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人間関係が充実するほどに寂しさは増すばかり

寂しい、寂しいぞ!!
遅ればせながら桜も咲き、三寒四温で日に日に暖かくなってきております。しかし、僕の心は極寒だ。んー、寂しいという気持ちを心が「寒い」と表現するのはやや違和感もあるが、まあいいか。

近頃はありがたいことに、多方面からお声がけをいただく。大袈裟な言い方かもしれないが、人付き合いの少ない僕にとって1人、2人から声がかかれば、それは世紀の大イベントなのだ。通常であれば、周囲で第二次結婚ラッシュが訪れる年齢だというのに、僕はこれまで知人の結婚式に参加どころか呼ばれたことすらない。こうして周りの人間たちとライフステージの差が開いていくのだなあ。そんな僕にも遊びの誘いはもらえるのだから感謝しなければならない。

もっとも身近なのは、中学からの幼馴染だ。同じく地元に住んでいるため、よくサウナに行ったりご飯に行ったりする。やはり物理的な距離が近いというのは大きい。また別の同級生で県外に行った連中からも「旅に出よう」と誘いをもらった。その時は僕が精神的に参っていたので一度見送りにしたのですが、夏前くらいに予定を組んで出かけるつもりだ。修学旅行みたいでいいね。また、僕は東京に住んでいた頃にセブンでバイトをしていたのですが、その時に仲の良かった人から約1年ぶりに連絡があった。ワケあって内容は詳しくお伝えできないのですが、マルチや宗教の勧誘でないことだけは明言しておく!「いつになったら東京に戻ってくるんだい?」と言ってもらえたのが嬉しかった。僕に居場所をくれる優しい言葉だった。僕がリモートで働いている会社の本社があるので、東京に行けば同僚たちと会うこともできる。

なんだ、僕は一人じゃないんだ。いろんな人が相手をしてくれるじゃないか。しかし、”面倒臭いの権化”である僕がそんな一筋縄でいくはずはない。周囲から声をかけられたり、ちょっと雑談したり、温もりを感じれば感じるほどに、同時に寂しさも込み上げてくる。一体何を言っているんだ?自分でもよくわからない。けれど、例えるならこれはヤクルトだ。ヤクルトというやつは、1本飲むともう1本飲みたくなる。1本でその美味さを知ってしまうと、あの量では物足りず更なるヤクルトエクスタシーを欲してしまう!別にヤクルトでなくたっていい。何かしらの愉悦、快楽をわずかでも味わってしまったなら、それ以上を求めるのは必然。そして1度得た悦びは忘れられず、欲望が脳を支配する。失うのが怖いんだ。

他者からの温もりだって同じさ。気持ちいいんだ、人から声をかけてもらったり、話を聞いてもらったり、気持ちを共感したり。こんなに心地のいいことを求めずにいられるだろうか、いやいられない(反語)。脳ミソは食べ物が欲しいときは「腹が減る」というサインを出し、飲み物が欲しい時は「喉が渇く」というサインを出す。では、人の温もりが恋しい時はどんなサインを出す?「寂しい」と感じさせるのだ。

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