迷えるブチネコ|高校教員歴30年

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迷えるブチネコ|高校教員歴30年

病院・薬に頼る前に!教員向け無料カウンセリング実施してます→「固定された記事」をご覧ください🐈30年間、高校教員をしている私が、悩む時、辛いと思う時、助けてくれた名言たちを日々の記事ではご紹介します。生徒、保護者、同僚と、日々真剣に向き合う先生方、応援しています!

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学校の先生が、心療内科・精神科に頼る前に

🐈こんにちは🐈迷えるブチネコです🐈 メンタル不調で悩んでいる学校の先生方は、日々お辛い生活をされているかと思います。 私も、時期によってですが、メンタル不調に悩まされることが今でもあります。 そんな時「心療内科」に行って受診してみよう…と思うのは、不自然なことではありません。 私自身、心療内科を受診したことがあります。しかし、それは20年以上前のことで、現在はずいぶんと状況は変わっているようです。 ①病院は予約から受診までに日数がかかる例えば、心療内科の予約から受診

    • 123 生きづらさを解消するために

      生きるとは行動することである。ただ呼吸することではない。「生きづらさを感じる」という言い回しを、いつの頃からか聞くようになりました。 私が若い時には、聞いた記憶がないのですが、あったのでしょうか…。 まあ、別にそれはどうでもいいのですが、こういう言い回しが、よく言われるのなら「生きづらさを感じる」人が、増えているってことですよね。 なぜ、生きづらさを感じるか、理由は様々かと思います。でも、おそらく共通しているのは「行動すること」ができていないからかもしれません。 何か

      • 122 「誰かになろう」と思っていませんか?

        誰かになろうと思っても無理なんです。進学校で担任していると、生徒に模試の成績を返す時があります。 その時に「まずは人と比較しない!」的なことを、よく言います。 比較したところで、あなたは、あなた。まずは振り返り、自分に何が足りなかったのか、チェックすることが大切ですね…。 なんてことを、言うんですが…。 メンタル弱っている時の自分自身に言ってあげたい言葉ですね。… メンタル不調の時って、無意識のうちに、他人と比較していませんか?これ、絶対にやめた方がいいと思います。

        • 121 習慣て、怖い

          人間は理性の生き物でもなければ、本能の生き物でもない。人間は、習慣の生き物である。人間には色んな習慣があります。 大きく2つに分けることができるのではないでしょうか。 それは、良い習慣と悪い習慣です。 そんなことは当たり前だ!と思いますよね。ただ、自分に何かしらの習慣がある時、その習慣が、自分にとって良いものなのか、悪いものなのか、自覚がありますか? 例えば、ついつい甘いものを食べちゃう…なんてのは悪い習慣だと自覚できちゃう。なぜなら、それは甘いものを食べすぎるとああ

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        記事

          120 笑える習慣

          人間許された唯一の特権は笑うことや。笑いながら生きるということが人間としての証や。人は笑うためには生きるんやで。NK細胞って、ご存知ですか? 笑うことでナチュラルキラー(NK)という免疫細胞が活性化し、免疫力がアップします。また、笑うと、エンドルフィンという脳内物質が分泌され、痛みを和らげる効果があることも報告されています。 なんか、こういうこと聞くと「笑う」って、大切だなぁ、と思います。 今回のコトバの通り「人間許された唯一の特権は笑うこと」です。「人間としての証し」

          119 醜い?メンタル不調

          肉体的な弱点でも、内面的なものでも、それを他人に気づかれまいと苦心するところから人間は醜くなるのです。メンタル不調の人間は、何もかも「気づかれまいと苦心」しているのではないでしょうか。 少なくとも私はそうでしたし、今もそうです。 なので、しっかり醜いのだろうと、…諦めてはいます。 だって、醜くならないようにするためには、弱点をさらけ出せ!ってことなんですよね、このコトバ…。 いや、もう、無理でしょ、それって…。 醜くてもいいです…と、卑屈になってしまいそうです。

          118 他人との連帯なんて、簡単なことではない

          生活が苦しいといった外面的なことでは人間は自殺しない。他人との連帯を失ったときに人は自殺に走る。かなり過激なコトバですが…頷けます。 自殺しないまでも「他人との連帯を失ったとき」に、人はかなりのショックを受けるものです。当たり前です。 古今東西、それは変わりません。 でも「他人との連帯」なんか、そんな簡単に手に入るものではありません。そもそも、これは自分で作り上げるものなのか、それとも、どこかにあって、そこに入り込んでいくものなのか。 それを悩んでいるだけで、メンタル

          118 他人との連帯なんて、簡単なことではない

          117 あなたの人生、順風?逆風?

          逆風も、逆から見れば順風だよね。もしも世の中に自分は「順風満帆」な人生と言い切る人がいるのなら、きっと、その人は、このコトバのように、逆風を順風と捉えているのでしょう。逆風の無い人生なんて無いでしょうから…。 このコトバは、ものの見方で事態は色々と変わってくるし、自分も辛い状況をプラスに捉えられる、といった意味で認識できそうですね。 良いコトバです。 でも私はひねくれ者なので、ちょっと思っちゃうんです。 逆風は、時に逆風のままでいいんじゃないの?って…。 その方が、

          117 あなたの人生、順風?逆風?

