷし、視線だけを向ける旅人に言葉を叩きつける。

 しかし旅人は察しが悪かった。

「xxxx君、君のおかげでわしの長年の夢が叶う。本当にありがとう。」

 一呼吸おいて老学者は再び白い歯を見せつける。先ほどよりもその口元は緩んでいるようにも見える。

「そうじゃな。チェスでいうところの、、チェックイメイトというやつじゃ。」

 いくら察しが悪くとも、その言葉で旅人は直感した。砂漠の花というのはもしかして……

 逃げよう、逃げなくてはいけない。

 いますぐこの場から、、、!っ!?

 直後、老学者はその老体に見合わないような、まるで悪魔が乗り移ったかのように不気味で、不快感を想起させる笑い声を上げた。その笑い声に合わせて、生徒全員の視線が、旅人に降り注いだ。

 それも束の間、老学者と同じ笑い声を生徒全員が出し始めた。

 旅人の中で不気味さはすでにピークを超えている。
が、ここでようやく気づいた。自分の腕と机の間にびっしりと細かい根が生えていることに。ならば机ごとと、足を動かそうとする、が、そちらもまた同じだった。

 まるで仕掛け罠に足を取られたかのように地面から生えるイバラが膝の下、ふくらはぎの上あたりまで包んでいるかのように見える。

 いや、それは間違い。

 旅人の足から生えるそれが地面に対して強く根を張っていたのだった。その根は長く、確かな力で地面に食い込んでいた。力づくて引っ張ってもびくともしない。それどころか、余計に強く食い込んでいくかのようだった。

 講義室こうぎしつの床だと思っていたものが徐々に砂へを変わっていく。

 老学者も、生徒も頭の先端から、砂時計の中の砂が滑り落ちるように砂へと変貌していく。

 旅人はその様をじっと見つめているしかできなかった。

 砂へと変貌へんぼうするそれらはただ老学者と同じようにけたたましく笑い続けている。

あははははははははははははは

あはははっはははははははははは

ははははははははははは

あはははh
あはは
は…..

………..

 全員が砂となって消えた時、旅人はふと我に返った。

夢であったほしい、そう微かに願いながら腕を持ち上げようとした。

が、動かない。

 旅人はゆっくりと目を開ける。血液が全身を駆け巡り、それは体のいたるところに恐怖を届けていった。

 腕からから生える無数のイバラが、夢で見たそれと同じように力強く地面に刺さっていた。かなり深くまで刺さっているのか、びくともしない。

 それは腕でだけ起こっているわけじゃないことに気づくのはほんの一瞬だった。全身から、何かが生えて、地面に突き刺さる、それが手に取るように旅人の脳は理解した。

 砂漠の花、砂漠の花、、、

 それを思わず考えてしまった。思考をするにはエネルギーが伴う。エネルギーを確保するために心臓は強く鼓動を打った。

 しかし、その鼓動は血液を本来必要とするところに十分と行き渡らせることはなかった。それどころか、旅人が焦り、冷や汗をかき、力を入れるごとに、全身から突き出る無数のイバラはより太く、さらにその数を増やしながら、地面に突き刺さっていった。

 ついに男は口を開く。

 喉に力を入れ、ぼんやりと、脳裏に浮かんだ言葉を発しようとする

「….」

 声は声にならず、風の音だけが男の耳に届いていく。

っ…

 嗚咽すらも出すことができない。開いた口に差し込んだ光により発芽したその植物は凄まじい勢いで旅人の喉をき、舌を切り落とし、歯を内側から押し出してそのイバラの根を地中深くを目指して潜り込ませる。

 しかし旅人に痛みはない。

 ただ、その場から離れようとしても動けない、それどころか流砂にゆっくりとゆっくりと、沈んでいく。服の隙間からゆっくりと侵食してくる砂は太陽に焼かれているはずなのにひんやりとしていて、不快感だけをさらに募らせた。

