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短編小説『「こちらは犬猫回収車です」』


梅雨の後の蒸し暑い午後のことだった。

使い込まれた一台の軽トラックが、大通りから路地を曲がって、住宅街にゆっくり入って来た。

「毎度お騒がせいたしております、こちらは犬猫回収車です。ご不要になりました犬、猫、その他どんな動物でも無料で回収いたしております。ご利用の方は、お声を掛けて頂ければ回収車がお伺いいたします」

男の声で録音された文句が、繰り返し軽トラックのスピーカーから流れている。

すると軽トラックに向かって声をかける者があった。近所の年配の主婦が玄関から出てきていた。軽トラックは主婦の家の前で停まった。スピーカーの声も止まったので彼らの声がよく聞こえる。

「何でも持っていってくれるの?本当にタダで?」

「はい。どんな動物でも無料で回収させて頂きます」

軽トラックの男の声は意外に丁寧だった。車から降りてきた男は、まだ三十前後の若い男のようだ。薄い色の付いた眼鏡をかけているが、悪そうな人相はしていない。

「後でお金を請求するんじゃないの?」

主婦は業者を疑っている。こういう業者でトラブルになる話を良く聞くから無理もなかった。

「いえ、全く無料です」

男はきっぱりと言った。

「そう? 本当にお金はかからないの?」

主婦は念を押した。

「はい、お金はかかりません」

男の回答にやっと安心したのか、主婦は腰の高さほどある鉄の格子の門を開いて男の前に出た。

「ちょうど困ってたのよ。昨日、飼ってた犬が死んじゃってさ、どうしようかと思ってたの。今、ビニール袋に入れてあるんだけど、持っていってくれる?」

主婦はほっとしたのか、一気に話した。

「ええ、大丈夫ですよ。持っていきます」

主婦は直ぐに家の中に入った。しばらくして、黒いビニール袋を両手で抱えて出てきた。

「家の中で飼ってた犬だから大きくはないんだけど。どこへ持っていこうか迷っててさ。ペットの火葬だとかお墓とか調べてたんだけど、近くにないし、なんだか面倒そうで、困ってたのよ」

主婦は喋りながら、袋を男に手渡した。男は袋を両手で受け取ると、結び目をほどいて中身を確認した。

「かわいいワンちゃんですね。いくつぐらいですか?」

「そうねえ、十五歳ぐらいかしら。ここに越してきて初めた飼った犬だから・・・・・・」

「それじゃ、寿命ですね。ワンちゃんも幸せだったでしょう、長生きできて」

「でも、もう生き物は飼いたくないわね」

「そうですか。じゃあ、引き取らせて頂きます」

男は袋を車の荷台に置くと、主婦に軽く会釈をして車を走らせた。

この時、二人の様子を少し離れたところから見ている一台の黒い車があった。五人乗りの車には、動物保護団体の若い男女が乗っていた。運転席の男は助手席の女に言った。

「受け取ったのは死んだ動物のようだ」

車は軽トラックの後を追って発進した。動物保護団体は一ヶ月前からこの業者を密かに調べていた。この業者が死んだ動物だけでなく、まだ生きている動物も回収しているとの通報が寄せられたからだ。業者は無届けで活動している疑いがあった。

「どこに運んで行くのかしら?」

助手席の女が、前を走る軽トラックを目で追いながら言った。軽トラックの荷台には、黒いビニール袋や可燃物指定の青色のゴミ袋などがいくつか積まれているのが見える。

「どうやら、今日はこれで引き上げるみたいだな」

運転席の男は、軽トラックが市街地を抜け、次第に山の方へ向かっているのを感じて答えた。

運転席の男は青山、助手席の女は沢田で、二人共NPOの動物保護団体の職員だ。二人の今日の目的は、業者の活動拠点を突き止めることだった。

二人は何件かの通報者の情報を頼りに、二週間前からこの地域を巡回していた。今日の昼前に、やっとそれらしい業者の車を見つけることが出来た。それから二人は、昼食も取らずにずっと軽トラックの後を追っていた。

