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仏教とお釈迦さまの教え

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記事一覧

【ハーブ天然ものがたり】インド菩提樹

菩提(覚者)の木 日本で菩提樹とよばれる木は大別するとクワ科イチジク属と、アオイ科シナノキ属があります。 菩提はサンスクリット語の「budh」が由来で「覚醒する」「転じて知り尽くす」「完全に理解する」という意味をもつそうです。 釈迦がその木のしたで悟りをひらいたことから仏教三大聖樹のひとつとされ、菩提樹の名で釈迦の物語を伝承してきたのはクワ科イチジク属、学名 Ficus religiosaだろうと伝承されています。 ボーの木、ボーディの木、ピーパルの木など呼び名はい

食べることの大切さ〜五観の偈(ごかんのげ)

私たち日本人には、食べる前の「いただきます」、食べ終わった後の「ごちそうさまでした」を言う習慣がありますね。特に「いただきます」は、私たちが食べる全ての命に、また、食事を用意する人や食材を提供する人たち全てに感謝する、日本特有の素晴らしい言葉です。 仏教の教えにも、「五観の偈」と言う、僧たちが食事の前に唱える言葉があります。食に対する姿勢が示されていますので、ご紹介します。 五観の偈一つには功(こう)の多少を計り 彼の来処(かのらいしょ)を量る 二つには己が徳行(とくぎ

「つもり違い十ヶ条」

高いつもりで低い教養低いつもりで高い気位深いつもりで浅い知識浅いつもりで深い欲望厚いつもりで薄い人情薄いつもりで厚い面皮強いつもりで弱い根性弱いつもりで強い自我多いつもりで少ない分別少ないつもりで多い無駄 いやはや、一つ一つグサリと胸に刺さります。自分はこんな”つもり”になっていなかったか。自分のしてきたことはこれでよかったのか。とんだ勘違いをして、恥ずかしいことになってしまっているのでは、と。 この言葉の出どころは諸説あります。どこかの山寺で生まれたとか、福沢諭吉の言葉

八識(はっしき)

「現代科学に足らないものを埋め合わせるものがあるとすれば、それは仏教だ。」by A・アインシュタイン お釈迦様は、”全ては人間の心が作り出すもの”として、人間の心理や教えについて「お経」という形で膨大な量を書き残しました。その中で、人間の認知、あるいは存在、心を八つの側面に分けた「八識」についてお話します。 「識」とは、「心」のことです。 ①眼識(げんしき)  色や形を見分ける心 ②耳識(にしき)   音を聞き分ける心 ③鼻識(びしき)   匂いを嗅ぎ分ける心 ④

仏教①宗教ってなに?

「ひとり坐し、ひとり臥(ふ)し、ひとり歩み、なおざりになることなく、わが身をととのえて、林のなかでひとり楽しめ」 byブッダ 皆さんは仏教徒ですか?もしくは他の宗教の信者ですか?それとも無宗教?無宗教と仰る方が多いかもしれませんね。なんなら宗教なんて、何かを心のよりどころにしないと生きていけない弱い人間が信じるもの、と、否定的に思っているかもしれませんね。 また、宗教は平和を求めているはずなのに戦争を引き起こしているのではないか、そんな宗教なんてない方がいいと思っている方

仏教②お釈迦様

「ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によって作り出される。もしも汚れた心で話したり、行ったりするならば、苦しみはその人に付き従う。」byブッダ 仏教とは、お釈迦様の教えのことです。「生きる苦しみから自分を解放するための教え」をお釈迦様とお弟子さんたちで「お経」という形で残されました。当時は口伝でしたが、その後書物に書き下ろされました。その量なんと7千巻以上と言われています。でも、お釈迦様って一体誰なんでしょう。 今から約2600年前、インド北部、ヒマラヤ山脈のふもと、

仏教③お釈迦様の教え

「いかなる生物生類であっても、怯えているものでも強剛なものでも、ことごとく長いものでも大きなものでも中くらいのものでも短いものでも、微細なものでも粗大なものでも、目に見えるものでも見えないものでも、遠くに住むものでも、すでに生まれたものでもこれから生まれようとするものでも、一切の生きとし生けるものは、幸せであれ。」 byブッダ お釈迦様は、かつて一緒に修行をしていた5人の仲間に一番最初の教えを説くことにしました。お釈迦様のことを”ブッダ”ともよく言いますが、ブッダとは、”真

