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記憶・時間の崩壊を求める祈り

Jesus 
私の記憶を、聖霊の目的のためにのみ使ってください。

私は、憎しみを保管しておくために過去を記憶と結びつけることを一切やめます。

私の記憶の機能を、神の子としてふさわしい利用方法であなたが用いてください。

聖霊が、愛が原因である「今」を保つためにのみ、記憶を活用してください。

私の原因が神であり、神の結果である私が愛であるということを教えてください。

_____________

献身滞在の中で、
聖霊は記憶を「今」を保つために活用する
というテキストの箇所を読む機会があった。

衝撃的だったのは

記憶を過去に結び付ける絆は存在しない。
記憶が過去に結び付けられているのは、私(夢を見る者)がそう望んでいるからにすぎない!
 ということです。

私自身が自我の目的のために、罪悪感を保管するために、時間の一部に過去に記憶を維持している。(参照:テキスト28章Ⅷ 夢の主人公4~)


「記憶」は「肉体」と同じく、それ自体には目的はない。


もし記憶が、憎しみを保存するのに役立っているとしたら、「憎しみを保存するために、記憶を過去に結び付けること」を私自身が望んでいるからに他ならない

もういやだ

持ってたくない

だから私は次はこれ↑を祈ります。

祈ったら答えを経験させてもらえるから。


「過去の」記憶が、私が外側に指をさすための根拠や正当性となっているのであれば、ぜひ記憶丸ごとデリートしていただきたい。
そのせいで痴呆症のご老人みたいになってもかまわん。必要なことは必要なときに思い出させてもらえるやろたぶん。

自我の目的の下、「過去の原因によって存在している現在」という水平的な時間の流れが存在するという認識から
聖霊に時間を明け渡し、垂直に「今」を純粋に保つために記憶を活用していただきたいと思う。

私にはできないことが、聖霊にはできる。

自我を選んだ私にはできないけれど、
聖霊と共に選ぶならばそれができるはずだ。

これまでも
赦しの祈りをした後に「記憶が飛ぶ」ということが度々起きていて、それは「エピソードに伴う感情の記憶が、同一化できないほど現実味が薄れる」というものから「エピソード自体をあんまり思い出せないくらい忘れちゃう」というものまで色々あって

あのSF体験みたいなプチ記憶喪失は、私が「この憎しみをもう保存したくない」と願ったからだったんだと、ここをちゃんと読んでようやくちょっと腑に落ちた感じがした。
(マーカーで線を引いていたから、前も読んだはずなのに、自我にとって都合が悪かったのか、読んだことすらさっぱり忘れていました。)


私が望んだことだけを、私は認識している。

それなら
憎しみを保管するための過去の記憶なんか全部デリートしてくれ!!

もういらん
憎しみを保管、維持する記憶なんかいらない

神の子だけを見たい
神の子だけを見たい
神の子だけを見たい


お習字で愛の字を練習中。
全然思ったように書けなくて、
「わしはどんだけ愛からかけ離れてるんや」
と軽く闇に触れながら書いているが、
お習字自体は続けたい感覚があります。

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