軽トラックは山間部の細い道を登り始めた。もう陽が山の影に隠れて、辺りは暗くなり始めていた。二人の車は気づかれないように、軽トラックのかなり後ろを付けている。

「見失わないでよ」

沢田が心配する。

「大丈夫だよ、もう一本道だから」

青山は目を凝らして、前を行く軽トラックの赤い尾灯を追っている。

大きなカーブを曲がり切った時、まっすぐ伸びた道路の先に軽トラックの姿が見えなかった。

「あれっ!」

「どこへ行ったんだ?」

二人は同時に声を出した。慌てて周りを見回した。すると、右手の方に脇道があり、その道の先の方に、木々の間から軽トラックの照らす灯りが見え隠れしていた。

「あっちだ!」

二人の車は三十メートル程バックして脇道に入って行った。車がやっと一台通れる山道は、舗装がされていなくて凹凸が激しかった。

「ウワッ!」

車が跳ねる度に沢田が声を上げる。途中、片側が崖になった狭い道も通った。

「気を付けて!」

沢田が声をかける。

「・・・・・・」

青山は慎重にハンドルを操作している。

脇道に入って三十分程して、前方の軽トラックが停車した。暗くてはっきりとは見えなかったが、どうやら業者の活動拠点に着いたようだ。

「ここに停めて歩いて行く。沢田さんはここで待ってて」

青山は沢田に言った。

「気を付けてね」

沢田は心配している。青山は静かにドアを閉めると、軽トラックの方へ身を低くしながら近づいて行った。

軽トラックは、工事現場にあるようなプレハブの倉庫の前に停まっていた。プレハブの入り口のドアは少し開いていて、中から灯りが外に漏れている。

青山は音を立てないようにドアの横に近づいて、気をつけながら中を覗いてみた。

倉庫の中は薄暗い。奥の方に蛍光灯が一箇所点いているだけだった。その灯りの下で、男が何かの作業をしているのがわかった。男以外には誰もいないように見えた。

青山はドアをほんの少しだけ広げて、片目で内部をもっと良く見回した。男は何かの機械の中に、ビニール袋の中身を入れているのがわかった。

「今運んできた動物だな」

青山は男のしている作業を想像した。男が動物の死体を機械に入れる度に音が大きくなった。機械の唸るような音は回転音に聞こえた。

「大きなミキサーか?」

青山の頭の中では、動物の死体が回転する機械の中でミンチにされる情景が浮かんだ。

「まさか?」

機械の音が小さくなると、男は機械を停めた。急に辺りは静寂に包まれて、青山の後ろの山からは虫の鳴き声が聞こえてきた。

男は空になったビニール袋を片付け始めた。青山は、これ以上ここにいるのは危険と判断して、そっとその場を離れた。

「どうだった?」

青山が車に戻ると沢田が訊いた。

「後でゆっくり話すよ。早くここを離れた方がいい」

青山は、車を向きの変えられる所までゆっくりバックさせると、音を立てないように静かに山道を下った。

車が脇道から抜けると、沢田はもう一度訊いた。

「それで、どうだったの?」

「うん。なんかヤバそうだよ」

青山は緊張が溶けて言葉を吐き出した。沢田はその先の言葉を待った。

「あの男、回収した動物をミンチにしてるみたいだ」

「えっ! ミンチに!」

沢田は眉を潜(ひそ)めた。

「うん。あのプレハブの中にそれらしい機械がいくつかあるのが見えた。一人で作業してるみたいだ。明日、昼間の内にもう一度行ってみよう」

「昼間? 大丈夫かな?」

「たぶんあの男、昼間は回収に出かけていないと思う」

「慎重にね」

「うん」

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翌日の昼過ぎ、青山と沢田は昨日行ったプレハブの倉庫に出かけた。車をゆっくり近づけると、倉庫の前に軽トラックはなかった。二人は昨日と同じ所に車を停めて静かに降りると、倉庫の方へ様子を伺いながら近づいた。

倉庫からは何の音も聞こえない。誰かがいそうな気配は感じられなかった。

青山が倉庫のドアを確かめると鍵が掛かっていた。

「どこかの窓が開いてるかもしれない」

二人は倉庫の周りを調べながら、窓が開くか確認した。表に面した方の窓は皆閉まっていた。裏に回るとびっしり背の高い草に覆われていて、人が入っていくには躊躇(ちゅうちょ)された。青山は草をかき分けて入っていった。二つある窓の一つは鍵が掛けられていなかった。

「ここから入ってドアを開けるから戻って」

青山は沢田にそう言うと、よじ登って開けた窓から中に入った。青山が入り口のドアを開けると沢田も入ってきた。

昨日は暗くて確認出来なかったが、倉庫の奥には違う機械が三台並んで置かれていた。その他に色んな道具が置かれたスチール製の棚や、飼料か肥料かわからないが、何かが詰まった大きな袋が隅の方に積まれていた。

「生臭い臭いがするわね」

沢田が鼻を片手で抑えて言った。動物の死骸が日向で腐ったような嫌な臭いがしていた。

「やっぱり、ミンチにしていたんだ」

青山は三台の機械を一つひとつ調べながら言った。

「ミンチにした肉を乾燥させているみたいだ」

青山は積まれた袋の方も調べてみた。

「もしかしたら、ミンチにした肉を乾燥させて、飼料か肥料を作ってるのかもしれない。きっとそうだ」

「死んだ動物を使って、これを作ってたの?」

沢田も袋を触りながら言った。無地の袋は熱処理で閉じられていて、中身は判別できなかった。

機械の下には大きな容器が置かれ、中には真っ赤な液体が入っていた。

「これはミンチにした時に出た血だな」

青山は携帯を出して写真を撮り始めた。他にもドラム缶の中に、おそらく動物を入れてきたと思われる袋が捨てられていた。

「蝿が多くて気持ち悪い。早く出ましょ」

沢田が蝿を追い払いながら言った。

「うん。もう少し写真を撮ってから。先に外に出ていていいよ」

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二人は動物保護団体の仲間と相談の上、通報者の証言や、撮ってきた写真を添えて管轄の市へ届け出た。

