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短編小説『会話のない家族』


無口な家族

僕の家族は変わっていると、友達からよく言われる。

「君の家に遊びに行った時に思ったんだけど、君の家族ってみんな無口だよね。家族の間では話をするんだろ?」

「いや、話さないよ」

僕は当然のことだから、そう答えた。

「全然話さないの?家族なのに?」

友達は不思議そうに、興奮している。こんなことに。

「話さないよ」

僕は友達が不思議がる方が不思議だった。

「全く口を効かないの?家族全員が?」

友達は益々興奮している。人の家のことに、そんなに興味があるのか。

「ああ、家族全員全く話さないよ」

「どうして?どうして話さないの?」

僕は、こういうことに答えるのに飽きている。でも、友達がうるさく訊くから、仕方なく簡単に答えることにした。

言葉は正確ではない

「僕のお父さんは、大学で数学を教えてるんだけど、考え方がすごく合理的なんだ。合理的というか、無駄なことが嫌いなんだよね。無駄なことは徹底的に排除するんだ」

友達は「ふーん」みたいな顔で聞いている。言ったことがわかっているのかな?僕は構わずに話を続けた。

「僕が生まれた時から誰も話さないんだ。僕の家は。お父さんもお母さんも話さない。二人は僕にも話しかけない。僕はそれが当たり前だと思って育ったから。僕は一人っ子だから、家の中では誰とも話さないよ」

友達は信じられないようだった。みんな同じ反応をするから、僕はその方が不思議だった。

「まさか。少しは話すだろ?」

「いや、全く話さないよ」

「百パーセント?」

「そう。百パーセント」

「どうして?」

友達はやはり理解できないようだ。面倒だけど、一応説明しておくか。

「お父さんの考えなんだけど、言葉というのは正確には伝わらないというんだ。だから、誤解を生んだりして争いの元になる。言葉よりも、目や顔の表情の方が、本心を正確に伝えることができる、っていうのがお父さんの考え方なんだ。ほら、『目は口ほどにものを言う』ってことわざもあるだろ?」

友達は少しわかったような顔をしたが、まだ物足りないようだ。

「でも、何も話さないと困らないの?」

これもうんざりした質問だけど、仕方ないから答えることにしよう。

会話のないメリット

「別に困ることはないよ。君の疑問はこういうことだろ?何か込み入った、難しいことがあった時に、話をしないで困らないのか?ってことだろ?お父さんも良く考えているんだ。そういう時は筆談すればいいって」

「ひつだん?あの、字を書いて伝えるやつ?」

「そう、筆談。筆談の優れているところは、話すより論理的に考えを伝えることができるんだ。言葉を字に書く時って、頭の中の考えを整理しながら文字に表すだろ?だから、お父さんは、複雑な話題は筆談で相談すればいいと言うんだ。僕もそう思う」

友達はやっと納得したような顔をした。そうなると、何故か僕はもっと話してみたくなる。家で話さないことの反動だろうか?

「話さないことのメリットってわかる?」

「メリット?」

「うん。第一に、無駄が無くなるんだ。会話って、ほとんど無駄な時間だろ?みんな大した事話してないよ。その分、自分の自由な時間が増えるじゃないか」

「無駄かな、会話は?」

友達は異論があるようだ。

「無駄だよ。特に家族なんか。毎日同じことの繰り返しだから、話したいことなんかないよ。話題を探そうとするのも無駄な努力だし。会話をしないことに決めておけば、精神的にもすごく楽だよ。つまらないことで喧嘩することもないし」

「そんなもんかなあ」

友達は少し納得がいかないようだった。僕は友達をもっと説得してみたくなった。

「君はオンラインゲームが好きだから、親がうるさくないかい?もっと勉強をしろとか?」

「ああ、そりゃ、うるさいよ。この間も、お母さんと喧嘩しちゃったよ」

「その点僕の家は楽だぜ」

「どういう風に?」

「僕はアニメが好きだから、そればっかり見ていると、お母さんが僕の肩をポンと叩くんだ。それで僕はアニメを見るのをやめる。それだけだよ」

「お母さんが君の肩を叩くだけ?黙って?」

「そう。それだけ。だいたいの意思表示のルールができてるから、喧嘩とかにはならないよ」

「そういうもんかなあ」

友達は信じられないようだった。僕は少し得意な気持ちになった。

僕の家は普通と変わっているけど、普通の家より進化しているんだと思う。僕の家のこういった決まりは、みんなお父さんが考えたことなんだけど、お母さんも僕も気に入っている。小さい頃は、ちょっと物足りないこともあったけど、思春期を過ぎた今になってみれば、ベタベタしてなくて楽なんだ。

