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Episode 068 「英語学習とはスポーツに似ている。試合は、練習の様に。練習は、試合の様に」

今振り返って見ると、おそらくこの時期(ステファンなどと仲良くなり始めた時期(Episode067参照))に一気に英語が上達したのかもしれない。やはり、英語の上達のスピードは喋る量に比例していると思われる。

因みに、よく、「どうやったら、英語って喋れる様になりますか?」という質問を受ける。控えめに言っても、相当。尚、この様な質問に対する回答としては、一貫して「スポーツと同じだと個人的には考えています」である。

つまり、上達するには、練習と試合の繰り返しが必要なのである。スポーツにおける練習に当たるのが、英語の勉強でいうところの基礎知識(文法の勉強など)習得であり、試合に当たるのが、英語の勉強における会話を行う、という行為である。スポーツでは練習が不十分である場合、試合で良い結果を出すのは難しい。

また、練習ばかりで実際の試合に出場しなければ、実際に上達率も落ちてくる。また、試合に出て初めて自分に不足している要素などが見えてくる場合が多々ある。練習だけをしていても、残念ながらそういった点に気づくことは難しい。そう、自信満々で(長い間)何かを信じていたのにもかかわらず、他の人にその考えを述べた際、見事に間違いを指摘されてしまった時の様に。

この様な事から、先ずは一定の練習量を積んだ時点で、とりあえず、例え自身が少々ないと感じても、先ずは試合に出ることが必要不可欠なのである。つまり、英語の勉強においては、ある程度の基礎的な勉強をしたら、先ず(英語で)会話をしてみる、が重要なのではないかと考える。そう、正にEpisode015で挙げた「英語を話さない旧ユーゴスラビア人のお婆ちゃんから学ぶ英語上達へのシークレット」の内容がそれに当たる。

日本人の多くは非常に賢く、しっかりと練習(つまり、英語の基礎勉強)を積んでいる場合が多い。しかしながら、いかんせんその真面目すぎる国民性故か、練習だけは真面目にするものの圧倒的に試合数が足りない。つまり、「まだ、自分には練習量が足りていない」と言い聞かせている様に。まるで、この世で最も謙遜しているボクサーが試合は行わずに、必要以上に長い間サンドバッグのみを打ち続けるかの様に。

また、少し見方を変えると、試合に出ること(つまり、英語で会話すること)に対し、恐怖心を抱いているのではないかと思う時が多々ある。しかしながら、練習(つまり、基礎勉強)だけでは試合に出る際の恐怖心は消えることは先ずない。勇気を持って、試合に出る、が重要であり、また上達するにあたり(試合に出る事が)必要不可欠なのである。

練習をし、試合に出場する。試合に出て、自分に足りない部分を見つけ、それを補うため再度練習を行い、その後さらに強い相手・チームとの試合に挑む。この繰り返しが、上達への唯一の方法ではないかと考える。

従って、英語圏の国に行けば自動的に英語が喋れるようになる、は残念ながら正しくない。この様に(つまり、英語圏の国に行けば自動的に英語が喋れるようになる)考える人が、実は多いのである。環境はあくまでも、プラスアルファ程度である。プロアスリートの子供(つまり、環境が整っている)だからといって、練習無くして、自動的にその子供もプロになる、なんて事はありえないのと一緒である。

ただ、見方を変えると、練習さえすれば、誰でも、どんな環境にあっても(海外に行かなくとも)英語は(ある程度は)喋れるようになると個人的には強く感じる。

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