 やがて、旅人の体は砂に飲み込まれ、旅人はちょうど、顔だけを砂の上に出すような形になっていた。

 旅人の目にはもう砂は見えず、一面緑のイバラしか見えなくなっていた。

 開いた旅人の口からより太く、より大きなイバラを持つ茎が現れる。

 にもかかわらず旅人は絶命していない。体の奥底から太陽に向かって突き出るそれをただじっと見ていた。額に冷や汗が流れるのもわかる。

 全身から突き出た根がさらにしっかりと根を張るのもわかる。

 そののち、茎の先端がだんだんと膨らんでいくのが見えた。まだ何かあるのか、もういっそ絶命させてくれ、死にたいくない。そんな感情だけが旅人のわずかな意識をいっぱいに満たしていく。

 旅人は最後に、その生涯の最後についに砂漠の花を見届けることができた。太陽の光から旅人の目を守るかのように、大きな花を咲かせるその様を見ることができた。

 花は影を作り、先ほどまで目まぐるしいまでの光の世界に蝕まれていた旅人へ祝福の暗闇を与えた。

 目に活力が戻る。

 戻ってきた水分を元に旅人の目からもイバラが突き出した。

 側から見たらきっと絶望的な様なのだろう。しかし、今、この時、旅人は暗闇の中で安堵を覚えた。

……

⬛︎

「ナビゲーターから消失反応あり座標は、」

 博物館情報統御室では、今まさに一大プロジェクトを完遂しようとしていた。

 背の低い、茶色のコートに身を包んだ老学者が一人、室内にいるエンジニアから報告を受けている。

 老学者はニヤリと不気味な顔をしている。その顔はまさに命をものとも思わない学者そのもので、自身のプロジェクトのためならどんな犠牲も厭わない、と固く決心しているところからくるものだった。

「わしの仮説は正しかった。」

 声を無理やり押しだすように、しわがれた声でつぶやく。

「あの砂漠の砂の中にはタネが含まれている。そしてそのタネは人間の血でのみ開花する。しかしタネをどうやって取り込むか、が問題だった。どうやら今まで通り旅をさせるだけではいけないらしい。そこでわしはタネの量が重要なのではないかと考えた。」

「畑に種を植えるとき、一粒ずつ穴に入れるのではなく、3~5粒ほど入れる方がよく育つ。これと同じで、種を体内に同時にたくさん取り組めばいいのではないかと考えた。」

 独り言は続く。エンジニアたちは気にしていない。自分たちがどんなプロジェクトに参加しているのか、本当の目的はなんなのか、それは報酬を目的に集まった彼らの預かり知るところではないからだ。

「だからストームに巻き込ませた。ナビゲータの進路をわざとストームの発生予測地点に誘導するように設定しておいた。」

「もちろん、あくまで予測で、実際に発生するかは確率論的だった。しかし、無策に歩かせるよりは幾分かマシだと考えた。」

「あの砂漠の花は未だ謎が多い。もしかすると、研究することで新たな新薬の開発に一役買うかもしれない。一人の犠牲で、より多くの人を救うことができるかもしれない。それは素晴らしいことではないか。」

「わしは金が欲しいのではない。より多くの人命を救うためなら、少数の犠牲は仕方がないと考えているだけだ。」

 老学者の声に反応して自動書記がレポートを作成する。

 冷たく薄暗い研究室で、老学者のだんだん熱く理想を語る声と、自動書記が筆を走らせる音だけが響いていた。

 ふとエンジニアの一人が手をとめ、後ろを振り返った。彼の目は、これは、正しいことなのか?と老学者に説いているようだった。

 老学者は彼と目を合わせる。

 老学者の狡猾な目はが、野生の蛇が獲物を見定めるかのように捉える。

 ニヤリと笑いたい口元に力を入れ、気づかれないように口の中で舌舐めづりをする。

 そうだ、このプロジェクトを完遂した彼にはさらに特別なプロジェクトを任せてみようじゃないか。





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