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創作と負の感情

日記を書くことを創作と言っていいかわからないが、ひろーい目で見て創作ということで勘弁してほしい。で、創作においては負のエネルギーが必要不可欠なわけです。勘弁してほしい、などと下手に出たわりに、断りを入れた瞬間急に創作を語り出して気持ち悪いな。気持ち悪いのもまた創作の側面ということで。

日記を書くにも、どうにもスランプを感じています。いいテーマが思い浮かばなかったり、納得のいく文章が書けなかったりと。きっと今の僕には負のエネルギーが欠けているのでしょう。僕はnoteのマガジン機能を使って、よく読まれている記事や自分で気に入っている記事を「厳選集」としてまとめています。そこを見てみると、どうも負のオーラに満ち溢れた記事が多い。お酒を飲みながら勢い任せに書き散らしたものもいくつかある。やはり、そういう強いマイナス感情が創作物をより魅力的なものにする秘薬となるのでしょう。後世に名を残している文豪たちがことごとく恵まれない環境であったのも納得がいく。音楽家がドラッグに溺れるのもまた宿命なのかもしれない。作品に罪はないのだ。

やはり物書きの端くれとして、そうした先人たちのエピソードは己の不遇を肯定する役割を果たしてくれるので、そういう意味でも彼らには敬意を示したい。嫌なことがあったとしても「んま、僕もいずれ名のある作家になるのだから、不幸エピソードの1つや2つ持っていないと格好がつかないよね」と自分に言い聞かせることができる。

先日、発達障害の女子高生が絵に目覚めて数々の作品を世に出しているというニュースがあった。

自閉症などにより学校に行けず引きこもりがちだったが、絵が評価されて自信を取り戻したのだという。実際に見てもらうとわかるが、まったくすばらしい作品である。高校生ならではの感受性と爆発的なエネルギーもあるとは思いますが、やはり「負」の要素は創作に大いなる力を与える。

足りないなあ、足りない。今の僕には「負」が足りていないよ。負不足。めだかボックスにありそう。ほら、この程度の冷え切ったジョークしか言えない。さりとて、不幸になればいいというわけでもない。率先して不幸になろうとすることは、望まぬ不幸を背負っている人たちに失礼だから。できることがあるとすれば、自分を追い込むことでしょう。苦しいことを次々と自分に課し、負の感情を爆発させるんだ!

正直なところ、フルタイムで働いて、そのあとに毎日日記を書くというだけでもプチ苦行なのですが、まだまだ足りないぞ。もっと、もっと自分を追い込む何かがほしい。死なない程度のやつを頼む。

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