          116 不安という言葉をどう言い換えるか

          不安になるのは、悪いことじゃない。不安になって、不安になって、底までいったら、あとは上がるしかないから。「不安」って言葉は、良くないですね。 悪く言えば、問題ときちんと向き合えていない気持ちを「不安」と言うべきでしょう。 良く言えば「慎重に考えている」とか「冷静に物事を見つめている」とか、そんな表現に置き換えられるのだと思います。 そういう表現なら「悪いことじゃない」と思えるような気がします。 「底までいった」というのはきっと、悩み抜いた、ということです。 そうなれ

          116 不安という言葉をどう言い換えるか

          115 ゴミを漁るカラスのように

          人間はみんなが美しくて強い存在だとは限らないよ。生まれつき臆病な人もいる。弱い性格の人もいる。メソメソした心の持ち主もいる。けれどもね、そんな弱い、臆病な男が自分の弱さを背負いながら一生懸命美しく生きようとするのは立派だよ。ある女子生徒が卒業文集に、以下のようなことを書いていました。 「登校途中、ゴミ捨て場でゴミを漁るカラスを見て、私は美しいと思いました。学校に行くのが辛いけど、私もこのカラスのように、皆に汚いと思われても、頑張って生きてみようと思ったことがあります。」

          115 ゴミを漁るカラスのように

          114 私立学校という組織における教員の矛盾

          組織に貢献してくれるのは、優秀な者よりも、能力は並の上だが、忠実な者の方だ。確かに……。 何年も「私立学校」という組織にいる人間としては同意せざるを得ないコトバです。 「私立学校」の教員と言ったところで、このコトバについては、一般企業のサラリーマンの方と変わらんでしょう。 「優秀な者」が取り立てられず、「能力は並の上だが忠実な者」が取り立てられ、いわゆる「出世」していく様を、イヤというほど、見てきました。 出世のため、と、生徒たちのため、が、特に私立学校の場合、両立で

          114 私立学校という組織における教員の矛盾

          113 果たして私は教員に向いているのか

          人見知りじゃない奴は面白くない。どんな人が教員に向いているのだろうと、たまに思うのですが、積極的にコミュニケーションが取れる外交的な人が、基本的には向いていると思います。 なぜなら、生徒たちの「中」に入っていくのには、やはり、どうしたってそういう素質があった方がいいに決まっているでしょう。 今も職場で、そういう先生を見ていると、私なぞは「いいなぁ」と思ってしまいます。 一方で真逆の「人見知り」の内向的な人間は、あまり向いていないのかな、と普段は思います。 しかし、こう

          113 果たして私は教員に向いているのか

          112 自分中心という毒

          反省とは、自分中心という毒を抜いていく治療行為のようなものでもあるのです。教員生活30年、ずっと「治療行為」をしている気がする…笑 反省しない日はないくらい、ダメな自分と向き合っているつもりですが「自分中心という毒を抜いていく」ことが、ちゃんとできているかどうかは不明です。 人間は基本的にはラクな方へ流れてしまいます。私はそういう人間です。 こういう反省が大切なのは、わかってはいるのです。でも、反省し過ぎると、それはそれでメンタル不調になってしまうのかな、とも思ってしま

          111 50代半ばを迎えて思うこと

          逃げたことを卑下しないでそれをプラスに変えてこそ逃げた甲斐があるというもいのですまさにこのコトバのようにしたいと思い、これまで教員として30年、頑張ってきたつもりですが…難しいですねぇ。 「学校の先生になりたい!」っていう方には申し訳ないのですが、なってしまった私にしてみると、ミスマッチだったのかなぁと、思うことしばしばです。 私の場合は、コトバの通り、逃げてきて教員になったクチです。そこに「甲斐がある」ようにしてきたんですが、「ある」とできたこともあり、できなかったこと

          111 50代半ばを迎えて思うこと

          110 教員だけで世の中が成り立つわけではない

          平和とは、毎日、毎週、毎月のプロセスによって生まれるもの。少しずつ人々の意見を変え、ゆっくりと古い壁を崩し、新しい仕組みを静かに築いていくことなのです。最近のニュースでの文科省働き方改革素案を見ると、とても大きな変化とは言い難いと感じます。 おそらく大きな変化としたいのでしょうが、毎度のこと、教員の実態をわかっていない改革です。 一方で、急激な改革があれば教員にとってプラスになることが多いかもしれません。しかし教員は良くても、色んなところに色んなしわ寄せが出てくるかもしれ

          110 教員だけで世の中が成り立つわけではない

          109 元気がもらえる、何かを日々探している

          自分を元気づける一番良い方法は、誰か他の人を元気づけてあげることだ。普段から元気のない私には、かなりハードルの高いことですが……。 確かに、その通りだと思います。「誰か他の人を元気づけてあげること」ができるのなら、そりゃあ、自分も元気なはずですよね。 てことは、普段から、他人を元気づけるスタンスを持っていると、自分のメンタルも整うのかな、と。 メンタル不調の人間には無理なコトバに聞こえるのですが、一人で悶々と悩み続けるよりかは、周りに目を向けてみることは、悪いことではな

          109 元気がもらえる、何かを日々探している