慈月/itsuki

慈月(いつき)です。ひとり言や妄想を書いたりします。 https://twitter.…

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慈月(いつき)です。ひとり言や妄想を書いたりします。 https://twitter.com/studio_itsuki

マガジン

  • 何度も読み返したい

    勉強になる。心に響く。

  • 石垣島

    1999年後半からおよそ3年ほど暮らした石垣島。島の人から聞いた話や、自身が体験したことなどを綴っています。

最近の記事

おいしいもの食べてください。と、祖母は言った。

俺の祖母ちゃんは、食べ物に対して並々ならぬ思いを持つ人だった。それは自分の食べる物だけでなく、子や孫たちが食べるものに対しても同様だった。 例えば俺が、ちょっと旅行に行ってくると祖母ちゃんに言うと。美味しいもの食べなさいよ、と。何度も強めに言いながら小遣いを渡してくる。 どこかに出かけるときは美味しもの食べなさい。普段から美味しいものを食べなさい。そう、口癖のように言っていた。お盆の時期など、遠方から帰ってくる我が子や孫たちにも、道中。または帰り道で、美味しいもの食べなさ

    • 相反する力

      古武術の勉強をしていた時期。お師匠さんがやって見せてくれた技や"理合い"の中で印象に残っているものがいくつかある。 ひとつに、真逆のことを同時に行う。相反することを同時にやる技。それを行うと、通常なら出せないような強い力を引き出すことができる、というものだった。 例えば腕の筋肉。伸ばすための筋肉である伸筋と、縮めるための筋肉である屈筋を同時に使うことで、普段なら耐えられないような負荷に耐えることが出来るようになる。 お師匠さんがやって見せてくれたあと。自分で実践して見る

      • 前と後(あと)

        色づく前のモミジを見かけた。八月の後半、少しだけ色が付き始めているが、まだ青々としている。しかしこれはこれで綺麗だと思う。 んん、なんというか。出番前の、まだメイクしていない女優さんのような。いわゆる「すっぴん」の状態。 色づいたときとはまた違う、強い生命力を感じる。 春の桜もそうだ。薄いピンクの花弁が美しいが、それが散り始めてから見える葉桜の方がなんとなく好きだ。 満開に咲いた着物を脱ぎ捨て、舞台はこれから始まるのだと言わんばかりに、青々とした葉を広げる。それはまた

        • インディオの不思議な教育

          8年ぐらい前だっただろうか。とある女性セラピストの方とお話しする機会があった。そのとき聞かせてもらったインディオのヒーリング能力の話が印象に残っている。ふと、思い出したので書き残しておきたい。 その女性セラピストさん。仮にAさんとしておく。Aさんはアメリカ先住民と交流があるらしく、彼らとの関わりの中でいろいろなことを学んだそうだ。当時は俺も療術の仕事していたので、インディオの人々はどのような療法を使うのか、という話になった。 Aさん曰く、インディオには本当に傷や病気を治す

        おいしいもの食べてください。と、祖母は言った。

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        • 何度も読み返したい
          9本
        • 石垣島
          12本

        記事

          余興、そして余興

          二十数年前。石垣島で暮らしていたころ。働いていたガソリンスタンドの同僚のSさんが結婚することになった。Sさんは内地で暮らしていた時期があったようで、島の人には珍しく、流暢な関西弁をしゃべる人だった。自分も三重県の西側に位置する地域出身だったのでイントネーションは関西よりだった。そのような経緯もあってSさんとは仲良くさせてもらっていた。 結婚式には是非来てくれ。Sさんがそう言ってくれたことが嬉しかった。しかしスーツをもっていなかったので、他の同僚に借りて式に出席した。まだ二十

          余興、そして余興

          つばめさんの視点

          何かひとつのモノや事象を見たとして、人によってとらえ方は違う。抱く感想も違う。そんなことは当たり前なのだけれど、しかしそこに面白さがある。 例えば手をつなぐ親子がいて、子はまだ幼い。二人が同時に空を見上げると、大人の視点よりも子どもの視点からの方が、空はより広く見えるだろう。空と世界と、隣にいる大人が、とても大きく見えるだろう。そしてそこから生み出される心の動きは、唯一無二のモノになる。 沢木耕太郎さんの「旅のつばくろ」を読んだ。彼の旅においての「見方」、もしくは「視点」

          つばめさんの視点

          点と点を繋げてご利益

          ご利益というものは、結局それを受けた人が、起きた出来事を都合よく解釈することなのかもしれない。 例えば神社に参拝し、何か祈る。そのあと願いが成就すると、ああ神様のご利益だ、ありがたい。となる。 もしかしたら神社に行って祈らずとも、願っていたことは成就していたかもしれない。しかし「神社で祈った」という点と、そのあと「願いが叶った」という点を結び付け。そこに「ご利益」という目には見えない何かの存在を感じる。 一点だけでは生じず、二点か三点を繋げることで「ご利益」だと認識でき

          点と点を繋げてご利益

          安心の音

          早朝、強い雨が降った。 激しい雨音。屋根に穴が開いてしまうのではないかと思うぐらいの、強い雨だった。幸い、短時間で雨はおさまり、そのあと少し晴れ間が見えた。 ごおごお と響く雨音を聞いて思い出した。幼いころ、姉と共に聞いた雨音のこと。 雨が降る中、わざわざ家の外に出て、傘をいくつもさして地面に置き重ね、ドーム状にしてその中で過ごしたこと。 あのときの雨音のこと。 ∴ 俺が小さい頃、あれは多分小学校に上がる前ぐらいだった。雨の日、たまに姉に連れられて、傘を何本かもって

