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Episode 060 「君のその小さな目から大粒の涙が溢れてきたんだ」

さて、Episode 027より開始した「オーストラリアにいた時(1996〜2010年)によく聴いたアーティストおよびバンドの曲」(併せて、「よく聴いた訳では無いが印象が強く残っているアーティスト及び曲」も含む)、という括りで当時を振り返る試み、先ずはアルファベット順で紹介する内容をEpisode027Episode050にて終えた。続いては、あいうえお順(そう、日本のアーティスト)で振り返ってみる。今回は「ひ」、「ふ」、「ほ」を見てみる。

一青窈(台湾・日本)
特に思い入れがあるアーティストではないが、この曲は記憶にある。尚、歌う際に、高いキーを出す時、片目を瞑り、首を少し傾げ、(ハンドマイクを持っている手とは反対の手の)人差し指で天に指す仕草をして歌うイメージがある。

ザ・フォーク・クルセダース(日本)
確か、2002年または2003年頃に日本に遊びに帰ってきた時に、浦和駅の近くの書店にて購入した奥田民生の(ギターの弾き語りの)スコアブックでこの曲を初めて発見した。つまり、奥田民生がこのバンドの曲をカバーしたのだ。尚、このバンド名、The Folk CrusadersのパロディとしてThe Beat Crusadersというバンドが存在するのか、と感じている。このバンド(ザ・フォーク・クルセダース)は1960年代後半にデビューを果たしたとの事で、尚、このバンドのリーダーである加藤和彦は後にサディスティック・ミカ・バンドを1971年に結成した。

フジファブリック(日本)
奥田民生が2004年に行った伝説のライブ(広島球場で行った、「ひとり股旅」スタイルで行われた)でこのバンドの「桜の季節」をカバーしているのを見て、(このバンドの存在を)初めて知る事となった。2004年の事だった。これを機に、このバンドの曲をネットで探して色々と聴いてみた。尚、このバンドのボーカルである志村正彦は中学生の時に友達に誘われて行った奥田民生のライブに影響を受け、ミュージシャンへの道を進もうと決めた(志村氏は進学校へ通っていたのだが、(奥田民生のライブを見て感化され)「奥田民生さんのせいで道を外れた」という程(奥田民生を)リスペクトしていた)との事だ。残念な事に、志村は2009年12月24日に亡くなってしまった。彼が亡くなった後も、このバンドはメインボーカルであった志村抜きで活動を今も(2024年時点)続けている。亡きボーカルの穴を埋めたのは(このバンドの)リードギターを務めていた山内総一郎(ギターも継続して兼任。尚、彼は鈴木茂(日本語ロックバンドの祖である「はっぴいえんど」のギタリストをリスペクトしている)だった。志村氏が亡くなった2009年12月24日から数日経過した音楽フェス(Countdown Japan)にて、奥田民生は弾き語りスタイルでこのバンドの「茜の夕日」を歌った。歌が進むに連れ、「君のその小さな目から大粒の涙が溢れてきたんだ…」という歌詞に差し掛かった際、奥田民生の声が震え始め、その後感極まり声が出なくなったしまった。会場の、数千人、数万人の一斉の「ワー!!」(@03:25)という声援は更に大きくなった。それに応えるように、奥田民生はアコースティックギターを弾き続き、演奏を続けたのだった。

布袋寅泰(日本)
特に思い入れがあるミュージシャンではないが、これらの曲は記憶にある。尚、X Japanのhideが亡くなった後に(hideの為の)トリビュートアルバム、「hide TRIBUTE SPIRITS」(1999年)がリリースされた。そしてこのアルバムで布袋寅泰がカバーしたのが、「ROCKET DIVE」だ。最高のカバーとなっている。尚、この「hide TRIBUTE SPIRITS」(1999年)を購入したのは、確か、2000年辺りだったと記憶する。友達のストファンと、中華街にある(恐らく中国人が営んでいた)雑貨屋さん(中国の音楽に混ざって、少量ではあったが、日本のCDが販売されていた)にて購入した。購入後、バスの中で包装ビニールなどを取り、歌詞カードを見ていると、(その歌詞カードを見たステファンが)「なんか、中古みたいだね、そのCD」と言った。確かに、指摘され、改めてよく見てみると、新品には見えなかった。恐らく、きっと、(予想に過ぎないが)日本からこれら(日本のCD)を購入してきて、一度開封し、データ(楽曲)をコピーし、再度、適当な包装を行い、販売していたのだろうと察する。

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