仏教④ありがとう

「自己こそ自分の主である。他人がどうして(自分の)主であろうか。自己をよくととのえたならば、得難き主を得る。」 byブッダ 4月8日は、お釈迦さまの誕生日です。お釈迦さまのお母様のマーヤ夫人は、里帰り出産のために移動しているところを産気づき、途中のルンビニーの花園でシッダールタ王子を産んだので、この日を「花祭り」といいます。 この時、生まれたばかりのお釈迦さまは、七歩歩いてから右手で天を、左手で地を指してこう言いました。「天上天下 唯我独尊 三界皆苦 吾当安此」(てんじょ

仏教⑤4つのキホン

「すべてのものにおいて「私」とか「私のもの」という実体はない。すべてのものは、その関係性においてあるだけ。」 byブッダ お釈迦さまの教えには、4つのキホンの考え方があります。 ⒈一切皆苦(いっさいかいく) まずは、「四諦」の回でもお話したことですが、すべてのものは皆思い通りにならない、この世で生きることは苦しいことだ、と知ること。これが仏教の出発点です。苦しみの代表選手、「四苦八苦」のお話もしていますので、よろしければそちらもご覧ください。 ⒉諸行無常(しょぎょうむじ

仏教⑥”般若心経”(はんにゃしんぎょう)と”空”(くう)

「まことでないものをまことであると見なし、まことであるものをまことではないとみなす人々は、あやまった思いにとらわれて、ついに真実に達しない。」byブッダ 皆さんは「般若心経」というお経を聞いたことがありますか?日本でもいくつかの宗派にまたがって読まれるので、耳にしたことがある方もいらっしゃると思います。今回は、「般若心経」と、その中心になる考え方の「空」についてなるべくシンプルにお話しします。 まず、以前の記事で、お経というのはお釈迦さまの教えを後に弟子たちによって形にし

仏教⑦日本人と仏教

「たとえためになることを数多く語るにしても、それを実行しないならばその人は怠っているのである。」 byブッダ インド、ネパールで生まれた仏教は、中国、朝鮮半島と大陸の北ルートを経て日本へ伝わります。南ルートもあるのですが、日本に伝わったものとは少し違います。6世紀半ば、飛鳥時代の欽明天皇(きんめいてんのう)の時に百済(くだら)の王様から、仏像や経典がもたらされました。 それまでの日本人の信仰は山や太陽などの自然であったところに、キラキラの仏像などの登場はセンセーショナルだ

仏教⑧修行

「善をなすのを急げ。悪から心を退けよ。善をなすのにのろのろしたら、心は悪事を楽しむ。」byブッダ 仏教の修行とはなんでしょう。仏教辞典などには、”真実の自己を実現するための行い”とあります。僧侶は出家する際に各宗派の特定の寺院で一定期間の修行をすることになっています。ただ、仏教の教えを学んでいる限り、修行は僧侶だけのものではなく、私たち誰もが行えることなのです。 修行の目的は”さとりを開くこと”です。お釈迦さまの記事でもお話ししましたが、形式上肉体的に苦しいだけが修行なの

仏教⑨お寺の行事&用語

「挨拶」(あいさつ)という言葉は”相手に迫る”というような意味で、もともと禅宗の師匠が弟子に声をかけ質問し、弟子の返答によって修行の深さを見る禅語からきている。 「お盆」 毎年お盆には、お墓参りをしたり提灯に灯りを灯すなど、ご先祖様をお迎えして供養する恒例行事になっています。その由来には、仏教のこんなお話しがあります。 この仏教の「盂蘭盆会」(うらぼんえ)という教えと日本古来の風習が混ざり合って現在のお盆として定着しました。 「お彼岸」 春分、秋分の日にもお彼岸とし

仏教⑩仏像

「邪魔」(じゃま)とは、修行をしていたブッダを誘惑してさとりを開かせないようにした悪魔のことである。 お釈迦さまが亡くなって、説法を聞くことができなかった人々は大変残念に思い、なんとかあやかりたい何かが欲しいと、各地に仏舎利塔(ストゥーパ)を建てました。仏舎利とはお釈迦さまの遺骨のことで、それを納めた塔です。 お釈迦さまの骨は限られるので、のちに建てられたストゥーパには骨の代わりに宝石や経文などを納めました。もともとはお釈迦さま本人、自身が信仰の対象であるという考えではな