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多様性重視の結末


多様性重視の利点


 人類は今まで,男性中心の社会でした。「女性は,男性を補佐し家庭に収まるべきであって,社会進出すべきではない」と考えられていたのです。しかし,こうした考えは人類にとって大きな損失です。なぜなら,女性の力を軽視することにより,人類の半数の能力を活用していないからです。
 女性には,女性特有の力があります。調和・妥協・器用さ,これらは男性にない能力です。こうした女性特有の力により,今や多くの女性が政治や企業経営(マネジメント)において活躍しています。今まで家事をこなしてきた女性は,多くの物事を同時に処理する能力があります。また,家庭の調和を担ってきた女性は,相異なる意見を調停する力があります。これこそ,高度な妥協を要する政治や多くの業務を統括する企業経営に必要な能力です。

多様性重視の欠点


 我々は,女性を尊重し,女性の社会進出に道を開き,人類のさらなる発展に貢献せねばなりません。これは私見ですが,女性は未来を切り拓く起爆剤です。男性中心社会の弊害を癒す薬です。
 一方で,いくら女性でも,男性に適わない分野があります。それは戦闘です。いくら有能な女性でも,戦争において男性のような働きをすることはできません。「男は戦争を愛し,女は戦士を愛する」という言葉があります。この言葉を聞いてお怒りになる方もいるでしょうが,これは歴史的事実です。男女平等を標榜する米軍において,男性兵士と女性兵士の訓練内容を変える所以です。
 昨今,女性の社会進出が進むと同時に,男性の女性化が目立ちます。つまり,世界的な傾向として,男性性が希薄化しつつあるのです(日本において顕著)。男性性の希薄化は,「戦士の文化」の喪失を意味します。世界史に鑑みれば,戦士の文化を失った国民は,必ず衰亡します。ちなみに,戦士の文化とは,自己犠牲・勇気・大胆です。いずれにせよ,強健な国家の形成には,戦略的文化の源泉である男性性が必要なのです。

LGBTQの問題


 ここで,性的少数者の問題に触れておきましょう。まず基本的考えとして,性同一性障害は医学的に認められた病気です。故に,我々はLGBTQの方々の苦悩に耳を傾けねばなりません。社会的強者(大多数)は,社会的弱者を見捨ててはなりません。その権利を認め,抑圧された人権を保護せねばなりません。この考えを前提とした上で,性的多様性の問題を論じたいと思います。
 なぜ,今になって性的多様性が注目されたのでしょうか?物事には必ず原因があります。数十年単位ではなく数百年単位で物事を俯瞰し,現代社会の問題点を究明しましょう。一般的に,「近代の幕開けはデカルト哲学の登場である」と言われています。つまり,デカルトの提唱した分析的かつ合理的思考が,中世的迷信を打破し,近現代の扉を開いたのです。一方で,デカルトが後世に残した思想的欠点があります。それは二元論的思考です。
 デカルトは,心身二元論を唱えました。つまり,人間の心と身体を別物として論じたのです。この考えは,私たちにとって極めて普通のことです。しかし,デカルト当時は画期的なことでした。数学に長けたデカルトは,物事を分解し個別に分析,それらを総合すれば正しい全体像が得られると考えたのです。しかしこれ,大きな間違いです。全体と部分は違います。部分をいくら積み上げたところで,一つの有機的全体に統合することはできません。五体をバラバラにした人間をいくら分析しても,人間そのものが分からないのと同一です。
 いずれにせよ,デカルト哲学の影響により,心と体を分離する思想的傾向が生まれました。さらに,心身の分裂は性の分裂に繋がります。そして,近現代人は,心身の分裂に伴い,心のみを重視し,身体を軽視しました。すなわち,自分の肉体を軽視したのです。その性別,その形状,その特徴を軽視したのです。身体の軽視は止まることなく,SNSの普及や仮想空間の進展によって,より加速しています。

多様性重視の果てに・・・


 本来的な人間は,心身同一の存在です。人間は,全体としての人間であって,心だけの人間ではありません。考えてみて下さい。心だけの人間は存在しますか?あるいは,肉体だけの人間は存在しますか?人間は,善良な心や悪意ある心を持ち,同時に,美しい顔や醜い顔を持つ存在です。これが,ありのままの人間です。
 身体の軽視は,様々な弊害を招きました。身体を軽視することにより,身体をモノ化し,獣欲の道具とみなしました。性的倒錯の誕生です。身体を軽視することにより,「身体はいくらでも作り変えられえる」と錯覚し,整形を繰り返しました。整形依存の誕生です。身体の軽視は,その反動として,身体への偏執を生みます。ルッキズムの誕生です。現代社会の闇は,身体の軽視に起因しているのです。
 私たち現代人は,文明の恐ろしい未来に思いを馳せねばなりません。近代以降,人類は科学を崇拝し,神を軽視しました。神を軽視した人類は,次に,神の似姿である人格(全体としての人間)を軽視しました。人格を軽視した人類は,二元論的思考により身体を軽視し,霊魂の道具として与えられた身体を肉体的形状のみでその優劣を判断するようになりました。この先に待っている未来は,肉体的形状を過度に気にする野蛮人の誕生です。科学的唯物論の果ては,高貴な価値意識の絶滅となるでしょう。
 私は,多様性重視の社会も女性の社会進出もLGBTQの人々も美容整形も様々な性的嗜好も否定しません。しかし,病的な多様性重視の傾向が神の喪失に原因し,神の喪失が文明の破壊を招くことに警鐘を鳴らしたいのです。
 

以下は参考書籍です。




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