市は警察にも協力を得て倉庫に立ち入り調査に入った。その結果、この業者は動物保護条例その他の違反で逮捕された。

この事件は報道でも大きく取り上げられた。

逮捕されたのは大城裕太容疑者二十九歳。

倉庫の中の様子はテレビのニュースで流され、ワイドショーでも猟奇殺人のように連日扱われた。

容疑者大城の、小学校の卒業文集の文章が紹介されたり、同級生の証言などもテレビから流された。

「動物を可愛がる優しい子供だった」

「大人しい性格だったけど、急に怒り出す一面もあった」

「こんなことをするとは信じられない」

色々な証言が何度も繰り返されて放送され、コメンテーターも、タレントから元警察感、犯罪心理学の教授まで、様々な意見を語っていた。

逮捕された大城は、管轄の警察署の取り調べの後、拘置所に送られた。拘置所の玄関の前にはカメラやマイクを持った報道陣が詰めかけていた。

黒いワンボックスから降ろされた大城は、顔を覆うこともなく堂々と報道陣の前に姿を現した。一斉にカメラのフラッシュが光り、報道陣が大城を取り囲んだ。大城の周りを警護の警察官がガードしている。

「どうしてあんな酷いことをしたんですか?」

「今までどれだけ動物を殺したんですか?」

「生きている動物も殺したんですか?」

記者やアナウンサー、レポーター達が大城に質問を投げかけるが、大城は黙っている。遠くから野次馬の怒鳴り声も聞こえる。

「恥を知れ!」

「馬鹿野郎!」

「動物虐待!」

大城は玄関の階段を登る手前で立ち止まり、正面を向いた。警察官が先へ行かそうとしたが抵抗して留まった。

「何が動物虐待だ! それはお前らじゃないか! 毎日何匹の犬が殺処分されてるか知ってるのか? 何がペットだ! 何が動物愛護だ! ふざけるな!  お前らこそ恥を知れ! 馬鹿野郎!」

大城はカメラに向かって叫ぶと唾を吐いた。側にいた人たちが一斉に後ずさりした。大城は警察官に促されて玄関の中に入って行った。

この時の一部始終もニュースで繰り返し放送され、動画サイトでも多くの人に視聴された。

週刊誌でも大城が登校拒否だったとか、引きこもりだったとか、プライベートな記事が誌面を賑わした。

大城が以前アルバイトしていたというペットショップの店長が、テレビのレポーターに答えていた。

「私のところでは真面目に働いていましたよ。あんなことをするようには見えませんでしたけどねえ。こんなことがありましたよ。気性の荒い犬がいたんですが、どうにも買い手が付かなくて、その内大きくなっちゃってね、どうしようもなくなったことがあったんですよ。彼が自分で買い取ったんですよ、その犬を。可愛そうだからって。まさか、あの犬も殺したんじゃないでしょうねえ」

この事件は二月もすると直ぐに忘れられた。ワイドショーでも取り上げられなくなった。

警察のその後の調べでは、大城容疑者は回収した動物を解体してペットフードに再処理していたことがわかった。

再生されたペットフードが、どこに流通されたかはつかめなかった。大城も最後まで黙秘を貫いた。

大城が生きた犬や猫も回収していたという証言もあることから、警察では、大城が生きたものでも構わずに解体したのだろうと推測した。

そんなことを伝える記事が、たまに新聞の社会面に小さく載ることはあったが、大きな話題になることはなかった。

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この事件がすっかり忘れられた頃、一件の通報が警察に入った。

あのプレハブの倉庫がある場所から、更に山の奥に数キロ入ったところで、大量の犬が死んでいるのが、山菜を取りに来た夫婦によって発見された。

そこは山道からは直接見えない林の奥の草地にあり、周囲を金網で囲われていた。

広い敷地の端にある小屋の周囲に、数百匹の犬が折り重なって死んでいた。死因は餓死によるものだった。

警察の調べたところによると、死後三ヶ月と検証された。それは、大城容疑者が逮捕された頃と思われた。

現場を調べた刑事の一人はつぶやいた。

「あいつは回収した生きた犬を、ここで飼っていたんだろう。再生したペットフードは、ここで食べさせるためだったのかもしれない」

大城容疑者が、この犬たちの存在を取り調べ中に話していれば助けられたかも知れないと刑事は思った。

大城容疑者は、何故この犬たちのことを話さなかったのか? 犬の屍(しかばね)を世間に晒(さら)して訴えようとしたのか? 刑事にも本当のところはわからなかった。

大量の犬の死は新聞の小さな記事にはなったが、やはり話題になることはなかった。

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