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Episode 064 「音楽とは想い出、である」

さて、Episode 027より開始した「オーストラリアにいた時(1996〜2010年)によく聴いたアーティストおよびバンドの曲」(併せて、「よく聴いた訳では無いが印象が強く残っているアーティスト及び曲」も含む)、という括りで当時を振り返る試み、先ずはアルファベット順で紹介する内容をEpisode027Episode050にて終えた。そして、あいうえお順(そう、日本のアーティスト)で振り返ってみるそれもEpisode 051Episode 063で終えた。

繰り返しになるが、これらの曲は、「アデレードにいた時によく聴いた(または強く印象に残っている)曲」という観点から書かせてもらっている。そして、各アーティスト・バンド、(幾つかの例外を除いて)数曲まで(の紹介)としている。尚、これらの制限を設けずにアーティスト・バンド及び曲紹介をするとなると、キリがない程(おそらく、13巻くらいの辞書になるだろう)紹介してしまうだろう。

尚、音楽に対するこれまでの熱量を、具体的にいつ、どうやって、なぜ私が持つ事になったか(または、なぜ「持たなくてはならなかったのか」)に関しては、私が(または自分以外の人が)納得する程の説明を持ち合わせていない。少なくとも、現時点(2024年)では。ただ、だからといって具体的に何か困った状態に陥っている訳でもなければ、誰かに迷惑を掛けている訳ではない(少なくとも自分が把握している限りでは)ので、特に答えを急いでいるという訳でもない。寧ろ、明確な答えが存在しないというシナリオである可能性も極めて高い。きっとそう言うことなんだろう。

音楽の持つその力であったり、その奥の深さなどについては、そもそも(少なくとも)私が語る必要性は全くないと感じている。なぜなら、その様な説明なんて無くても充分に理解されているからである。そう、魚には水が必要であり、空にはたまに雲が浮かんでいるのと同じような次元で明解なのである。ただ、敢えて語りたい点としては、私がどんな音楽を選んで聴いてきたか、という点が挙げられる。

その為、今回、この様にして好きなアーティストの曲を紹介するに至った。(敢えて明言するする必要もないが)世の中には、果てしない数の曲が存在する。圧倒的に質の高い曲もあれば、どう考えてもそれらの曲が存在しなくても誰も困らない(寧ろ、文化的に見て有害な程ひどい曲もある)だろう、という様な曲も多く存在する。今でも憶えているのだが、姉二人(が小学生の頃新体操を習っており、練習が終わるタイミングで母親に連れられ、その新体操スクールがあった浦和駅(埼玉県)に頻繁に足を運んでいた。90年代初期の頃の話だ。

その新体操スクールでコーチ(先生)をやっていた女性(確か、「オグラ先生」だった)が当時、ビートルズの曲(確か、A Hard Day’s Night)に乗せ生徒達(つまり姉や他の子供)に踊りの指示をしていた。当時、私は小学生に上がる前、または小学生になったばかりかという年齢だった(つまり、音楽のおの字も知らないし、併せて知識も全くない状態)にもかかわらずこの曲が脳裏に焼き付いた。

ビートルズのA hard day's night

つまり、質の高い音楽とは、無知の子供の耳にでさえ、良く聴こえるものなのだと(後になって)改めて感じた。きっと「美味しい」という概念を頭で理解していない小さな赤ちゃんがミルクを美味しい、と感じるように。この様にして、ビートルズはやはり圧倒的な存在感があった。尚、ビートルズをしっかりと聴く様になったのは、恐らく15歳くらいの頃(1999年頃)だと思われる。また、アコースティックギターを始めた頃(20歳頃)には更にビートルズの曲を聴きこんだ。

因みに、しっかりとビートルズの曲をギターで弾き始めたのはいつだっただろうか。記憶する限りでは、恐らく20代前半である(従って、2005~2007年頃だろうか)。YouTubeの動画を見てNorwegian Wood(ノルウェイの森)という曲を練習した。その後も、In My Lifeなどの曲も覚えた。今現在(2024年)でも、アコギを手に取ると自然とNorwegian WoodやIn My Lifeは弾きたくなる。または、Black Birdといった曲。他にも、Here There and EverywhereやStrawberry fields Forever、Nowheremanなど、ビートルズの曲は飽きずに弾けてしまう。

初めて購入したアコギ。MartinというブランドのDX1というモデル。

ご存知の通り、音楽とは、我々が日々過ごす日常に寄り添っている。もちろん、これらの音楽(曲)が映画の様にBGMとして実際に聴こえる事はないが、各自の頭の中または心の中ではきっと、音が鳴っているのである。音楽の持つその力とは我々が頭で考えるもの以上なのかもしれない。一度、実験としてあることを試してみた。感動的な映画のシーンに対し、音(映像の後ろのBGM)を消してそのシーンを見てみる、ということをやった。予想通り、全く感動しなった。改めて音楽の重要性を実感した。

音楽の重要性といえば、結婚式も音楽が非常に重要な役割を果たす行事の一つである。今まで幾つかの結婚式に参加する機会があった。もちろん、どの結婚式も、涙あり、笑いあり、と素敵な結婚式であったのは確かなのだが、やはり音楽についてだけ、納得がいかなかった。かっこいい服を着ているのにもかかわらず、残念なことにサイズ感が合っておらず、せっかくの服の良さを引き出せていない人を見ている様な気分になる。(服の)デザインもブランドもそうだけど、最も重要な要素は実はサイズ感だった、という事が多々ある。もちろん、新郎新婦の二人が自ら選んだ曲であれば良い(第三者にどうこう言われる筋合いではない)のだが、どうやら多くの場合は、その結婚式場が選んだ曲が掛かる様になっている、との事である。

因みに、多くの場合(少なくとも、自分が参列した式に関しては)、曲の選択に対し感心した憶えはない。そんな中、アデレード(Episode003参照)での数少ない日本人の友達である予志也君の結婚式での、PowderfingerというオーストラリアのロックバンドのThese Daysという選曲は素晴らしかった(尚、予志也君の結婚式は広島で行われたので、平和記念公園を初めて訪れた)。

式に出る度に、毎回、「自分だったら、この場面はあの曲だな」など、頭でシミュレーションを行っていた。そう、まるで自分が裏方に回って、音楽の操作をしているかの様な妄想をしながら。そんな事を考えている中、下の姉の披露宴では、私が選曲をできるという機会が訪れた。姉と旦那さんが持つイメージに合わせ、また披露宴の進行具合に合わせ、適切な曲選びを行った。この場面には、この曲、あの場面にはあの曲、と。ジグソーパズルのピースを一つずつはめていく様に、タイミング及び式の流れに適切な選曲を行った。

そして当日、披露宴も無事終了し、式場を去る際に、結婚式場のスタッフの方に、「選曲ありがとうございました。是非、当式場でもこのリストを使用しても宜しいでしょうか」という事を訊かれたのだった。その当時は、舞い上がっていた事もあり、即決で承諾したのだが、冷静になって考えてみると、(リストの)「二次使用料」などという怪しい名目でビジネスにできたのではないかと、後々になっては、そんな下らない事も考えたりした。

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