言葉のない感動

友達の表情を見ると、「不思議」、「羨ましい」、「そんな馬鹿な」というような複雑な反応をしている。それはそうだろう。益々僕は得意な気分になる。「普通じゃない」と見られると優越感を覚える。

「でも、なんか、寂しい感じがする。会話がないって、やっぱり」

友達はまだ自分の価値観を主張する。友達にも否定されたくない価値観があるのは当然だ。友達の価値観を簡単に変えることはできない。それはわかっているけど、僕は自分の家族の自慢がまだ足りないように思った。そうだ、僕は自分の家族を自慢したいんだ。友達を説得しようとしてるわけじゃない。

「家の中がしんみりして、静か過ぎない?僕には耐えられないかも。笑い声とか、なんか、泣いたり笑ったり、感動がないんじゃない?」

友達も中々食い下がらない。さすが僕の友達だけのことはある。少し意地になってるみたいだけど。

「感動?そうねえ。感動って必要?泣いたり笑ったりって要るかな?僕はそんなベタベタしたことは苦手だな。別に家族の中で感動とか要らないと思うんだけど」

「必要でしょ、そうゆうの。そうゆうのあるのが家族じゃないの?」

友達は自分の家族が馬鹿にされたように思ったのか、急に向きになった。

「とにかく、僕の家では言い争ったり、泣いたり笑ったりみたいな、騒ぐことはないんだ。全てが理性的に、穏やかに過ぎていくんだ」

「なんだか、ロボットみたいな家族だな」

友達は強い表現を使ってきた。友達の理性が感情に負けたように僕には思えた。僕は再び優越感を覚えた。

これ以上、この話題を続けると、友達の感情を傷つけそうだったので、僕は話題を変えた。

友達は変えた話題に付いてはきたが、不機嫌な感情を引きずったままだった。僕と友達は、しばらく歩いてから別れた。

両親の叫び声

あれから、友達に悪いことをしたと思っていた。僕も向きになっていたと思う。

そんな時に、僕の家族にある変化が起こった。

久しぶりに家族で外食することになった。その日は土曜日で、僕の学校の終業式だったから、昼食をどこかのレストランで食べることになった。僕の家では、僕の学校の節目に外食することが多かった。

僕が学校の校門を出たところで待っていると、お母さんを助手席に乗せて、お父さんが運転する車が迎えに来た。二人共僕の方を見ているだけで何も言わない。別に機嫌が悪い訳ではない。これが僕の家の普通の光景だ。

僕が後ろの席に乗ると、お父さんは直ぐに車を出した。普通の家だったら、「どこへ食べに行くの?」とか訊くところだが、僕の家は違う。既にお父さんが行き先を決めている。お母さんも僕も、ただお父さんに任せておけば安心なのだ。

行く先に不満だったことはない。正確に言えば、トータルで不満はない、ということ。どういうことかと言うと、これはお父さんの受け売りだけど、当たりの店もあれば、ハズレの店もある。また、好みは人それぞれ違っている。だから、一つひとつは、良かったり悪かったりする。だけど、全部まとめて平均をとれば、まあまあのところに落ち着くもの。そういうことだから、僕の家では、個々の評価は気にしないことにしている。時間を無駄にしない、が最優先なんだ。

今回、僕たちが行ったところは初めての店だった。学校から三十分ぐらい。レンガ造りの建物の周りに蔦(つた)が覆っている雰囲気のあるレストランだった。

お父さんがメニューを見て、コース料理を選んだ。メニュー選びもお父さん任せだ。これも、さっきの理屈と同じで、好みの時もあれば、そうでない時もある。お父さんに言わせれば、あれこれ迷っている時間がもったいない。どうせ、いつも似たようなものしか頼まないのだから、というわけだ。僕もそう思う。お父さんに任せた方が、自分だったら選ばなかったような珍しい料理に巡り合ったりする。

勿論、料理を食べてる間は無言だ。決して話をしない。「美味しい」とか「お腹いっぱい」とか当たり前のことを話すのは無駄だと思っている。僕も学校のことで何も話すようなことはないし、お母さんもお父さんも同じだ。毎日同じことの繰り返しで、特別話すことなんか何もない。

