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『宿題が終わるまで遊ばせないでください』をスルーします。

昨日、家でPCを開き仕事をしながら、飽きてはツイッターをしていた。

普段、宿題を机に開きながら後ろむいたりしゃべったりふざけている子に『宿題は!やるならやる!やる気が出ないなら、一回思いっきり遊んでくる!』と言っているのだ。おいおいおい、自分は仕事しながらツイッターですか。

気持ち悪すぎて、どちらかに統一したい気持ちになったので、ふざけながら宿題する子を見守ることにした。
ここでいう「ふざける」というのは周囲に迷惑をかけるほどの奇行を意味する。楽しい談笑や、かわいらしいおふざけではない。

というのも、今日たまたま、宿題を頑張らせるかどうかについて悩んでいたところに私の大好きな安達さんの記事が目に飛び込んできたのだった。

というかそもそも、こどもの考えを改めさせようと思ってオトナをやっているわけではない。こどもが宿題をやらないのには理由がある。それはずっと見ててわかる。わかるけど、99%私にはどうにもできない。

安達さんは、宿題をやらない大人に初めて会ったと書いていたが、わし一回も宿題やってったことないよ。学年が上がろうと先生が変わろうと、誰でも2か月とか経つともう何も言ってこないよ。でも先生が「大変、どうにかしなきゃ。」と思うのは、なぜか宿題を毎日やってくるしまじめなのにテストで全く点が取れない子のほうなのかもしれない。

でもどんな子も、もう、別に先生がどう行動しても、何を言っても、もともとその子が持ってる素質だから、受け入れたほうがwinwinな気がした。
というかもう、こどもが全力で嫌がってることを強要するのは自分の心が持たなかった。こどもといっしょに私が壊れそうだよ。

ということを仲間に相談したら、見守ろう!と言ってくれた。
この先どのように影響していくか、記しておこうと思う。

自分で自分を馬鹿だという子たち

テストの後にいつも同じ子たちが自分のことを馬鹿だという。
この中に馬鹿な子は一人もいないのに。
人間をへしおるのはとても簡単だ。そして一度へし折られた人間は、もう完全に元には戻らない。どこかに痛みや違和感を抱えたままになってしまう。そんなものが小学生に必要なのだろうか。

ここだけは、そのままのあなたでいいよ。という場所にしたいと思う。


あなたは神か。