          初めての味

          20年数年前、石垣島。 18のころに一人暮らしを始め、自炊をすることになった。16のころに料亭の厨房にいたが、洗い場にいることがほとんどだったので、そこで料理をしたというような記憶はあまりない。 自分としては、ちゃんと料理をしたと思えるのはやはり一人暮らしを始めてからだった。とはいえ、自炊をすると言っても、何をしたらいいのか全くわからない。自転車で本屋に走り、料理のレシピ本を探した。これいいな、と思える2冊に決めた。そのうちの一冊が料理研究家のケンタロウさんの本だった。(

          初めての味

          また、裏切られたい

          「良い意味で、いつも読者を裏切るようにしています」と話す、東野圭吾さんの言葉をどこかで読んだ記憶がある。細かいところは間違っているかもしれないが、だいたいは同じだと思う。 初めて東野圭吾さんの作品に触れたのはいつだったろうか。たぶん十代の終わりごろに「探偵ガリレオ」を読んだ時が最初だったと思う。あのオムバス形式の作品はとても読みやすかった。自分は強迫性障害の影響で、一度に読める量が少ない。なので短くまとまっている物語はありがたかった。そしてこの、短編がいつくも収録されている

          また、裏切られたい

          真っ直ぐな視線を、いつ失くしたのか

          回転寿司屋で食事をしていると、となりのテーブル席に若い夫婦と赤ん坊が座っていた。赤ん坊は可愛らしい男の子で、子供用の小さな椅子に座ってニコニコしている。若い夫婦は、次に食べる品を選ぶためにタブレット端末に見入っていた。 ふと、その赤ん坊がこちらを向いた。俺の方をじっと見ている。思わずこちらも見つめ返す。数秒経って、堪えきれずに目線を外した。しばらく、自分の注文した寿司に集中していたが。なんとなく気になり、チラッと赤ん坊の方を見ると、まだこちらをジッと見つめていた。 それほ

          真っ直ぐな視線を、いつ失くしたのか

          ビギナーズラック・チケット

          俺はギャンブルの類は一切やらない。若いころに何度かやってみたことがあるが、一度も勝ったことがない。よく、誰でも一度はビギナーズラックで勝てることがあると聞くが、そのビギナーズラックとやらも体験したことがない。一度も勝てたことがないので、いやそのおかげでギャンブルというものは、ただの時間とお金の無駄なのだと強く認識することができた。 なぜビギナーズラックがなかったのか。なんとなく心当たりがある。恐らく自分には、ギャンブルに対してのビギナーズラックが、かつて一度あったのだと思う

          ビギナーズラック・チケット

          価値あるもの

          テッポウユリが咲いていた。雨間に、少しだけ散歩をしているときに見かけた。花の部分が重いせいか、雨に濡れたせいか、下を向いて咲いているものが多かった。近くに寄ってまじまじと観察してみる。白い花弁と、横に走る赤いラインのコントラストが美しい。この花は別名「琉球百合」ともよぶらしい。 よく見るとそこら中に咲いている。なんてことのないただの空き地に、雑草たちに混じって咲いている。こんなに綺麗なのに、あまり注目している人を見かけない。この季節には、ありふれているからだろうか。 人間

          価値あるもの

          「あん」をよんで感じた対極

          対極にあるものがやけに目についたり、不必要に意識してしまったりする。自分が今何かをしていて、それと正反対のことをしている人がいると気になってしまう。人間であれば誰でもそんなことがあると思う。 ときに人は対極にあるものを攻撃の対象としてしまうことがある。しかし対極を攻撃するのではなく、そこから何か学び取れれば、人生はより良い方向へと向かえるのではないだろうか。 ∴ 2016年3月から1か月半ほど沖縄の宜野湾に滞在していた。そのころ、糖質制限もしていた。自分の身体を使った人

          「あん」をよんで感じた対極

          「小さな楽しい」は「大きな楽しい」の入り口

          今年の初めごろ、100円ショップのキャンドゥでキッチングッズを買った。商品名は確か「ターナースプーン」という。 写真にあるように大きめのスプーンのような形で、先の部分は熱に強い素材になっており、とくに炒め物などをつくるときに重宝する。全体を混ぜるとき、皿に盛りつけるときも非常に使いやすい。 お玉だと角度的にちょっと使いづらいが、このアイテムだとスムーズに調理、盛りつけが出来る。フライパンで、カレーや親子丼を作るときもかなりイイ感じだ。 (↑横から見た図。この先端部分の微

          「小さな楽しい」は「大きな楽しい」の入り口

          それでも人は祈念する

          そんな昔のことを、いつまでも覚えていてどうするのか。昔のことは忘れて、さっさと前を向いて歩くべきだ。などど、以前の俺は考えていた。しかし、ここ何年かは考え方が少し変わってきた。年をとったせいか、悲惨な事件や事故の情報を見過ぎたせいだろうか。 大きな出来事があり、それが多くの人を傷つけるようなことがあったなら。時代が変わっても忘れず、その出来事を後世に周知し。取り返しのつかない過ちを繰り返さないようにする。このことは、ずっと必要なことだと思う。 今日は終戦記念日。俺の祖父は

          それでも人は祈念する