別に寂しいことなんかない。料理に集中できていいと思う。隣のテーブルの客がペチャクチャうるさいけど気にしない。僕たちは会話をしに来たんじゃなくて、料理を食べに来たんだから。

ここまでは良かった。

満腹になった僕は、店から出たところで携帯を出して、SNSの投稿を見ながら駐車場を歩いていた。

そこへ、入ってきた車が駐車しようとバックして来た。僕はそれに気が付かなかった。

支払いを済ませて出て来たお父さんとお母さんが気がついた。バックする車の運転手は僕に気がついてなかった。

「高志!車!」

「あぶない!高志!」

お父さんとお母さんが同時に叫んだ。僕はその声で初めて車に気がついた。車の運転手も、その声で僕に気がついた。僕の膝に車のバンパーが微かに触れた。僕に怪我はなかった。

お父さんとお母さんが飛んできた。

「気をつけなきゃ駄目だろ!」

「大丈夫?怪我はなかった?」

二人は僕に怪我がないのを確認すると、ほっとした顔をした。

その後、僕たちは変な雰囲気になった。

二人の叫ぶ声を、僕は生まれて初めて聞いた。二人にとっても初めてに等しいのかもしれなかった。

僕は二人の叫び声の中に、とても熱い愛情を感じた。生の愛情に鷲掴みにされたような衝撃だった。

お父さんとお母さんも僕と同じようなものを、自分達の口から飛び出したことに驚いていたに違いない。

このことがあってから、お父さんは自分の考えが間違っていたんじゃないかと思ったみたいだ。感情を言葉に出すことは無駄なことじゃなくて、生きていく上で必要なことかもしれないと思い始めたみたいだった。

「無駄なことは無駄じゃない」

お父さんがそんな意味のことを言った。お父さんは、何か悟ったのかもしれない。

お母さんもお父さんと同じ思いのようだ。もともとお母さんはお父さんほど合理主義者じゃなかったみたいだから、お父さんの新しい考えに賛同した。

「これからは、どんなつまらないことでも、言葉に出そう!」

お父さんは晴れ晴れした顔で僕とお母さんに言った。

その後

それから、僕の家族は会話をするようになった。

僕は学校であったことや勉強のこと。お父さんは仕事のことや社会のこと、お母さんは料理のことや近所のことを話した。

僕が生まれてからずっと、日常のコミュニケーションは無言の表情だけで交わしてきたから、言葉を使った会話はとても新鮮だった。

お父さんとお母さんも、懐かしそうに話していた。僕は知らないけど、昔は二人も会話を交わしていたのだと思う。若い時の思い出が蘇ってきているようで、楽しそうだった。

お父さんの表情が柔らかくなったように感じた。前は何でも理詰めで、無駄を減らすことばかり考えていたから、細かいことばかり気にして、いつも神経質な顔つきをしていた。

もう無駄なことをいちいち気にしないようにしているみたいで、態度もおおらかになった。小さいことにこだわらなくなった。

お母さんは何でもお父さんに従うような人だったから、そんなに変わることはなかった。お父さんの変化はお母さんも嬉しそうに見える。もしかしたら、お母さんは本当は会話の多い家庭を望んでいたのかもしれない。

それから一ヶ月ぐらい経って。

実を言うと、僕は会話でのコミュニケーションが苦痛になり始めている。毎日、特に変わったこともないのに、話題を持ち出すのも疲れるし、同じ話をしていると自覚するのもしんどい。

お父さんも、なんだか無理しているように見える。もともと話好きな方ではなかったから、無理をしているんじゃないかと思う。

お母さんは鈍感な人だから、まだ会話のある団らんを楽しんでいるみたいだ。

僕は、前の会話の要らない家族の方が楽だったと思い始めていた。

更に一ヶ月経って。

やっぱり、僕の家では会話はあまり必要ではなかったようだ。また元のように言葉を交わさない家庭に戻ってしまった。

でも、なんとなく完全に元のままとも思えなかった。なんとなくだけど、前より少し余裕みたいなものがある。

神経質に無駄をなくそうみたいな雰囲気は消えて、疲れる会話はする必要はない、みたいな自然な感じなんだ。

僕もお父さんも、この方が疲れなくていいと思い始めている。お母さんも、そんな僕たちを見守ってくれている。

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