芸術なんて、人のなんの役に立つんですか、という疑問を持つ人へ
「スミレはただスミレのように咲けばいい。そのことが春の野にどのような影響があろうとなかろうと、スミレの知ったことではない。私に関して言えば、数学を学ぶ喜びを食べて生きている、ただそれだけのことだ。」 by岡潔(数学者)
”芸術の話なのに、数学者?”と思われましたか?私が芸術に関する研究をしながらたどり着いたのは、明治生まれの天才数学者、岡潔(おか きよし)でした。
彼は言いました。「数学とは、自らの情緒を外に表現する学問芸術の一つ。」
彼のことをほんの少しご紹介します。京都大学理学部を経てフランスのソルボンヌ大学に留学。そこで出会った多変数函数論に帰国後に取り組み、難しすぎて世界中の数学者が手をつけられなかった三大問題を全て解いてしまいます。世界に衝撃が走りました。ある数学者は、「”Oka Kiyoshi”をずっと架空の人物で、20〜30人の数学者が共同で研究し、代表名で発表していると思っていた。あれほどの論文をたった一人で書けるはずがない。」と言いました。
岡は言っています。「人間の情緒こそが学問の中心であるべき」だと。人に対する知識が不足するような偏った教育を見直し、じっくりと時間をかけて人間性を成熟させるべきなのです。
それは、数学だろうと、文学だろうと、音楽だろうと、日常生活だろうと同じなのです。たまたま表現方法がそれぞれ違うだけ。対象となるものと本気で向き合い、喜び、悲しみ、痛みなどを心からわかるということです。
”考える”という言葉は昔の言い方で”かむかふ”(身、交わす)といいます。自分が身をもって相手と交わる(付き合う)。長いこと親身に付き合うから相手のことがよくわかってくる。本当の”考える””知る”ということです。
学問や芸術は、人を学ぶことであり、誰かを思うことなのです。私たちは、これ以上に無い大切なことを学ぶために、学問や芸術に勤しむのです。そして、それはやがて喜びに変わります。
もちろん、”脳科学的にメリットがあるから”、”辛抱強く頑張ることができるように”など、別の側面から考えることもできますが、全てを切り離すことはできません。その根本に情緒があるのです。まず第一に人間であること。
なんだか堅くて難しそうな話に見えるかもしれませんね。でも話の結論はいたってシンプル。”生きる喜び”です。スミレが咲いているように…。
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