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仏教⑥”般若心経”(はんにゃしんぎょう)と”空”(くう)

「まことでないものをまことであると見なし、まことであるものをまことではないとみなす人々は、あやまった思いにとらわれて、ついに真実に達しない。」byブッダ


皆さんは「般若心経」というお経を聞いたことがありますか?日本でもいくつかの宗派にまたがって読まれるので、耳にしたことがある方もいらっしゃると思います。今回は、「般若心経」と、その中心になる考え方の「空」についてなるべくシンプルにお話しします。

まず、以前の記事で、お経というのはお釈迦さまの教えを後に弟子たちによって形にした、というお話をしました。後に書かれたものは、お釈迦さまの教えに補足したり、一部否定したり、脚色されています。「般若心経」も、5世紀頃に西遊記の三蔵法師でおなじみの玄奘(げんじょう)によって漢語に訳されたものです。

正式には「摩訶般若波羅蜜多心経」(まかはんにゃはらみったしんぎょう)といい、観音菩薩と弟子の会話劇になっています。ごくかいつまんで言うと、こういうことになります。

弟子「悟りを得て、この世の苦しみから逃れるにはどうしたらよいでしょうか。」
観音「この世のあらゆるものには実体がない。人間の感覚や心も本来は存在しないのだ。だから、物事に執着したり、一つの価値観に捉われる必要はないのだよ。」

観音様のお話をより深く理解するには、お釈迦さまの「空」(くう)の考え方を知る必要があります。「空」とは、実体がない、定まった形がないことです。前回の「諸行無常」(しょぎょうむじょう)「諸法無我」(しょほうむが)でお話ししましたが、全てのものは変化し続け、あるのは”モノ”ではなく、”コト”だけ、関係性や状態だけなのだということです。

”関係性”についてもう少し詳しくお話しします。皆さんも、「因縁」(いんねん)や「因果」(いんが)という言葉を聞いたことがあるでしょう。全てのものは、「因」「縁」がそろって「果」(結果)となっています。これを「因(縁)果の道理」といいます。

因縁果の道理

例えば、”もみダネ”(因)があります。これだけではお米は育ちません。そこに”水”、”空気”、”温度”など(縁)が合わさることで”お米”(果)ができるのです。さらに、「因」と「縁」によって、「果」は変わります。

もみダネの品種によって、コシヒカリが出来上がるのか、あきたこまちが出来上がるのか。また、どこの土地の田んぼなのか、その年の気候などによっても結果は変わってきます。

車も、結果、車(果)ができあがっていますが、エンジン、タイヤ、ハンドルなど(因)をある方法で組み立てて(縁)いて、部品だけ見ても車とは言えません。そして、その部品自体も、ネジ、バネ、など、どこまでもバラバラにできます。

因縁がそろっている間だけの存在です。それは、私たちの肉体も精神も同じなのです。それがいつかバラバラになり、消滅したかと思えば無になるわけではなく、また因と縁によって変化を続けながら生まれ変わるのです。

般若心経の中に、「色即是空」(しきそくぜくう)「空即是色」(くうそくぜしき)という言葉が出てきます。「色」とは、物質的な、形あるものを指し、「空」は先ほどの説明の通り、そこにはあるけれども実体としては存在しないこと。

「色即是空」とは、”世の中にいつまでも変わらないものなどはなく、全てのものは変化し続けている”という意味です。
「空即是色」とは、”いろいろな物体として変動しながら、それぞれの個性を持った、様々なものに生まれ変わることができる”という意味です。

現代の科学、例えば相対性理論のような壮大なスケールに及ぶ理論や、量子力学のようなミクロの世界の理論を包括して説いたような、お釈迦さまの「空理論」「般若波羅蜜多」とは、サンスクリット語で”智慧の完成””完全なる智慧”という意味です。人として生きるための智慧をここから学ぶこと、やってみても良いのではないでしょうか。


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